やかん【薬缶】落語演目

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

【どんな?】

なるほど、やかん命名の由来とは。
落語はまったくもってためになる、無学者もの

別題:浮世話 無学者 薬缶根問(上方)

【あらすじ】

この世に知らないものはないと広言する隠居。

長屋の八五郎が訪ねるたびに、別に何も潰れていないが、グシャ、グシャと言うので、一度へこましてやろうと物の名の由来を次から次へ。

ところが隠居もさるもの、妙てけれんなこじつけでケムにまく。

最初に、いろいろな魚の名前は誰がつけたかという質問で戦闘開始。

「おまえはどうしてそう、愚なることを聞く。そんなことは、どうでもよろしい」
「あっしは気になるんで。誰が名をつけたんです?」
「うるさいな。あれはイワシだ」

「イワシは下魚げぎょといわれるが、あれで魚仲間ではなかなか勢力がある」
とゴマかす。

「じゃ、イワシの名は誰がつけた」
と聞くと、ほかの魚が名をもらった礼に来て、
「ところであなたの名は」
と尋ねると、
「わしのことは、どうでも言わっし」

これでイワシ。

以下、まぐろは真っ黒だから。

ほうぼうは落ち着きがなく、ほうぼう泳ぎ回るから。

こちはこっちへ泳いでくるから。

ヒラメは平たいところに目があるから。

「カレイは平たいところに目が」
「それじゃヒラメと同じだ」
「うーん、あれはヒラメの家来で、家令かれいをしている」

うなぎはというと、昔はのろいのでノロといった。
あるときがノロをのみ込んで、
大きいので全部のめず四苦八苦。

鵜が難儀なんぎしたから、
鵜、難儀、鵜、難儀、鵜難儀でウナギ。

話は変わって日用品。

茶碗ちゃわんは、置くとちゃわんと動かないから茶碗。

土瓶どびんは土で、鉄瓶てつびんは鉄でできているから。

「じゃ、やかんは?」
「やでできて……ないか。昔は」
「ノロと言いました?」
「いや、これは水わかしといった」
「それをいうなら湯わかしでしょ」
「だからおまえはグシャだ。水を沸かして、初めて湯になる」
「はあ、それで、なぜ水わかしがやかんになったんで?」
「これには物語がある」

昔、川中島の合戦で、片方が夜討ちをかけた。

かけられた方は不意をつかれて大混乱。

ある若武者が自分のかぶとをかぶろうと、枕元を見たがない。

あるのは水わかしだけ。

そこで湯を捨て、兜の代わりにかぶった。

この若武者が強く、敵の真っただ中に突っ込む。

敵が一斉に矢を放つと、水わかしに当たってカーンという音。

矢が当たってカーン、矢カーン、やかん。

蓋は、ボッチをくわえて面の代わり。

つるはあごへかけての代わり。

やかんの口は、名乗りが聞こえないといけないから、耳代わり。

「あれ、かぶったら下を向きます。上を向かなきゃ聞こえない」
「その日は大雨。上を向いたら、雨が入ってきて中耳炎になる」
「それにしても、耳なら両方ありそうなもんだ」
「ない方は、枕をつけて寝る方だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

やかんが釜山から漂着  【RIZAP COOK】

明和9年(1772)刊『鹿餅』中の「薬罐やかん」は、この噺の後半部分の、もっとも現行に近い原話ですが、これは、日本の薬罐がはるばる朝鮮半島の釜山プサンまで流れ着き、現地の人が「これは兜ではないか」と議論することになっています。

さまざまな伸縮自在  【RIZAP COOK】

一昔前は、知ったかぶりを「やかん」と呼んだほど、よく知られた噺でした。

題名に直結する「矢があたってカーン」以外は、自由にギャグが入れられる伸縮自在の噺なので、昔から各師匠方が腕によりをかけて、工夫してきました。名前の由来に入る前の導入部も、演者によってさまざまです。

