かけとりまんざい【掛け取り万歳】落語演目



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【どんな?】

大晦日は掛け買いの攻防戦。
掛け取りで乗り切れるのか。
崖っぷち夫婦の悲喜こもごも。

別題:大晦日 浮かれの掛け取り(上方)

あらすじ

大晦日。

掛け買いの借金がたまった夫婦、当然支払えるあてはないため、ひとつ、掛け取りの好きなもので言い訳してケムにまき、追い返してしまおう、と作戦を練る。

まずは大家。

風流にも蜀山人しょくさんじんを気取って狂歌きょうかに凝っている。なにせ七か月も店賃たなちんをためているので、なかなか手ごわい相手。

そこで即興の狂歌攻め。

「僧正遍照(=返上)とは思えども金の通い路吹き閉じにけり」
「なにもかもありたけ質に置き炬燵かかろう島の蒲団だになし」
「貧乏の棒は次第に太くなり振り回されぬ年の暮れかな」……

案の定、大家はすっかり乗せられて、
「貸しはやる借りは取られるその中に何とて大家つれなかるらん……オレも時平(=ヒデエ)ことは言わねえ、梅桜の杉(=過ぎ)王まで松(=待つ)王としよう」
と芝居の「菅原」尽くしで帰ってしまう。

次は魚屋の金さん。

この男は、けんかが飯より好き。

今日こそはもらえるまで帰らねえと威勢よくねじこんでくるのを、
「おおよく言った。じゃあ、オレの運が開けるまで、六十年がとこ待っていねえ。男の口から取れるまで帰らねえと言った以上、こっちも払うまでちょっとでも敷居の外はまたがせねえ」
と無茶苦茶な逆ネジ。

挙げ句の果てに借金を棒引きさせて、みごとに撃退した。

こんな調子で義太夫、芝居とあらゆる手で難敵を撃破。

最後に、三河屋のだんな。

これは三河万歳みかわまんざいのマニアだ。

双方、万歳で渡り合い、亭主が扇子を開き「なかなかそんなことでは勘定なんざできねえ」と太夫で攻めれば、だんなは「ハァ、でェきなければァ二十年三十年」と、こちらは才蔵。

「ハァ、まだまだそんなことで勘定なんざできねえ」
「そーれじゃ、いったいいつ払う」
「ひゃーく万年もォ、過ぎたならァ」

しりたい

大晦日の攻防戦   【RIZAP COOK】

昔は、日常の買い物はすべて掛け買いで、決算期を節季(せっき)といい、盆・暮れの二回でした。

特に大晦日は、商家にとっては、掛売りの借金が回収できるか、また、貧乏人にとっては踏み倒せるかどうかが死活問題で、古く井原西鶴(1642-93)の「世間胸算用」でも、それこそ笑うどころではない、壮絶な攻防戦がくりひろげられています。

むろん、江戸でも大坂でも掛け売り(=信用売り)するのは、同じ町内の生活必需品(酒、米、炭、魚など)に限ります。

落語では結局うまく逃げ切ってしまいますが、現実は厳しかったことでしょう。

演者が限られる大ネタ   【RIZAP COOK】

筋は単純で、掛け取り(集金人)それぞれの好きな芸事を利用して相手をケムに巻き、撃退するというだけの噺です。

それだけに義太夫などの音曲、芝居、三河万歳とあらゆる芸能に熟達しなければならず、よほどの大真打ちで、多方面の教養を身に着けた者でなければこなせません。

四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)の速記が残っています。

円喬は円朝の高弟。明治期の伝説の名人です。

円喬は万歳の部分を出さず、「掛け取り」の題でやりました。

最後は主人公がシンバリ棒をかって籠城してしまうので、掛取りが困って隣の主人に「火事だ」と叫んで追い出してくれと頼みますが、亭主が窓から五十銭出して「これで火を消してくれ」というオチにしています。

