まんびょうえん【万病円】演目

ろくでもない奴の脅しテクニック集ともいえる小咄の連続ものです。

別題:侍の素見 ないもん買い(上方)

【あらすじ】

悪侍の行状記。

その一 湯屋にて

湯船の中で、自分の褌ばかりか、女房の下袴まで堂々と洗濯。

ほかの客から番台に苦情が出て、湯銭をみんな返させられるので、困った親父がおそるおそる抗議すると、
「きさまは番台で男客の○○や××を預かるか」
と逆襲。

「アレは切り離せないから預かれない」
と言うと、
「正物は平気で湯につけているのに、それを包む風呂敷である褌を洗うのが、なぜいけない」
と屁理屈で逆ネジ。

帰りしなに、わざと五両中判を出し、釣りを出せと無理難題。

まんまと湯銭を踏み倒す。

その二 居酒屋にて

肴をいろいろ聞いて、番頭が
「あとは、蟹のようなもの」
と答えると
「じゃ、その『ようなもの』をくれ」

蛸も海老もゆでると赤くなると聞いて
「それじゃ、稲荷の鳥居はゆでたのか」
などとからかった挙げ句、
「どうだ、蟹代あんこう代鱈の四文なりというのは」
と、しゃれでケムにまき、番頭がだまされて承知したのをタテに、支払った代金は三品取って、酒代と合わせてたった八文。

文句を言うと
「値段を決めておいてそれが成らんとあれば主人を出せ。刀の手前、容赦はできん」
とすごんだ上、
「町奉行所に訴え出る」
と脅して、まんまと飲食代を踏み倒す。

その三 菓子屋にて

小僧をつかまえて、
「饅頭の蒸籠の上で褌を干させろ」
と無理難題。

金鍔を猫の糞、餡ころ餠を馬糞などと汚いことを言ってからかい、小僧が、一つ四文の積もりで
「餡ころ餠はいくつ召しても四文で」
と言ったのを、あちこち食い散らして、都合十個食い、
「いくつ食っても、と言ったのだから全部で四文だ」
と強弁。

「一つ四文ならなぜそう申さん。フラチな奴だ。主人を出せ。らちが明かなければ裁判を」
とコワモテ。

まんまと饅頭代を踏み倒す。

その四 古着屋にて

袷の綿入れの値段を聞くと、掛け値なしの三両二分。

これを一分一朱に負けさせようとしたが、失敗。

サンピン、盗ッ人、団子、屁でもかげと、親父の悪態を背に退散。

これで三勝一敗。

その五 神屋にて

例によって疫病神はあるが、疱瘡神はどうだと攻撃をしかけ、風の神は、と聞くと「ございます」

扇を出され、「開かねば 扇も風の 蕾かな」という句で、切り返される。

ここは薬も売っているのに目をつけ、もう一勝負。

万病の薬と張り紙があるので、
「病の数は四百四病と心得るが、万病とは大変に増えているな」
「子供の百日咳を入れると五百四病で」
「算盤を貸せ。五百四病だな」
「殿方の病で疝気を入れると千五百四病」
「なるほど」
「ご婦人の産前産後もあれば、脚気肥満(=四万)もあります」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

「居酒屋」と共通の原話も  【RIZAP COOK】

昭和から戦後では、三代目三遊亭金馬、六代目三升家小勝がよく演じましたが、最近はあまり高座に掛けられません。

各部分で原話が異なります。

湯屋と菓子屋のくだりは不明ですが、居酒屋の部分は文化3年(1806)年刊の咄本『噺の見世開』(十返舎一九)中の「酒呑の横着」。この部分は昭和期に、三代目三遊亭金馬が「居酒屋」として独立、改作し、大ヒットを飛ばしました。

次の古着屋くだりは、上方落語「ないもん買い」の踏襲で、原話は安永5年(1776)刊『立春噺大集』中の「通り一遍」、紙屋の方は同2年(1773)刊『千年艸』中の「紙屋」です。このうち、前者の原話では古着屋の代わりに道具屋と竹細工屋がなぶられ、後者の紙屋のオチは「風の神なら、おくりやれさ(=送れ)」と言って踏み倒します。

