癇癪 かんしゃく 演目

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近代人の小言幸兵衛。他人に当たり散らす、怒りんぼうの噺です。

【あらすじ】

大正のころ。

ある大金持ちのだんなは、有名な癇癪持ち。

暇さえあれば家中点検して回り、
「あそこが悪い、ここが悪い」
と小言ばかり言うので、奥方始め家の者は戦々恐々。

今日も、その時分にはまだ珍しい自家用車で御帰宅遊ばされるや、書生や女中をつかまえて、やれ庭に水が撒いていないの、天井にクモの巣が張っているのと、微に入り細をうがって文句の言い通し。

奥方には、
「茶が出ていない、おまえは妻としての心掛けがなっていない」
と、ガミガミ。

おかげで、待っていた客がおそれをなして、退散してしまった。

それにまた癇癪を起こし、
「主人が帰ったのに逃げるとは無礼な奴、首に縄付けて引き戻してこい」
と言うに及んで、さすがに辛抱強い奥方も愛想をつかした。

「妻を妻とも思わない、こんな家にはいられません」
と、とうとう実家へ帰ってしまう。

実家の父親は、出戻ってきた娘のグチを聞いて、そこは堅い人柄。

「いったん嫁いだ上は、どんなことでも辛抱して、亭主に気に入られるようにするのが女の道だ、『けむくとも 末に寝やすき 蚊遣かな』と雑俳にもある通り、辛抱すれば、そのうちに情けが通ってきて、万事うまくいくのが夫婦だから、短気を起こしてはいけない」
と、さとす。

「いっぺん、書生や女中を総動員して、亭主がどこをどうつついても文句が出せないぐらい、家の中をちゃんと整えてごらん」
と助言し、娘を送り返す。

奥方、父親に言われた通り、家中総出で大掃除。

そこへだんなが帰ってきて、例の通り
「おい、いかんじゃないか。入り口に箒が立てかけて」
と見ると、きれいに片づいている。

「おい、帽子かけが曲がって、いないか。庭に水が、撒いてある。ウン、今日は大変によろしい。おいッ」
「まだなにかありますか」
「けしからん。これではオレが怒ることができんではないか」

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【しりたい】

作者は若だんな

益田太郎冠者(本名・太郎、1875-1953)が明治末に、初代三遊亭円左(1911没)のためにつくった落語です。

作者の父親は三井財閥の大番頭として明治大正の財界に重きをなした男爵益田孝(1848-1938)。

せがれの方は帝劇の重役兼座付作者で、主に軽喜劇と女優劇のための台本を執筆しました。

「女天下」「心機一転」「ラブ哲学」「新オセロ」などの作品がありますが、特に大正9年(1920)、森律子主演のオペレッタ「ドッチャダンネ」の劇中歌として作詞作曲した「コロッケの唄」は流行歌となり、今にその名を残しています。

落語も多数書いていますが、現在演じられるのはこの「かんしゃく」くらいです。

富豪の日常を描写

明治末から大正期に運転手付きの自家用車を持ち、豪壮な大邸宅で大勢の書生や女中にかしづかれ、そのころはまだ珍しい扇風機まで持っているこのだんなの生活は、そのまま作者の父親のそれを模写したものと見ていいでしょう。現代的感覚からすると、もはや古色蒼然。さほどおもしろくもありませんが、わずかに主人公の横暴ぶりを、演者の腕によって誇張されたカリカチュアとして生かせると、掘り出し物になるかもしれません。

文楽の十八番

初演の円左の速記は残っていません。円左没後は、三代目三遊亭円馬を経て戦後、八代目文楽が一手専売、十八番のひとつにしました。ひところはよく、客席から「かんしゃく!」と、リクエストされたとか。作られたのは明治期ですが、文楽が作者の許可と監修のもとに細部を整え、大正ロマン華やかなりしころに時代設定したものでしょう。

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堪忍袋 かんにんぶくろ 演目

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こんな便利な袋があったら、世の中丸くおさまるんですがねぇ。