先の大戦後は、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)の独壇場でした。

三河万歳   【RIZAP COOK】

万歳は三河、大和、尾張、会津など各地にあり、江戸は三河万歳の縄張りでした。

暮れになると日本橋に才蔵市さいぞういちが立ち、三河・幡豆はず郡の村々から出張してきた太夫たゆうがよさそうな相棒を選び、コンビを組みます。

太夫は烏帽子えぼしに袴で扇子を持って舞い、掛け合いではツッコミ役。才蔵は小鼓を持ち囃し方とボケ役を担当します。

武家屋敷を回る屋敷万歳、町屋を担当する町万歳などがありました。

古くは千秋万歳せんずまんざいといい、初春に悪鬼を祓い言霊ことだまによって福をもたらすという民間信仰が芸能化したものといわれます。

菅原づくし   【RIZAP COOK】

浄瑠璃および歌舞伎で有名な『菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ』の三段目「車引くるまひき」の登場人物でシャレています。

歌はこの後の「寺子屋の段」で松王丸が詠じる「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらん」のパロディーで、続けて「来春はきっと埋め(=梅)草をします」と梅王丸でしめます。

芝居   【RIZAP COOK】

六代目円生では、酒屋の番頭を上使に見立て、「近江八景」づくしのセリフで言い訳した後、「今年も過ぎて来年、あの石山の秋の月」「九月下旬か」「三井寺の鐘を合図に」「きっと勘定いたすと申すか」「まずそれまではお掛け取りさま」「この家のあるじ八五郎」「来春お目に」「かかるであろう」とめでたく追い払います。

改作二題   【RIZAP COOK】

上方では、古くはのぞきからくり芝居の口上をまねて、オチを、「これぞゼンナイ(ゼンマイ=ゼニ無い)のしかけ」としていましたが、明治初期に二代目林家菊丸が芝居仕立てのオチに改作したものが「大晦日浮かれの掛け取り」として今に残っています。

もうひとつ、昭和初期に、六代目春風亭柳橋(渡辺金太郎、1899-1979)が近代的に改作、野球好きの米穀商と「都の西北」「若き血」の替え歌で応酬した後、「これで借金は取れん(=ドロー、引き分け)ゲームになりました」とダジャレで落とす「掛け取り早慶戦」で大当たりしました。

円生のくすぐりから   【RIZAP COOK】

六代目円生のくすぐりが秀逸でした。

亭主が魚屋を逆に脅し、借金を棒引きにさせたあげく、「帰るなら払ったことになるな」と、幻の領収書を書かせるところが爆笑。無理やり「毎度ありがとうございます」と言わせたうえ、「6円70銭。10円渡した(つもり!)からつりを置いてけ」。

まことにどうも、けしからんもんで。



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すがわらむすこ【菅原息子】落語演目

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【どんな?】

「芝居」と言ったら、歌舞伎に決まっていた頃の噺です。

別題:芝居狂

あらすじ

芝居大好きの若だんな。

今日も「菅原伝授手習鑑」を見物してご機嫌で帰宅。

いきなり
「女房ども、今戻った」
と、妙な声を張りあげて、物乞いと間違われる。

「俺がいい気持ちで気取っているんだから、おまえもつきあえ」
と女房に、無理やりに「こちの人、よく戻らさんしたな」という「寺子屋」の源蔵女房戸浪のセリフを強要する。

食膳を見ると
「ハテ、膳部の数が一脚多い」
と松王になり、アワビのふくら煮が出ると
「ナニ、死貝と生貝とは風味味わいの変わるもの、真っ赤な赤螺その手はくわぬ」
「お平はなんだ? 豆腐? 平は豆腐皿の鰈の焼き魚、何とて猪口はしたしなるらん」
などと、すべて「寺子屋」気取り。

かと思うと、いきなり椀の蓋を取って
「あ-ら、怪しやな。今汁椀の蓋を取ると、にわかに水気立ち上がりしは、凶事のしるしか吉事のしるしか、なににせよ怪しきこの場の、ありさま、じゃ、なあー」

これを聞いたおやじ、カンカンに怒って
「このばか野郎」
と飛び掛かったのを、若だんなヒョイと避け
「親びと、御免」
と、ほうり投げた。

「あれまあ、あなた、お父さんを投げて」
「女房喜べ、せがれがおやじに勝ったわやい」

【RIZAP COOK】

うんちく

マクラ噺 【RIZAP COOK】

原話は不詳。芝居好きをからかった小咄が集まってできたものでしょう。

落語としては上方ダネで、別題を「芝居狂」ともいいます。

明治から大正にかけ、五代目麗々亭柳橋(斉藤久吉、1871-1923)、二代目三遊亭金馬(碓井米吉、1868-1926、お盆屋の、碓井の)、四代目三遊亭円馬(森田彦太郎、1899-1984)ら、芝居噺を得意にした演者の速記が残っています。

