ねぎまのとのさま【ねぎまの殿さま】落語演目

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

認識のギャップを笑う噺。
殿さまもののひとつです。

あらすじ

さるお大名が、庭の雪を眺め、急に向島の雪景色を見たくなった。

そこで、お忍びで、年寄りの側用人三太夫だけをお供に、本郷の屋敷を抜け出し、本郷切り通しから池之端仲町の、錦丹円という大きな薬屋の前に来て馬を止めると、うまそうな匂いが漂ってきた。

このあたりは煮売り屋が軒を並べていて、深川鍋や葱鮪を商っている。

ちょうど昼時で、殿さま、空腹に耐えられず、
「あれへ案内いたせ」

鶴の一声で、
「下郎の参る店でございます」
と三太夫が止めても聞かない。

縄のれんから入ると、殿さまにはなにもかも珍しく、「宮下」が大神宮さまの祭壇の下の席であると聞き、その場で拍手を打ったり、
「床几を持て」
と言いつけたりのトンチンカン。

床几の代わりに醤油樽に座らされ
「町人の食しているものはなんじゃ?」

若い衆が答えたのが、早口なものだから、殿さまには
「にゃっ」
と聞こえる。

「さようか。その『にゃー』を持て」
「へいッ、ねぎま一丁ッ」

ぐらぐらあぶった(煮た)のを見ると、煮売屋の安い葱鮪だから、鮪も骨と血合いがついたまま。

殿さま、葱を一口かむと、熱い芯が飛び出して丸呑みし、喉が焼けそうになったので、
「これは鉄砲仕掛けになっている」
と、びっくり。

酒を注文すると
「だりにいたしますか、三六にいたしますか?」

「だり」は一合四十文の灘の生一本、「三六」は三十六文の並み。

だりをお代わりして、殿さますっかりご機嫌になり、珍味であったとご満悦で、雪見をやめて屋敷へ帰る。

この味が忘れられず、何日かしてまた雪が降ると、ご膳番の留太夫に
「昼(食)の好みはニャーである」
とのお達し。

留太夫、なんのことかわからないが、ご機嫌を損ねればクビなので、聞き返せない。

首をひねった末、三太夫に聞いてやっと正体が判明したが、台所では、鮪の上等なところを蒸かし、葱もゆでて出したので、出てきたのは、だし殻同然。

殿さまは
「屋敷のニャーは鼠色であるな。さぞ珍味であろう」
と口をつけたが、あまりのまずさに
「これはニャーではない。チユーである。ミケのニャーを持て」

また、わけがわからない。

「ミケ」とは葱の白と青、血合いの垢の三色だと三太夫が「翻訳」したので、やっとその通りにこしらえると、殿さまは大満足。

熱い葱をわざわざかみつぶして
「うむ、やはり鉄砲仕掛けだ。ああ、だりを持て。三六はいかんぞ」

また三太夫に聞いて、瀬戸の徳利に猪口をつけ、灘の生一本を熱燗で持っていくと、殿さまは喜んでお代わり。

「だりと申し、ニャーと申し、余は満足に思うぞ」
「ありがたきしあわせ」
「だが留太夫、座っていてはうもうない。醤油樽を持て」

【RIZAP COOK】

 

しりたい

だり  【RIZAP COOK】

行商、駕籠、八百屋、魚屋の符丁で、4、40、400のこと。「だりがれん」だと45、450になります。

煮売り屋  【RIZAP COOK】

一膳飯屋のことです。「煮売り」は上方から来た名称で、元は、長屋の住人などが、アルバイトに屋台のうどん、そばなどを商ったのが発祥です。江戸では、元禄年間(1688-1704)に浅草に奈良茶飯を食べさせる店ができたのが本格的な飲食店、つまり煮売屋のはしりとか。落語では「二人旅」にも登場します。

錦丹円  【RIZAP COOK】

正しくは「錦袋円」、俗称を「金丹屋」ともいいました。元祖は了翁僧都という高僧で、承応4年(1655=明暦元)、夢告によって仁丹に似た錦丹円という霊薬の製法を授かり、これを売って得た三千両余で、現在の湯島聖堂の場所に寛文10年(1670)、「勧学寮」という学問所兼図書館を建設しました。大正年間まで残っていたその額は、徳川光圀(水戸黄門)の揮毫だったとか。錦丹円の娘が不忍池の主の大蛇に見初められ、池の中に消えたという伝説が残っていました。

池之端仲町  【RIZAP COOK】

舞台になる池之端仲町は、現在の東京都台東区上野二丁目。このあたりは、古くは不忍池の堤でした。上野広小路と地続きで、将軍家の直轄領なので、お成りの際の警備の都合で本建築は許されず、バラック同様の煮売屋が並んでいました。店を、上野「袴腰の土手」と設定するやり方もあります。袴腰は、上野黒門の左右の石垣をさします。その形状が袴に似ていたから。今の上野公園のあたりです。