この噺の核になる、最後の薬屋のくだりは、貞享4年(1687)刊の笑話本『正直咄大鑑』中の「万病錦袋円」が最も古い形です。

これは、下谷・池の端の「くわ(か)んがくや(屋)だいすけ」という江戸名代の薬屋で、「錦袋円(きんたいえん)」なる万病に効く霊薬を売り出したところ、浪人がゆすりにやってくるという設定。

「四百四病」の言いがかりはそのままで、機知のある店の若い者が、「あなたのような御浪人さまにも『臆病』という病はあるはず」と、切り返すところが異なります。

宝暦5年(1755)刊の『口合恵宝袋』中の「万病円」では、京都二条の薬屋で「十三味地黄丸」の看板を見た男が「地黄丸 造血・強精剤)は六味か八味のはず」と、因縁をつけるところから始まり、主人が「あまり売れないので五味(=ゴミ)がかって十三味」と、撃退されます。その後、やはり「万病円」と四百四病の問答から、疝(千)気→腸満(=万)でオチになります。

文化4年(1807)刊『按古於当世』中の「もがりいいの侍」を経て天保15年(1844)刊の『往古噺の魁』中の「ねぢ上戸」では、さらにシャレが豊富になり、「百日咳」「産前産後」「脚気肥満」と、より現行に近くなっています。

いずれにしても、たわいないダジャレの応酬の繰り返し。「一目あがり」同様、だんだん数が増えていくだけのものなので、落語家がそれぞれシャレを工夫して、付け加えていったものなのでしょう。

類話といえる上方の「ないもん買い」が幕末の桂松光の楽屋ネタ帳「風流昔噺」に記載されているところから、この噺も、やはり幕末から明治初期に、最終的にまとめられたと思われます。

オチから古びた噺  【RIZAP COOK】

明治29年(1896)3月、「侍の素見」と題した四代目橘家円喬の速記がありますが、大筋は現行のものと変わりません。オチはいくつかのバージョンがあり、近代のやり方では「一つで腸満(=兆万)」とする方が一般的。ただ、「腸満」という病名そのものが古めかしく、通じなくなっているので、どっちもどっちでしょう。

万病円  【RIZAP COOK】

実在した薬です。解毒剤で、京都室町の御香具所、植村和泉掾が本家発売元。江戸では、浅草茅町と京橋尾張町の虎屋甚右衛門が委託販売していました。

五両中判  【RIZAP COOK】

正しくは天保五両判金といい、天保8年(1837)から安政2年(1855)までの18年間通用しました。大判十両と小判一両の間です。幕府の財政難から、貨幣「お吹き替え」の一環として天保小判と同時に鋳造され、翌年には天保大判も発行されました。これらは粗悪な貨幣で、特に中判は純金の含有割合が少なく、評判が悪かったため、ほとんど流通しないまま終りました。

なぜこんな大金を浪人風情が持っていたのかはわかりません。ゆすった金か、さもなければ、ニセ金かも知れませんね。もし、金に困っていないのなら、この男、純然たる「愉快犯」ということになります。

金馬以後はやり手なし  【RIZAP COOK】

「侍の素見(ひやかし)」と題した、四代目橘家円喬の速記(明治29=1896年)が最古です。短い噺なので円喬は、昔は侍がどれだけいばっていたか、というテーマの小咄を、マクラに二題振っています。オチの「脚気肥満」は、江戸っ子が「ヒ」を「シ」と発音することから、「ヒマン」→「シマン(=四万)」としたダジャレで、円喬の工夫かもしれません。

戦後では三代目三遊亭金馬と六代目三升家小勝が得意とし、速記は両者、音源は金馬のもののみが残ります。金馬は、この噺に居酒屋が登場するため、同題の自身のヒット作との縁で、よくこちらも高座に掛けていました。東京では最近は、ほとんど聞かれません。金馬は、原話の「万病円」や、上方のオチにならって「一つで腸満(=兆万)があります」と、オチていました。