芝居の噺のマクラによく付けられますが、近年はこの演題で、一席噺で演じられることはまれです。

二代目金馬の大正4年(1915)の速記では、「浮かれ三番」のマクラで演じています。

金馬はこのあと、盗賊が料理屋に押し入って百円脅し取り、空腹で飯を要求すると、主人が「あなたは金を盗るのが商売、私は料理を売るのが商売だから、お代を出してくれ」と言うので、しかたなく百円払ってさっ引きになるという小咄を付けています。

その泥棒も実は大の芝居好きで、待っていた子分が「親分、首尾は」と聞くと「シーッ、声(=鯉)が高い」というお笑いです。

おやじ流罪でせがれが死罪 【RIZAP COOK】

菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ』は、延喜元年(901)の菅原道真流罪事件に取材した、全五段の時代物浄瑠璃。延享3年(1746)8月21日、大坂竹本座初演。

作者は、竹田出雲、並木千柳、三好松絡、竹田小出雲の合作。

歌舞伎初演は翌年9月、京都嵐座です。

「寺子屋」は四段目の切。

今は敵の藤原時平方に仕えている舎人(とねり)・松王丸が、手習師匠の武部源蔵がかくまう菅丞相(道真)の一子・菅秀才の危急を救い、故主に忠義を立てるため、わが子・小太郎を身代わりにすべく、寺子屋に弟子入りさせます。

菅秀才の首を討って差し出せという時平の命に、菅丞相の門弟だった源蔵が懊悩しているところに、松王丸自身が検分役となって乗り込み、源蔵に小太郎を斬らせ、時平一味の目を欺くという悲劇です。

膳部の数 【RIZAP COOK】

以下、すべて芝居のセリフのパロディーです。

「膳部の数…」は松王が、寺子屋から帰る子供の数より、手習い机が一脚多いので、これは菅秀才のものに違いないとわざと言い立て、小太郎を身代わりにするきっかけにしようとする場面のセリフ、「机の数が一脚多い」から。

「生貝と死貝」も同じく、松王が源蔵に言う「生き顔と死に顔は相好の変るなぞと、身代わりのにせ首、その手は食わぬ」から。

「平は豆腐」は、松王が、三つ子の弟桜丸の忠義を引いて、源蔵夫婦に自分の菅丞相親子への真情を吐露するセリフ、「梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」の地口です。

初代円遊の肉声 【RIZAP COOK】

初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)という落語家。

自称初代、実は三代目の円遊。明治の珍芸寄席四天王の筆頭にして、近代滑稽噺のパイオニアです。「鼻の」「あばたの」「ステテコの」などあまたの異名を奉られていました。

夏目漱石(夏目金之助、1867-1916)も抱腹絶倒した「元祖爆笑王」の、今に伝わる肉声がたった2種類の蠟管レコードに残され、CDにも復刻されています。

一つはこの「菅原息子」。円遊が亡くなる4年前の明治36年(1903)、落語初のレコードとして、初代快楽亭ブラック(ヘンリー・ジェイムズ・ブラック→石井貌剌屈、1858-1923)、四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)などが、英グラモフォンに吹き込んだ記念すべきシリーズの一枚。

ほかに、米コロムビア吹き込みの「野ざらし」があります。

百年以上前の、原始的な蠟管からの復刻音源ですが、やや鼻にかかった高っ調子、立て板に水の早いテンポ。

わずか正味3分足らずですが、鳴り物入りで芝居の声色仕立て。

このころはもう晩年で、人気も落ち目になっていたはずですが、さすがにただものではない円熟した技芸が、時を越えて伝わってきます。

まぎれもなく「明治からのメッセージ」でした。

せがれがおやじに 【RIZAP COOK】

オチの部分も、松王丸が女房千代に言うセリフ「女房よろこべ、せがれがお役に立ったわやい」のもじりです。

【語の読みと注】
赤螺 あかにし:タニシの一種
お平 おひら:浅く平たい朱塗りのお椀
菅原伝授手習鑑 すがわらでんじゅてならいかがみ
舎人 とねり

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