講談からの翻案  【RIZAP COOK】

五代目立川談志(生没年不詳、明治初期-昭和初期)が、講談から落語に翻案したといわれます。講談では、殿さまは松江の雲州公(松平治郷、「目黒のさんま」参照)で、煮売り屋のおやじを召抱えて料理番にするという筋立てです。

今輔の十八番  【RIZAP COOK】

昭和の新作落語のパイオニア的存在だった五代目古今亭今輔(1898-1976)が数少ない「古典落語」の持ちネタとして十八番にしていました。

現在でもよく高座に掛けられます。客がセコなときにやる「逃げ噺」の代名詞的存在。

ことばよみいみ
葱鮪 
ねぎま
床几 
しょうぎ
錦袋円 きんたいえん

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めかうま【妾馬】落語演目



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【どんな?】

さる殿さまに見初められた妹。
お屋敷に兄の八五郎が招かれる。
とんちんかんなやり取りにも涙。

別題:八五郎出世 てかけ馬(上方)

あらすじ

丸の内に上屋敷を持つ大名赤井御門守あかいごもんのかみ

正室にも側室にも子供が生まれず、このままでは家が絶えるというので、この際身分は問わず、よさそうな女を見つけて妾にしようと、町屋まで物色している。

たまたま、好みの町娘が味噌漉を下げて、路地裏に入っていくのを駕籠の中から認め、早速家来をやって、大家に話させる。

すぐに、娘はその裏長屋住まいで名はお鶴、今年十七で、母親と兄の職人・八五郎の三人暮らしと知れた。

大家は名誉なことだと喜び、お鶴は美人の上利口者だから、何とか話をまとめて出世させてやろうと、すぐに八五郎の長屋へ。

出てきた母親にお鶴の一件を話して聞かせると大喜び。

兄貴の八五郎には、大家が直接話をする。

その八五郎、大家に、お屋敷奉公が決まれば、百両は支度金が頂けると聞き、びっくり仰天。

こうなると欲の皮を突っぱらかして二百両にしてもらい、めでたくお鶴はお屋敷へ。

兄貴の方は、持ちつけない大金を持ったので、あちこちで遊び散らし、結局スッカラカン。面目ないと長屋にも帰れない。

一方、お鶴、殿さまのお手がついて間もなく懐妊し、月満ちてお世継ぎを出産。

にわかに「お鶴の方さま」「お部屋さま」と大出世。

兄思いで利口者だから、殿さまに甘えて、一度兄にお目見えをと、ねだる。

お許しが出て、早速長屋に使いがきたが、肝心の八五郎は行方知れず。

やっと見つけ出し、一文なしなので着物も全部大家が貸し与え、御前へ出たら言葉をていねいにしろ。

何でも頭へ「お」、尻に「たてまつる」をつければそれらしくなると教えて送りだす。

さて、いよいよご対面。

側用人の三太夫が、どたまを下げいのしっしっだのと、うるさいこと。

殿さまがお鶴を伴って現れ、「鶴の兄八五郎とはその方か」と声をかけてもあがって声が出ない。

「これ、即答をぶて」と言うのを「そっぽをぶて」と聞き違え、いきなり三太夫のおつむをポカリ。

「えー、おわたくしはお八五郎さまで、このたびはお妹のアマっちょが餓鬼をひりだしたてまつりまして」と始めた。

殿さまは面白がり「今日は無礼講であるから、朋友に申すごとく遠慮のう申せ」

ざっくばらんにやっていいと聞いて、「しめこのうさぎよッ」と安心した八五郎、今度は調子に乗って言いたい放題。

まっぴらごめんねえとあぐらをかき「なあ、三ちゃん」

はてはお女中を「婆さん」などと始めたから、三太夫カリカリ。

殿さまは一向気に掛けず、酒を勧める。

八、酔っぱらうとお鶴を見つけ、感極まって「おめえがそう立派になってくれたって聞けば、婆さん、喜んで泣きゃあがるだろう。おい、殿さましくじんなよ。……すいませんね。こいつは気立てがやさしいいい女です。末永くかわいがってやっておくんなさい」と、しんみり。