あらすじは、前述、円喬の速記を参考にしましたが、五両判のくだりがあることで、古い型を踏襲していることがわかり、この噺の成立時期がおよそ見当がつきます。

上方噺「ないもん買い」  【RIZAP COOK】

現在でも、笑福亭仁鶴などが得意とするネタです。

東京と異なり、なぶりに来るのは、タチの悪い町人です。最初に古着屋で、三角の布団や袷の蚊帳を出せと無理難題を言ったあと、魚屋で「『めで鯛』をくれ」。けんかになったところで仲裁が入り、「おまえもたいない(=たわいない、大阪弁)やっちゃな」「いや、タイがあったさかいに、こんな目におうた」と、オチになります。古くはこのあと、「万病円」につなげることも。その場合、オチはやはり「たった一つで腸満」でした。

【語の読みと注】
褌 ふんどし
四文なり しもんんなり:「紙代判行代でただの四文なり」という読売瓦版の売り立て
饅頭 まんじゅう
蒸籠 じょうろう
金鍔 きんつば
袷 あわせ
疝気 せんき
脚気肥満 かっけしまん:肥満を四万にかける
腸満 ちょうまん:腹腔内に液体やガスがたまって腹部膨満感を起こす症状

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がまのあぶら【蝦蟇の油】演目

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ホント、昔はよく縁日で見かけたもんです、こういうの。

【あらすじ】

その昔、縁日にはさまざまな物売りが出て、口上を述べ立てていたが、その中でもハバがきいたのが、蝦蟇の油売り。

ひからびたガマ蛙を台の上に乗せ、膏薬が入った容器を手に、刀を差して、白袴に鉢巻、タスキ掛けという出て立ち。

「さあさ、お立会い。御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで。遠目山越し笠のうち、物の文色(あいろ)と道理がわからぬ……」

さまざまに言い立てて、なつめという容器の蓋をパッと取り、「手前持ち出したるはこれにあるヒキセンソウはがまの油。……手前持ちいだしたるは四六のがまだ。四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、後足の指が六本。これを名づけて四六のがま。このがまの棲める所は、これより、はァるゥか北にあたる筑波山の麓にて、オンバコという露草を食らう。……このがまの油を取るには、四方に鏡を立て、下に金網を敷き、その中にがまを追い込む。がまはおのれの姿が鏡に映るのを見ておのれで驚き、たらーりたらりと脂汗を流す。これを下の金網にてすき取り、柳の小枝をもって、三七二十一日の間とろーり、とろりと煮詰めたるのがこのがまの油だ。赤いはシンシャヤシイの実、テレメンテエカにマンテエカ、金創には切り傷、効能は、出痔イボ痔、はしり痔ヨコネガンガサ、その他腫れ物一切に効く。いつもはひと貝で百文だが、今日はおひろめのため、小貝を添え、二貝で百文だ」と、怪しげな口上で見物を引きつけておいて、膏薬の効能を実証するため、刀で白紙を三十六枚に切ってみせた。

「……かほどに斬れる業物でも、差裏差表へがまの油を塗る時は、白紙一枚容易に斬れぬ。さ、このとおり、たたいて……斬れない。引いても斬れない。拭き取る時はどうかというと、鉄の一寸板もまっ二つ。触ったばかりでこれくらい斬れる。だがお立会い、こんな傷は何の造作もない。がまの油をこうして付ければ、痛みが去って血がピタリと止まる」

こんな案配で、むろんインチキだが、けっこう売り上げがいいので気を良くしたがまの油売り、売り上げで大酒をくらってベロンベロンに酔ったまま、例の口上。

ロレツが回らないので支離滅裂。それでもどうにか紙を切るところまではきたが、「さ、このとおり、たたいて……切れた。どういうわけだ?」

「こっちが聞きてえや」
「驚くことはない、この通りがまの油をひと付け付ければ、痛みが去って……血も……止まらねえ……。二付け付ければ、今度はピタリと……かくなる上はもうひと塗り……今度こそ……トホホ、お立会い」
「どうした」
「お立会いの中に、血止めはないか」

