しゅんぷうていこりゅうし【春風亭小柳枝】噺家

2024年1月31日、老衰で死去。88歳。告別式は近親者で済ませました。

東京出身。1965年に四代目春風亭柳好(小川清、1921-92、川崎の)に入門。76年に五代目春風亭柳昇(秋本安雄、1920-2003)門下に移り、78年、真打ちに昇進し九代目小柳枝を襲名しました。

1991年に文化庁芸術祭賞、2013年に同大賞を受賞。

軽妙、端正な語り口で「井戸の茶碗」「二番煎じ」などの古典落語を得意としました。

落語芸術協会のハワイアンバンド「アロハマンダラーズ」のメンバーとして、ウクレレや歌でも寄席などを盛り上げていました。

芸協における噺上手の最高峰でした。

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【芸種】落語
【所属】日本芸術協会→落語芸術協会 相談役
【前座】1965年5月、四代目春風亭柳好(小川清、1921-92、川崎の)に、春風亭笑好で
【二ツ目】1968年9月。76年3月、五代目春風亭柳昇(秋本安雄、1920-2003)門下となり、春風亭鶏昇
【真打ち】1978年9月、九代目春風亭小柳枝
【出囃子】梅は咲いたか
【定紋】三ツ追沢瀉
【本名】臼井正春
【生年月日】1936年1月18日-2024年1月31日 88歳 老衰
【出身地】東京都新宿区四ッ谷荒木町
【学歴】東京都立昭和高校→航空写真測量の会社に10年ほど
【血液型】AB型
【ネタ】妾馬 文七元結 二番煎じ 芝浜 井戸の茶碗 など
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】アロハマンダラーズ(ウクレレ、パーカッションなど)。1976年、NHK新人落語コンクール優秀賞。1991年、第46回文化庁芸術祭賞。2013年、第68回文化庁芸術祭賞大賞。

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しゅんぷうていりゅうじょう【春風亭柳城】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】1997年11月、九代目春風亭小柳枝に、春風亭柳太で
【前座】1998年3月
【二ツ目】2002年3月。03年6月、五代目春風亭柳好門下に
【真打ち】2012年5月、春風亭柳城
【出囃子】野に咲く花のように
【定紋】丸に梅鉢
【本名】鈴木一正
【生年月日】1973年6月15日
【出身地】埼玉県行田市
【学歴】武南高校→青山学院大学
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】(白)



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あなどろ【穴泥】落語演目

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【どんな?】 

穴ぐらに入ってしまった泥棒の噺。
タイトルのまんま。

別題:穴蔵の泥棒 晦日の三両

あらすじ

三両の金策に走り回っている男。

手当てが付かずに帰宅すると、かみさんに
「豆腐の角に頭をぶっつけて死んでおしまい」
と、ののられる。

癇にさわって家を飛び出した。

どこかで借りるあてはないかと思案しながら歩いていくと、浅草の新堀端あたりの、りっぱな角蔵がある商家の、二階の雨戸がスーッと開き、なにやら怪しの人影。

これは泥棒だから、捕まえてほうびをもらおうと見ていると、その男、屋根から立てかけた大八車をはしご代わり、天水桶から地面へと飛び下りて
「義どん、早く」

なんのことはない。店の若い者が夜間、こっそり吉原へ行っただけ。

男、ふと悪心が兆し、この脱出路を逆にたどって、まんまと二階に潜入した。

三両だけ盗ませてもらい、稼いで金ができたら、煎餅の袋でも下げて返しに来ようという、能天気な料簡。

明かりが射しているので下をのぞくと、祝い事でもあったのか、膳部や銚子が散らかったままだ。

だんだん大胆になってきた、にわか泥棒、残り物を肴に酒をガブガブ。

酔ってきて思わず
「もう少し熱いのを」
と言いかけ、あわてて口を押さえるうち、小さな子どもがチョロチョロ入ってきた。

もともと子煩悩なたちなので、抱いてあやしているうち、角火鉢につまずき、その拍子で土間の穴蔵に落っこちた。

底に水がたまっていて、思わず
「番頭さん、湯がぬるい」
とわめいたので店の者が起き出し、
「泥棒だ」
と、大騒ぎ。

だんなは、祝いの後なので縄つきを出したくないからと、鳶頭の食客のむこうみずの勝つぁんという男を頼み、泥棒を穴ぐらから引きずり出した上、説諭して見逃してやることにした。

この勝つぁん、身体中彫り物だらけでいかにも強そうだが、中の泥棒に
「下りてくりゃ、てめえの踵ィ食らいつく」
と脅されるととたんに尻込み。

だんなが一両やると言うとまた威勢がよくなるが、今度は
「てめえの急所にぶる下がる」
と言われて
「ええだんな、やっぱりお役人の方が」

賞金が二両に上がると下の泥棒に
「一両やるから上がってこい」

「下りてこい。てめえの喉笛ィ食らいつくから」
「だんな、あっしはごめんこうむって」
「困るよ。じゃ、三両あげるから」

これを聞いた泥棒
「えっ、三両ならこっちから上がっていこう」

底本:八代目林家正蔵(彦六)

