たこぼうず【蛸坊主】落語演目

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【どんな?】

お坊さんが登場する噺。
ちょっと珍しいですかね。

【あらすじ】

不忍池の端にある料理屋、景色はよし味はよし、器もサービスも満点で大評判。

ある日、坊さんの四人組が座敷にどっかと上がり込んだ。

「われわれは高野一山の修業僧だが、幼少の折から戒律堅固に過ごしているから、なまぐさものは食らわない、精進料理を出してくれ」
と注文する。

出された料理に舌鼓を打っていた四人、急に主人を呼び出し、料理や器をほめた後、このお碗の汁はおいしいが、出汁はなにを使っているかと、尋ねる。

「はい、世間さまではよく土佐とおっしゃいますが、てまえどもでは親父の代から、薩摩を使っておりますので」
「はあ、そりゃいったい、なんのことで?」
「鰹節の産地でございます」

鰹節とは何で作るのかと重ねて問われて、主人は青ざめたが、もう遅い。

「とんだことで、ご勘弁を願います」
と平謝りし、
「すぐに清めの塩を持ってこさせ、昆布の出汁で作り直させます」
と言い訳しても、坊さん四人はいっかな聞かない。

かえって居丈高になり、
「魚類の出汁を腹の中へ入れてしまっては、口などすすいでも清まるものではない。われわれ四人は戒律堅固に暮らしていたのが、この碗を食したために修業が根こそぎだめになった。もう高野山には帰れないから、この店で一生養ってもらう」
と、無理難題。

新手のゆすりとわかった時には、もう手遅れ。

坊さんは寺社奉行のお掛かりで、町奉行所に訴えてもどうにもならない。

困り果てていると、向こうの座敷で食事をしていた、鶴のように痩せた老僧がこれを聞きつけた。

主人を呼んで、
「愚僧が口を聞いて信ぜよう」
と申し出たので、主人は藁にもすがる思いで頼む。

ほかの座敷の町人連中、
「なにやら坊さんが四枚そろったが、けんかになりそうだから、ドサクサに紛れて勘定を踏み倒しちまおう」
と、ガヤガヤうるさい。

老僧、四人の座敷へおもむくと、
「料理をうまくしたいという真心がかえって仇となったので、刺し身を食らっても豆腐だと思えば修業の妨げにはなりますまい」
と、おだやかに説くが、四人は相手にしない。

老僧、急に改まって
「最初から高野一山の者とおっしゃるが、貴僧たちはこの愚僧の面体をご存じか」

知らないと答えると、大音声で
「あの、ここな、いつわり者めがッ」
(芝居がかりで)「そも高野と申す所は、弘仁七年空海上人の開基したもうところにして、高野山金剛峯寺と名づけたる真言秘密の道場。諸国の雲水一同高野に登りて修業をなさんとする際、この真覚院の印鑑なくして足を止めることができましょうや。高野の名をかたって庶民を苦しめるにせ坊主、いつわり坊主、なまぐさ坊主、蛸坊主」
「これ、蛸坊主と申したな。そのいわれを聞こう」
「そのいわれ聞きたくば」
と、四人が取りついた手を振り払い、怪力で池の中にドボーン。片っ端から放り込んでしまった。

四人とも足を出して、池の中にズブズブズブ。

「そーれ、蛸坊主」

底本:八代目林家正蔵(彦六)

【うんちく】

東京では彦六 【RIZAP COOK】

原話は不詳で、本来は純粋な上方落語です。

明治以来、大阪方が「庇を貸して母屋を乗っ取られた」演目は数多いのですが、この噺ばかりは、東京はほんのおすそ分けという感じです。

桂米朝、露の五郎兵衛、桂文我ほか、レパートリーとしているのは、軒並み西の噺家。

東京では、八代目林家正蔵(彦六)が、かつてこの噺を得意にしていた大阪の二代目桂三木助(1884-1943)に習い、舞台を江戸に移して演じたのみです。正蔵の口演は映像が残されているので、古格の芝居噺の型を、今も偲ぶことができます。

