がんこうしはい【眼光紙背】故事成語 ことば

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本を一回読んで、字句の意味だけではなく、文意の奥深さをも理解する。

よく「眼光紙背に徹す」と言います。その略が「眼光紙背」。四字熟語になっています。

たんに文字づらだけを追ってうわっつらを知るのではなく、文章の深意まで洞察すること。目の光が紙に記された文字の表面だけでなく、裏側にまでとおる、ということから。

塩谷宕陰しおのやとういん(儒者、1809-67)の「安井仲平の東遊するを送る序」の一節に由来するそうです。安井仲平とは安井息軒やすいそっけん(儒者、1799-1876)のこと。息軒の才能を「書を読むに眼は紙背にとおる」と記しているのです。二人は昌平坂学問所(昌平黌)の教授で、同僚でした。

珍しい、和製の四字熟語ですね。

「行間を読む」は行と行の間を推測することで、文の深い意味を理解することとは少々異なります。でも、おおざっぱには類義語といえるでしょう。

ちなみに「眼光紙背」または「眼光紙背に徹する」、過去40年間の読売新聞の記事では27回使われています。その多くが政治面でした。政治家好みの成語なのですね。

2023年8月27日(日)放送のTBS系「VIVANT」第7話で、乃木憂助(堺雅人)が野崎守(阿部寛)に、「あなたは鶏群の一鶴、眼光紙背に徹する」とささやくシーンがありました。「これから起こることは表面だけを見ていてはわかりません。その裏をよく見てください」という意図が含まれていたのでしょうね。

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「VIVANT」の最終回は?

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ごたぶんに漏れず「VIVANT」を見ています。とてもおもしろい。

ただ、YouTubeでの多くの「考察」を拝聴していると、そんなに緻密なドラマかなあ、とも思えます。

長野利彦専務(小日向文世)は出番ないでしょうし。黒須駿(松坂桃李)は憂助が裏切ったとマジで思っていましたし。野崎守(阿部寛)は裏切らないでしょうからね。ジャミーン(ナンディン・エルデネ・ホンゴルズラ)が野崎になつかないのはちょっと気になりますが。首都クーダンには国際空港があるのかどうか。全編を通じたこまやかさもここらへんが限度のようです。

そこで、最終回(2023年9月17日放送)はどうなるか、かんじんなところだけを手当たり勝手に考えてみました。

テントがいくら孤児院をつくって慈しみ深く大枚を注いだところで、しょせんは殺人者集団。裏切りには殺しで粛清する手合いです。まともではない。

テントは壊滅されてしかるべし、です。ピヨ(吉原光夫)も、ノコル(二宮和也)も、ベキ(役所広司)も、マタ(内村遥)も、シチ(井上肇)も。

ゲルもろともに木っ端微塵、地下帝国が亡びるシーンなんかが最終回にふさわしい。

ベキだけには、乃木憂助(堺雅人)とのいまわの際でのやりとりがあるでしょう。

ベキはおのが来し方を語り、孤児院の行く末を憂助に託します。親子の絆が初めて結ばれた瞬間です。

そして、最後のシークエンス。

除隊した憂助が、柚木薫(二階堂ふみ)、ジャミーンとともにバルカで孤児院経営に励みます。

バトラカ(林泰文)だけは夫婦で生き残り、ジャミーンの行く末を傍らで見守ります。顛末のすべてを見届ける、この物語の語り部なのです。

これじゃ、つまんないですね。

このシナリオの下敷きは、コンラッドの『闇の奥』やコッポラの『地獄の黙示録』のように思えます。以上は、そこからの推測でした。

神田明神布多天神の祭神はスクナビコナ。船で出雲に渡来した外来の神です。オオナムチに協力して国つくりにいそしみ、さまざまな先進技術を伝えます。奥出雲のたたら製鉄もそのひとつなのでしょう。インフラが整うと、スクナビコナは去っていきました。

余韻は響映します。



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