「矢がカーン」の部分では、隠居が「矢があたって」と言う前に八五郎がニヤリと笑い、「矢が当たるからカーンだね」と先取りする演出もあります。

オチまでいかず、文字通り「矢カン」の部分で切ることも、時間の都合でよくあります。

「やかん」のくすぐりいろいろ  【RIZAP COOK】

●蛇はノソノソして、尻っぽばかりの虫なので屁といった。そのあとビーとなった。(五代目古今亭志ん生)

●クジラは、必ず九時に起きるので、クジらあ。

●ステッキは、西洋人のは飾り付きで「すてっき」だから。

●ランプは、風が吹くとラン、プーと消えるから。

●ひょっとこは、不倫して、ヒョットして子ができるのではと、口をとがらしてふさいでばかりいると、月満ちてヒョッと産まれた子の口も曲がっていた。だから「ヒョット・子」(以上、初代三遊亭円遊)

「浮世根問」について  【RIZAP COOK】

五代目柳家小さん(1915-2002、小林盛夫)がよく演じた「浮世根問うきよねどい」は、上方の「根問もの」の流れをくみます。

「薬缶」とモチーフは似ていますが、別系統の噺です。「薬缶」に比べると噺もずっと長く、質問もはるかに難問ぞろいです。

上方では、別に「薬缶根問」という噺があります。

根問  【RIZAP COOK】

「根」はルーツ、物事の根源を意味します。それを「問う」わけですから、要はいろいろなテーマについて質問し、知ったかぶりの隠居がダジャレを含めてでたらめな回答をする、という形式の噺のことです。

上方の根問ねどいものには、テーマ別に「商売根問」「歌根問」「絵根問」など、さまざまなバージョンがありました。
                       
「薬缶」は、形式は似ていても、単に語源を次々と聞いていくだけですから、「根問もの」よりもずっと軽いはなしになっています。

ついでに  【RIZAP COOK】

「根問」という題名は上方のものに限定されます。どんなに似た内容の噺でも、「薬缶」「千早振る」など東京起源のものは「根問」とは呼びません。

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うきよねどい【浮世根問】落語演目

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【どんな?】

「根問」とはルーツを尋ねること。さかしげなガキの「どーして?」ですね。

あらすじ

三度に一度は他人の家で飯を食うことをモットーとしている八五郎。

今日もやって来るなり「お菜は何ですか?」と聞く厚かましさに、隠居は渋い顔。

隠居が本を読んでいるのを見て八五郎、
「本てえのはもうかりますか」
と聞くので
「ばかを言うもんじゃない。もうけて本を読むものじゃない。本は世間を明るくするためのもので、おかげでおまえが知らないことをあたしは知っているのだから、なんでも聞いてごらん」
と隠居が豪語する。

そこで八五郎は質問責め。

まず、今夜嫁入りがあるが、女が来るんだから女入りとか娘入りと言えばいいのに、なぜ嫁入りかと聞く。

隠居、
「男に目が二つ、女に目が二つ、二つ二つで四目入りだ」
「目の子勘定か。八つ目鰻なら十六目入りだ」

話は正月の飾りに移った。

「鶴は千年、亀は万年というけど、鶴亀が死んだらどこへ行きます?」
「おめでたいから極楽だろう」
「極楽てえのはどこにあります?」
西方弥陀さいほうみだ浄土じょうど十万億土じゅうまんおくどだ」
「サイホウてえますと?」
「西の方だ」
「西てえと、どこです?」

隠居、うんざりして、
「もうお帰り」
と言っても八五郎、御膳が出るまで頑張ると動じない。

この間、岩田の隠居に
「宇宙をぶーんと飛行機で飛んだらどこへ行くでしょう」
と聞くと、
「行けども行けども宇宙だ」
とゴマかすので、
「じゃ、その行けども行けども宇宙をぶーんと飛んだらどこへ行くでしょう?」