【しりたい】

はなしの成立と演者

「両国八景」という風俗描写を中心とした噺の後半部が独立したものです。酔っぱらいが居酒屋でからむのを、連れがなだめて両国広小路に連れ出し、練り薬売りや大道のからくり屋をからかった後、がまの油売りのくだりになります。

前半部分は先代(三代目)金馬が酔っぱらいが小僧をなぶる「居酒屋」という一席ばなしに独立させ、大ヒット作にしました。金馬は、がまの油の口上をそのまま「高田の馬場」の中でも使っています。

昭和期では三代目春風亭柳好が得意にし、六代目三遊亭円生、八代目林家正蔵も演じました。大阪では、「東の旅」の一部として桂米朝など大師匠連も演じました。

上方版ではガマの棲息地は「伊吹山のふもと」となります。

オチは現行のもののほか、「(血止めの)煙草の粉をお持ちでないか」とすることもあります。

本物は……?

本物の「がまの油」はセンソといい、れっきとした漢方薬です。ガマの分泌液を煮詰めて作るのですから、この口上もあながちデタラメとはいえません。ただし、効能は強心剤、いわゆる気付け薬です。一種の覚せい剤のような作用があるのでしょう。

口上中の「テレメンテエカ」は、正しくは「テレメンテエナ」で、ポルトガル語です。松脂を蒸留して作るテレビン油のこと。芳香があり、染料に用います。

六代目円生「最後の高座」

1979年(昭和54)8月31日、死を四日後にひかえた昭和の名人・六代目三遊亭円生は、東京・三宅坂の国立小劇場でのTBS落語研究会で、「蝦蟇の油」を回想をまじえて楽しそうに演じ、これが公式には最後の高座となりました。

この高座のテレビ放送で、端正な語り口で解説を加えていた、劇作家・榎本滋民氏も2003年(平成15)1月16日、亡くなっています。

マンテエカ

『昭和なつかし博物学』(周達生、平凡社新書)によると、マンテエカはポルトガル語源で豚脂、つまりラードのことで、薬剤として用いられたそうです。

いやあ、知識というものはどこに転がっているかわかりませんな。不明を謝すとともに、周氏にはこの場を借りて御礼申し上げます。

同書は、ガマの油売りの詳細な実態ほか、汲めども尽きぬ文化人類学的知識が盛りだくさんでおすすめの一冊です。

ジャズのディジー・ガレスピー。ご当地シリーズの名曲「manteca」はジャマイカをイメージして彼が作ったものですが、このマンテカは「蝦蟇の油」のマンテエカと同語源です。英軍が現地人を虐殺、そのごろごろした死体の山をマンテカと呼んだというのが曲名の由来です。世界は狭いもので。なんともいやはや。

「ガマの油」でご難の志ん生

五代目古今亭志ん生が前座で朝太時分のこと。東京の二ツ目という触れ込みでドサ(=田舎)まわりをしているとき、正月に浜松の寄席で「がまの油」を出し、これが大ウケでした。

ところが、朝の起き抜けにいきなり、宿に四,五人の男に踏み込まれ、仰天。

「やいやい、俺たちゃあな、本物のガマの油売りで、元日はばかに売れたのに、二日目からはさっぱりいけねえ。どうも変だてえんで調べてみたら、てめえがこんなところでゴジャゴジャ言いやがったおかげで、ガマの油はさっぱりきかねえってことになっちまったんだ。おれたちの迷惑を、一体全体どうしてくれるんだッ」

ねじこまれて平あやまり、やっと許してもらったそうです。

志ん生が自伝「びんぼう自慢」で、懐かしく回想している「青春旅日記」の一節です。

【蝦蟇の油 三遊亭円生】

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

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