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しりたい

円遊の明治風物詩  【RIZAP COOK】

現存のもっとも古い原話は、嘉永年間(1848-54)刊の笑話本『今年はなし』中の「どろ棒」ですが、文化年間(1804-18)から口演されている古い泥棒噺です。

もともと「晦日の三両」「穴蔵の泥棒」という演題だったのを、楽屋でネタ帳に省略して記されるうちに、自然に縮まって現題名になったといわれます。

明治期には、三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)が速記を残しているほか、一門の初代三遊亭円右(沢木勘次郎、1860-1924、→二代目円朝)、初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)が得意にしました。

明治24年(1891)の円遊の速記を、見てみましょう。

大晦日で妻子を抱えて、借金でどうにも首がまわらなくなった、根は善良な職人の悲喜劇を鮮やかに描くとともに、女房に金策してこいと追い出された男が、「両国橋の欄干によりかかって河蒸気の走るを見下して(中略)奥山の十二階も銭がないのであがれず、公園を運動して溝を飛損ない向脛を摺りこはしたり、上野公園のぶらんこでゆすぶられて見たりして」と、明治の東京の景物詩を謳いあげたり、酔っ払って、「当時飲んだようのはサ、甘泉、ベルモット、びいるに葡萄酒、ラムネにシャンパン、日本酒、オヤ、牛の乳さアさ」という具合に、いかにも明治らしいハイカラ趣味の俗曲をうなったりと、噺の内容を離れても、当時の世相が目に浮かぶような貴重な「時代の証言」を残しています。

穴泥、昭和の名人たち  【RIZAP COOK】

昭和初期以後では、現在音源はありません。

八代目桂文楽(並河益義、1892-1971、実は六代目)が、滑稽味より、どん底に生きる貧窮者の悲哀を色濃く出して名品に仕立てたほか、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、六代目春風亭柳橋(渡辺金太郎、1899-1979)、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)が得意にしました。

あらすじ作成の底本にしたのは、八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、→彦六)のものです。

同師のは、円朝門下で有名な三遊一朝(倉片省吾、1846[1847]-1930)の直伝ですが、四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)と初代柳家三語楼(山口慶三、1875-1938)のやり方も取り入れ、向こう見ずの勝つぁんのナンセンスな描写は、三語楼の踏襲だと語っています。

ほとんどの演者は大晦日の節季に時期を設定していますが、正蔵は特に断っていません。

志ん生の爆笑編、柳好の悲劇  【RIZAP COOK】

速記、音源とも残る、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の「穴泥」は、師匠・初代三語楼の影響でしょうが、八代目文楽とは対照的な、くすぐりだくさんの爆笑編です。

なかでも、「質屋庫」の熊や「猫と金魚」の虎さんと同じく、いざとなるとからっきしダメな平さん(=勝つぁん)がいばって、尻と背中に三種類の彫り物(ひょっとこ、おかめ、般若)があると自慢したり、男が入り込んだ先で酔っ払い、独り言でかみさんとのなれそめをえんえんとノロけたりする場面は志ん生ならではのおもしろさです。

この噺はもう一つ、戦後、リズミカルで陽気な芸風で人気のあった三代目春風亭柳好(松本亀太郎、1887-1956、野ざらしの、向島の、実は五代目)の最後の高座でもありました。

昭和31年(1956)3月14日水曜日、赤坂のラジオ東京(TBS)で「穴泥」のラジオ録音を済ませた柳好は、その足で上野・鈴本の楽屋入りしましたが、数時間後に脳出血で倒れて意識不明に。同日夜、楽屋で亡くなりました。享年67。最後に穴に入るこの噺が、文字通り「墓穴」を暗示してしまったわけです。

穴蔵  【RIZAP COOK】

火災時などに貴重品を投げ込む、幅2メートル四方、深さも同じくらいの穴です。

縁板をはがして土間に掘りますが、東京の下町は標高が低く、この噺のように、穴の底に浸水していることが多かったのです。

江戸で穴蔵が初めて現れたのは、明暦2年(1656)といいますから、名高い明暦の大火(明暦3年3月18日)の前年にあたります。

穴蔵大工という専門の大工職人がいたほど、穴蔵は一般的でした。

もちろん、長屋のような借地では望むべくもありませんが、大店や老舗では穴蔵は普及していたといいます。

厚い木の板の四角形を穴蔵にすっぽり埋め込む方式、井戸をつくるように内壁を石で固める方式、素掘りで周りが土だらけの方式などがありました。

金次第でいかようにもつくれたわけです。

防火用の備えが出てくる噺には、「火事息子」「味噌蔵」「鼠穴」があります。

遠くでの火事(遠火)なら、財産を収めた土蔵に用心土で目塗り(火災で土蔵の戸前を塗り塞ぐ)をするのが普通の対策ですが、近火の場合は穴蔵に家財を投げ込み、蓋の上に盛り土や濡れ布団などをかぶせます。火が入り込まないようにするのですね。

新堀端  【RIZAP COOK】

蔵前から浅草三筋町を経て、下谷竜泉寺まで通じていた掘割です。男が侵入する家の所在は、演者により異なります。初代円遊では下谷黒門町、五代目志ん生は特定していません。

【語の読みと注】
癇 かん

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しゅんぷうていよしこう【春風亭吉好】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】2009年6月、五代目春風亭柳好に
【前座】2009年8月、春風亭吉好
【二ツ目】2013年8月
【真打ち】2023年5月1日
【出囃子】スーダラ節
【定紋】下がり藤
【本名】吉見元気
【生年月日】1980年12月12日
【出身地】千葉県流山市
【学歴】千葉大学中退
【血液型】B型
【ネタ】
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