行けどもぶーん、行けどもぶーんで三十分。

向こうは喘息ぜんそく持ちだから、だんだん顔が青ざめてきて、
「その先は朦々もうもうだ」
「そんな牛の鳴き声みてえな所は驚かねえ。そこんところをぶーんと飛んだら?」
「いっそう朦々だ」
「そこんところをぶーん」

……モウモウブーン、イッソウブーンで四十分。

「そこから先は飛行機がくっついて飛べない」
「そんな蠅取り紙のような所は驚かねえ。そこんところをぶーん」
とやったらついに降参、五十銭くれた。

「おまえさんも極楽が答えられなかったら五十銭出すかい?」
「誰がやるか。極楽はここだ」
と隠居が連れていったのが仏壇。

こしらえものの蓮の花、線香をけば紫の雲。鐘と木魚が妙なる音楽というわけ。

「じゃ、鶴亀もここへ来て仏になりますか?」
「あれは畜生だからなれない」
「じゃ、なにになります?」
「ごらん。この通りロウソク立てになってる」

しりたい

根問

ねどい。「根問」は上方ことばで、「根掘り葉掘り聞くこと」を意味します。

小さん二代が確立

上方落語の「根問もの」の代表作で、明治期に東京に移されたものです。上方では短くカットして前座の口ならしに演じられますが、初代桂春団治(皮田藤吉、1878-1934)の貴重な音源が残っています。

明治時代にはまだ、東京では「薬缶」と「浮世根問」の区別が曖昧あいまいで、たとえば、明治期の四代目春風亭柳枝(飯森和平、1868-1927)の速記はかなり長く、「無学者」の題で演じています。

いろいろな魚の名前の由来を聞いていく前半は「薬缶」と共通しています。

このあらすじは、師匠の四代目柳家さん(大野菊松、1888-1947)譲りで演じた、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)のものを底本にしました。二代にわたる小さんが上方のやり方を尊重し、この噺を独立した一編として確立したわけです。

鶴亀のろうそく立て

オチの「ろうそく立て」については、今ではなんのことやらさっぱりわからなくなっているので、現行の演出ではカットし、最後までいかないことが多くなっています。

これは、寺などで使用した燭台で、亀の背に鶴が立ち、その頭の上にろうそくを立てるものです。

鶴亀はいずれも長寿を象徴しますから、要するに縁起ものでしょう。

目の子

「目の子勘定かんじょう」といって、公正を期すため、金銭などを目の前で見て数えることです。

黙阿弥もくあみの歌舞伎世話狂言「髪結新三かみゆいしんざ」で、大家の長兵衛が悪党の新三の目の前で小判を一枚一枚並べる場面が有名です。

原話について

もっとも古いものは、露の五郎兵衛(1643-1703)の『露休置土産ろきゅうおきみやげ』中の「鶴と鷺の評論」です。五郎兵衛は京都辻ばなしの祖です。

これは、二人の男が鶴の絵の屏風について論じ合い、一人が「この鳥は白鳥にしてはちょっと足が長い」と言うと、もう一人が「はて、わけもない。これは鷺だ」と反論します。見かねた主人が「これは鶴の絵ですよ」と口をはさむと、後の男が「人をばかにするでない。鶴なら、ろうそく立てをくわえているはずだ」。

安永5年(1776)、江戸で刊行された『鳥の町』中の小ばなし「根問」になると、以下のようになっています。

「鶴は千年生きるというが、本当かい?」
「そうさ。千年生きる証拠に、鎌倉には頼朝の放したという鶴がまだ生きているじゃないか」
「じゃ、千年たったらどうなる?」
「死ぬのさ」
「死んでどうなる?」
「十万億土(極楽)に行くのさ」
「極楽へ行ってどうする?」
「うるさい野郎だな。ろうそく立てになるんだ」

現行にぐっと近くなります。

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