【どんな?】
滑稽噺の珍品。落語には他人の脆弱部分を無責任に笑う噺がたまにあります。
別題:口惜しい 鼻の仇討ち
【あらすじ】
手習いの師匠をしている浪人。
女遊びがたたって悪い病気をもらい、鼻の障子が落ちてしまった。
子供たちに素読の稽古をしても、言葉が鼻に抜け、
「みにゃひゃん、ぴゃんとおつくえにむがって。やまははきがゆえにはっとからず」
これではわからない。
自然、表へ出ると人が顔をじろじろ見るような気がして、恥じて昼間は外出もしないようになる。
心配した奥方は、気晴らしに戸塚の親戚のところに四、五日保養に行くよう勧めた。
それも気散じによかろうと、顔を隠して朝早く家を出て、送ってきた奥方と品川で別れると、東海道を西へ。
道中で知りびともいないので、気楽な旅を続けて鈴が森にさしかかった。
年をとった馬子に、帰り馬なので二百文でいいからと頼まれ、馬に乗ってよもやま話になる。
この馬子、年は六十一だというが、きれいに頭が禿げている。
そこで浪人、一首浮かんで
「はぎやま(禿山)の みゃえ(前)に 鳥居はなけれども うひろ(後ろ)にかみが ひょっとまひまふ(ちょっとまします)」
馬子、なるほど江戸のだんなは違うと感心しながら、浪人の顔をじろじろ。
「だんなァ、わしが一つ返歌すべえか。けれども、怒っちゃいけねえよ」
「怒らんからやれ」
「山々に名所古蹟は多けれど、はなのねえのが淋しかるらん」
「やまやまにめいひょこへきはおおけれど、はにゃのにゃいのが……うーむ、馬方、馬をとみろとみろッ」
浪人、恥をかかされて真っ赤になって怒った。
「それだから、怒っちゃだめと断ったでがす」
「だみゃれ、ぶひに対ひて不埒なことを言うやつ」
馬を飛び降り、そのまま駕籠に乗って家に引き返した。
怒りがおさまらず、驚く奥方に一件をぶちまけたが、興奮のあまり、最後はフニャフニャと、何を言っているか聴き取れない。
奥方、聞き終わると、やにわに長押の薙刀をつかんで
「あなた、御免あそばせ」
と、外へ駆け出した。
「これ女房、血相変えていずれへみゃいる」
「知れたこと。後追っかけてあなたさまの仕返しを」
「へぐまい(急くまい)、雉も鳴かずば撃たれみゃい、歌も詠ますば返歌もしみゃい」
「ちぇー、口惜しゅうございます」
「そちは口おひいか。わひは、はにゃが、ほひい」
【しりたい】
原話は間男噺 【RIZAP COOK】
原話は、享保13年(1728)刊『軽口機嫌嚢』巻二の「油断大敵」です。
これは、女房が不義密通の現場を亭主に踏み込まれ仲裁が入った結果、命だけは助け、それ以外はご存分にということで話が決まります。
で、両人の鼻をそいだ後、「心がら(行い)とは言いながら、さぞ口惜しかろう」「いえ、口は惜しくありませんが、鼻が惜しい」と、現行と同じまぬけオチになっています。
これも円生の逃げ噺 【RIZAP COOK】
初代三遊亭円右の、明治44年(1911)の速記が残っています。
円右の叔父分で、円朝直門の最後の生き残りだった三遊一朝老人から、若き日の六代目円生が直伝され時々演じました。
もちろん、「四宿の屁」「おかふい」などと同様、客がセコなときにやる「逃げ噺」でした。
この噺、あまり後味がいいとは言えず、円生没後はあまり演じ手はありません。
差別云々はともかく、梅毒で鼻がもげるということが、ほとんど皆無の現代では、噺の実感が伝わらないからでしょう。
八代目雷門助六(1906-93)が、最後の女房の言葉から「口惜しい」の題で演じたのは珍しい例で、他に「鼻の仇討ち」の別題もあります。
シャバにおさらば鈴が森 【RIZAP COOK】
東京都品川区南大井。
古くは山賊の巣として知られましたが、江戸時代には何を置いても慶安4年(1651)開設の処刑場で有名です。
江戸のタイバーンで、北の千住小塚原とともに公開処刑は市民の恰好のレクリェーションとなりました。
いくら罪人とはいえ、人が殺されるのを、江戸のはずれまでわざわざ見にいくのですから。幕府としては見せしめでしょうが、第1号は丸橋忠弥でした。
「お七」「お七の十」「真景累ケ淵」「三人旅」「本堂建立」など、多くの噺の舞台です。
そのものずばり「鈴が森」は、上方落語「崇禅寺馬場」の改作で、東京では先代円遊だけが演じた珍品。十一代目桂文治の持ちネタです。派手な演出の爆笑編である上方のものに比べ、凡作の泥棒噺。おもしろくもなんともありません。
鼻の障子 【RIZAP COOK】
鼻腔を二つに分ける軟骨の美称(?)です。そこに梅毒の病原体が侵入し、末期は腐って鼻梁が落ちます。
鷹の名に お花お千代は きついこと
これは川柳の傑作で、夜鷹の女に鼻なしが多いのを皮肉ったもの。「お花お千代」はもちろん「お鼻落ちよ」の洒落です。
ほかに「夏座敷」などとも呼びましたが、まあ、汚水処理場を「○○公園」などと粉飾するようなもんでしょうか。
【語の読みと注】
馬子 まご
駕籠 かご
長押 なげし
薙刀 なぎなた