最後に景気直しだと都々逸をうなる。

「この酒を止めちゃいやだよ酔わしておくれ、まさか素面じゃ言いにくい、なんてなぁどうでえ殿公」

「これっ、ひかえろ」「いや、面白いやつ。召し抱えてつかわせ」というわけでツルの一声、八五郎が侍に出世するという、おめでたい一席。

底本:五代目古今亭志ん生

しりたい

演題 【RIZAP COOK】

「めかう(ん)ま」と読みます。本来は「下」もあって、侍に取り立てられた八五郎が、殿様に使者を申しつかり、乗り慣れぬ馬に乗って暴走。

必死にしがみついているところで、「そのように急いでいずれへおいでなさる?」「行く先は、馬に聞いてくれ」とサゲます。

緻密に演じると、一時間近くはかかろうという大ネタで、四代目橘家円蔵(松本栄吉、1864-1922、品川の)なども屋敷の表門で八が門番と珍問答するあたりで切っていました。

もちろん眼目は大詰めで、べろべろになった八だけの一人芝居のような長台詞のうちにその場の光景、その場にいない母親の姿などをありあり浮かび上がらせる大真打の腕の見せ場です。

五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)は全体にごくあっさり演じていましたが、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)は胃にもたれるほどすべての場面をたっぷりと。

三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938-2001)は、前半を思い切ってカットし、最後の酔態で悲痛なほど、肉親の情愛と絆を浮き彫りにする演出でした。

ちなみに、「妾」は現代では差別語の範疇に入るものでして、新聞やテレビでは極力使いません。あってはならないものだからです。NHKでは「八五郎出世」で放送していました。ただ、芸能の認識を少し深めたのか、現在では「妾馬」で放送しているようです。えらいです。

魚屋宗五郎  【RIZAP COOK】

「妾馬」で思い出すのが歌舞伎の「魚屋宗五郎」。河竹黙阿弥の傑作です。

酒に酔って殿様の面前で言いたい放題くだをまくのは共通していますが、こちらは悲劇で、旗本の屋敷奉公にあがった妹がこともあろうに無実の罪でお手討ちになったくやしさに、一本気な宗五郎が、やけ酒の勢いで屋敷に暴れ込み、斬られるのを覚悟で洗いざらい恨み言をぶちまけます。

おめでたい「妾馬」とは違って、弱者の精一杯の抵抗と抗議が観客の胸を打ちますが、殿様の「ゆるせ」のたった一言でへなへなになってしまいます。

悲劇と喜劇の違いこそあれ、権力者に頭をなでられれば、すぐ猫のように大人しくなる下層民のメンタリティは八五郎にも共通しているのでしょう。

映画『運がよけりゃ』(山田洋次監督、松竹、1966年)で賠償千恵子扮するおつるは、恋仲の若者への思いを貫くため、敢然と殿さまのお召しをはねつけ、長屋一同もそれを応援します。少なくとも江戸時代には、そのようなことは、天地がひっくりかえってもありえなかったのでしょう。

御座り奉る  【RIZAP COOK】

『四代目小さん・聞書』(安藤鶴夫著『落語鑑賞』所収、苦楽社、1949年)によると、「妾馬」は昔、「御座り奉る」という名題で、歌舞伎で上演されたことがあるそうです。

そのほか、劇化された落語に、「大山詣り」「祇園会」「三軒長屋」「締め込み「粗忽の使者」「らくだ」「ちきり伊勢屋」とあり、現在も上演されるものに「芝浜」「文七元結」があります。むろん、円朝の怪談ものなどは別です。

「大山詣り」「らくだ」はともに岡鬼太郎脚本で、それぞれ「坊主烏賊」「眠駱駝物語」の名題。「大山詣り」(「坊主烏賊」)は初代中村吉右衛門、「祇園会」「芝浜」「文七元結」は六代目尾上菊五郎、「三軒長屋」は七代目松本幸四郎・十五代目市村羽左衛門、といずれも名優が主演しています。

ただし、どうも道具立てがどっさりで、落語から芝居にしたものは、妙にみんな面白くありませんな。

武士の側室  【RIZAP COOK】

この噺と同類の題材は川柳にも多く見られます。江戸の市中では時折あったことなのでしょう。手厚い人間関係。コネ丸出しの社会でした。

にわか武士 けだし妾の 兄にして   十六31

「けだし」は「思うに」くらいの意。まさに「妾馬」そのものですね。

能い妹 もつてちゃらくら 武士になり   二十一27

「ちゃらくら」は「でたらめ」。兄貴はちゃらくら野郎だったわけですね。

馬鹿なこと 妹が死んで 武士をやめ   二十一27

笑やるな 若殿様の 伯父御だよ   十二28

妹の おかげで馬に おぶつさり   三26

馬の行く 方へのってく にわか武士   十四11

御めかけの 母は大きな 願をかけ   四13

生まれた男の子が跡取りになってほしいと願をかける母親の心情でしょう。

かりものの 部へは入れど 手柄なり   四11

この「かりもの」は「借り腹」のこと。「かりものの部」とは「側室」を意味します。手柄は男児を産んだから。

【RIZAP COOK】



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