あまりおもしろい噺ではないうえ、後半は鳴り物入りで芝居噺となる古風さも手伝ってか、正蔵没後は東京では今のところ、継承者がいません。

舞台設定はいろいろ 【RIZAP COOK】

二代目三木助は、大坂茶臼山ちゃうすやま(大坂の陣の古戦場)の「雲水」という普茶料理ふちゃりょうりの店を舞台としていました。これが、上方の古い型だったのでしょう。

正蔵は、ここに紹介したように、上野不忍池のほとりとし、店の名は特定していません。でも、幕末の池之端あたりには、この噺に登場するような大きな料亭が軒を並べていました。

「不忍池にすると、上野(=寛永寺)の宗旨は天台ですから、そこへ真言の僧が来るのはおかしいということになりますが、これはまァ見物にでも来たとすれば、そう無理はないと思います」
という、正蔵の芸談が残っています。

場所一つ設定するのも、いいかげんにはできないもののようです。

上方でも、桂米朝は、舞台を生玉神社近くの池のほとり、老僧の名を「修学院」としていました。

雲水 【RIZAP COOK】

一般には、托鉢たくはつしながら旅の修行を続ける禅宗系の僧侶をさします。ここでは、老僧の言葉にあるように、高野聖こうやひじりと呼ばれる諸国修行の真言僧です。

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あかいしんにょ【赤い信女】川柳 ことば

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石塔せきとうの赤い信女をそそのかし  拾二09

「赤い信女」は夫に先立たれた女性。

落語の世界では「後家さん」として登場します。

「信女」とは仏式で葬った女性の戒名(僧が死者に付ける名)の付ける称号で、男性の場合は「信士」。先に亡くなった夫の墓に「〇〇信女」と法号を刻んで、この人の妻はまだ生きていますよというしるしに赤で字を塗るところから、「赤い信女」という熟語が生まれました。

たいていの辞書には項目として載っています。

川柳に登場する「赤い信女」なるものは、亡夫に操を立てたのはいいけれど、人生そう短くはなく、生きているうちに世間の誘惑に惑わされて後悔している妻の心境を詠む場合に登場します。

これも川柳や落語での類型です。川柳の世界では、このような後家さんをまどわすのは寺の坊さんだというのが通り相場です。

妻帯できない浄土真宗以外の各宗派の僧侶がこの手の女性を狙っている、というのが世間の常識でした。

浄土真宗は略して「真宗」としても登場しますが、この宗派は、宗祖の親鸞自身が妻帯したため、今日まで真宗の僧侶は頭も丸めず妻帯しています。

ただ、現在の仏教界では、真宗以外の各宗の坊さんも妻帯しています。これは明治以降のことです。日本の仏教界の現在は、戒律が緩い状態にあります。江戸時代のほうがまだ厳しかったのです。

辻善之助が『日本仏教史』が唱えた「江戸時代以降、日本の仏教は葬式仏教に堕した」といった説は、最近の研究では見直されてきています。

そうはいっても、江戸時代、寺社は大きな幕府や各藩から禄をいただいていたために生活には困らず時間もしっかりもあったようです。

そのような状態では、ろくでもない思いにいたる僧侶も少なくはなかっただろうという推測はかなうでしょうね。

信女の月をよどませる和尚也  筥二15

「月をよどませる」とは生理が止まった由。和尚がはらませた、ということ。

「信女の月」は「真如の月」の洒落。

「真如」とは万物の本体。すべてに通じる絶対普遍の真理。「真如の月」は闇と照らすように真理が人の心の迷いを破ること。

真理は迷妄を開くわけで、はらませれば別な迷妄が開く、というわけでしょうか。

ろくでもない坊さんが描かれています。

ちなみに、「真如の月」の対語は「無明長夜むみょうじょうや」。煩悩にとらわれて仏法の根本がわからずに迷った状態でいることで、光のない長い夜にたとえたものです。

「無明の闇」といった表現でも登場します。真如の月=悟り、無明の闇=迷い、ということですね。

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