【あらすじ】

長屋に住む大工の熊五郎夫婦はけんかが絶えない。

今日も朝から、
「出てけッ、蹴殺すぞ」
と修羅場を展開中。

出入り先のだんなが用事で来あわせ、隣にようすを聞くと、今朝からもう四度目という。

見かねただんな、仲裁に入り、
「昔、唐土(もろこし)のある人が、腹が立つと家の大瓶にみんなぶちまけて蓋をすると、人前ではいつも笑い顔しか見せない。友達連中が何とかあいつを怒らしてみようと、料亭に呼んで辱めたが、ニコニコしているだけ。そのうち中座して帰宅し、例の通り瓶に鬱憤をぶちまける。友達連中、不審に思って男の家に行ってみると、逆に厚くもてなされたので、それから、あれは偉い人間だと評判になり、出世をして、しまいには大金持ちになった。笑う角には福来るというが、おまえたちもそうのべつけんかばかりしていては福も逃げるから、その唐土のまねをしてごらん」
とさとす。

瓶の代わりに、おかみさんが袋を一つ縫って、それを堪忍袋とし、ひもが堪忍袋の緒。

お互いに不満を袋にどなり込んで、ひもをしっかりしめておき、夫婦円満を図れと知恵を授ける。

熊公、なるほどと感心して、さっそく、かみさんに袋を縫わせた。

まず、熊が
「亭主を亭主と思わないスベタアマーッ」
とどなり込む。

続いて、かみさんが
「この助平野郎ゥーッ」

亭主「この大福アマッ」
かみ「しみったれ野郎ッ」

隣で将棋をさしている連中、さすがにうんざりして、代表がしぶしぶ止めに来るが、熊がケロっとしているので面食らう。

事情を聞くと、ぜひ貸してくれと頼み、こちらも袋に向かって
「やい、このアマッ、亭主をなんだと思ってやがるんだッ」

これが大評判になり、来るわ来るわ。

おかげで、袋は長屋中のけんかでパンク寸前。

明日は、海にでも捨ててくるしかない。

また、誰かが来ると困るから戸締まりをして寝たとたん、酔っぱらった六さんが表をドンドン。

開けないと、雨戸の節穴から小便をたれると脅かす。

しかたがないので中に入れると、仕事の後輩が若いのに生意気で、オレの仕事にケチをつけやがるから、ポカポカ殴ったら、みんなオレばかりを止めるので、こっちは殴られ放題、がまんがならねえから、どうでも堪忍袋にぶちまけさせろと、聞かない。

「もう満杯だから、明日中身を捨てるまで待ってくれ」
と言って、承知しない。

「こっちィ貸せ」
とひったくると、袋の紐をぐっと引っ張ったから、中からけんかがいっぺんに
「パッパッパッ、この野郎ッ、こんちくしょう、ちくしょう、この野郎ー」

底本:五代目柳家小さん

【しりたい】

作者は三井の息子

益田太郎冠者(1875-1953)の作です。益田は、三井財閥の大番頭で明治・大正の財界の大立者・益田孝の長男。大正初期に、帝劇のオペレッタを多数制作し、「コロッケの唄」などのヒットで、時代の寵児となりました。同時に明治末から大正初期にかけて、第一次落語研究会のために新作落語を多数創作しています。

この噺もその一つで、八代目桂文楽の十八番だった「かんしゃく」同様、初代三遊亭円左(「松竹梅」「粗忽の釘」「反対車」、明治42年没)のために書き下ろされたものです。

堪忍袋

ギリシア神話の「ミダス王の耳はロバの耳」を下敷きにしている節もあります。

「堪忍五両思案は十両」「堪忍五両負けて三両」など、江戸時代には、「堪忍」は単なる処世術、道徳というより功利的な意味合いで使われることが多かったようです。

オチの工夫

この噺のあらすじでは、オチは五代目柳家小さんのものをもとにしています。

オリジナルの原作では、袋が破れたとたんに亭主が酔っ払いを張り倒し、「なにをするんだ」「堪忍袋の緒が切れた」と落としていたといいますが、古い速記はなく、現在はこのやり方は行われません。

この噺を得意にしていた三代目三遊亭金馬は「中のけんかがガヤガヤガヤガヤ」としています。

立川談志は口げんかが過激ではででしたが、「堪忍」の実例に「十八史略」の韓信の股くぐりの故事、大坂城落城の木村長門守や、講談の、忠臣蔵の神崎与五郎の逸話(あらすじでは省略)を出すなどどの演者も大筋のやり方は同じです。

それにしても「カンニン」という言葉自体ももう死語になろうとしていますね。こんないまこそ、絶滅危惧日本語をいろんな場面でどんどん使ってみたいものです。