ねこただ【猫忠】演目

【RIZAP COOK】

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明治中期に上方から。当初は「猫の忠信」でしたが、お得意の縮めた呼称に。

あらすじ

美人の清元の師匠に、下心見え見えで弟子入りしている、次郎吉と六兵衛の二人。

次郎が、師匠と兄貴分の吉野屋常吉がいちゃついているのをのぞき、稽古を辞めると息巻くので、六さん、「常兄ィは堅い人なのにおかしいな」と首をひねり、二人で確かめに行くと、案の定、差し向かいで盃をさしつさされつ。

悔しいから、常吉のかみさんに告げ口して、夫婦げんかをあおってやろうと、相談する。

たまたま、今度のおさらい会で師匠が着る衣装を縫っていたかみさん、二人が「師匠が『お刺身の冷たいのは毒だよ』なんぞと口ん中でペロペロと温かにして、兄貴の口へ……」などと並べるのを聞いて「けんかをしずめてくれるのが情けなのに、わざわざ波風を立てに来るのはどういうつもりだい」と、怒り出す。

亭主は今の今、奥で寝ている、という。

噺を聞きつけて当の常吉がノッソリ現れたから、二人は仰天。

いきさつを聞いた常吉。

そういえば、最近床屋に行くと「やっぱり他人じゃないんで、唄のお仕込が違うんでしょう」などと妙なことを言われるので、オレの姿を借りて、師匠の家に入り込んでいる奴がいるのかもしれないと、思いめぐらす。

二人を連れて現場に駆けつけ、障子の隙間からのぞいてみると、なるほど、自分に瓜二つの男が師匠としっぽり濡れているから、驚いた。

これは狐狸妖怪に違いないと、二人に「先ィ入って、向こうで盃をくれたら、油断を見澄まして野郎の耳を触ってみろ。獣は耳を触られると動くから、そうしたら大声で『ぴょこぴょこッ』とでもどなれ」と、言いつける。

二人がおそるおそる声をかけると、酔っぱらった声で「よう、次郎と六じゃねえか。こっちィ入んねえ」

気のせいか、声の調子が違う。

酒を出されると「ひょっとして、馬の小便じゃねえか」と、二人はびくびく。

ご返盃に相手が手を出したところを押さえつけ、耳を触ると案の定、ぴくぴく動く。

「ぴょこぴょこだッ」
と叫ぶ声で、本物の常吉が飛び込んできたので、師匠は
「あら、常さんが二人」
と、仰天。

「やい、おれ……いや、てめえは化性のもんだな。真の吉野屋常吉、吉常(=義経)が調べる。白状しろ」

妖怪はすっかり恐れ入り、
(芝居がかりで)「はいはい、申します申します。わたくしの親は、あれ、あれあれあれ、あれに掛かりしあの三味線、わたくしはあの三味線の子でございます」

師匠の三味線の革にされた親を慕ってきた、とさめざめ泣く。ヒョイと見ると、正体を現した大きな猫がかしこまっている。

「兄貴、今度のおさらいは『千本桜』の掛け合いだろう。狐忠信てのはあるが、猫がただ酒をのんだから、猫がただのむ(=猫の忠信)だ。あっしが駿河屋次郎吉で駿河の次郎。こいつは亀屋六兵衛で亀井の六郎。兄貴が弁慶橋に住む吉野屋の常さんで吉常(義経)。千本桜ができたね」
「肝心の静御前がいねえ」
「師匠が延静だから静御前」

師匠が「あたしみたいなお多福に、静が似合うものかね」と言うと、側で猫が「にゃあう(似合う)」

【RIZAP COOK】

しりたい

著作権料は誰のもの? 【RIZAP COOK】

もともと古い上方落語で、大阪の笑福亭系の祖とされる、松富久亭松竹の創作といわれてきましたが、実は原話は、文政12年(1829)江戸板の初代林屋(家)正蔵著「たいこの林」中の「千本桜」で、ほとんど現行と同じです。

松竹という人、今もって生没年、経歴、年代不詳で、それどころか、実在自体が確認できない、「落語界の写楽」ともいえる謎の噺家です。

それでいて、松竹の手になるといわれる噺は多く、この「猫忠」のほか、「初天神」「松竹梅」「千両みかん」「たちぎれ」など、ほとんど現在でも、東西でよく演じられる名作、佳作ばかりです。

江戸の正蔵が始祖とすると、噺の伝播は江戸→大坂であって、松竹説は怪しくなるのですがともかく、噺としては上方で確立しており、松竹の年代も不明なため、東西どっちがパクったか、真相は藪の中。

猫又にでも、聞いてくださいな。

東西の演出 【RIZAP COOK】

芝居噺の名手だった、六代目桂文治が明治中期に上方の型を東京に移植。

初めは「猫の忠信」の題で演じられましたが、東京ではのちに縮まって「猫忠」とされ、それが現代では定着しました。

その文治の明治30年の速記を始め、八代目文治、大阪の五代目・六代目松鶴、六代目三遊亭円生とさまざまな名人の速記が残ります。

東西でそう大きな変動はありませんが、上方では始めに次郎吉が師匠の家をのぞく場面があります。

上方は見あらわしに乗り込むとき、最初に常吉ではなく、女房がいっしょに行くところが東京と異なり、大阪では女師匠が義太夫、東京では常磐津か清元である点も違っています。

円生は延静で演じましたが、「延」が付くのは清元の師匠で、家元の延寿太夫の一字を取ったもの。

「百川」に登場の歌女文字師匠のように、「文字」が付けば常磐津です。

「千本桜」四段目の口の舞踊「道行初音旅」は、義太夫と清元もしくは常磐津の掛け合いになるので、噺にこうした師匠が登場するわけです。

東ではやはり、この人 【RIZAP COOK】

昭和に入って戦後にかけ、東京でのこの噺の第一人者はやはり、六代目三遊亭円生でした。

円生は、三代目三遊亭円馬から習っています。

オチは、円生以外は東西ともほとんど「ニャウニャウ」と二声でしたが、円生は円馬に倣って、すっきりと一声に改めました。

東京ではほかに、三代目桂三木助も演じました。

「義経千本桜」のパロディ

「義経千本桜」、通称「千本」は全五段の時代浄瑠璃。

初演は延享4(1747)年11月、大坂・竹本座、作者は「仮名手本忠臣蔵」と同じチームで、竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作です。

この噺は、人物名がすべて「千本桜」の役名のもじり。

オチ近くの化け猫のセリフは、四段目の切「河連法眼館」(通称「狐忠信」)のパロディで、芝居の狐の、

「わたくしはあの、鼓の子でござります」

のもじりです。なお詳しくは、「初音の鼓」をご参照ください。

5世尾上菊五郎演じる忠信を描いた錦絵/画・豊原国周 、国立国会図書館所蔵

弁慶橋 【RIZAP COOK】

東京都中央区岩本町二丁目のあたり。神田の藍染川に架かっていた橋ですが、幕末にはもうありませんでした。

付近には駿河町、亀井町など、源義経の四天王にちなんだ町名が並んでいました。

藍染川、駿河町については「三井の大黒」参照。

【RIZAP COOK】

どうとり【胴取り】演目

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他人の不幸をせせら笑う、江戸っ子のあさはかでいやらしいところがよく出ています。

【あらすじ】

露天博打ですってんてんにされた職人。

寒さにふるえ、
「ついてねえ」
と、ぐちりながら
「土手は寒かろォォ」
と、やけで都々逸をうなって道を急いでいると、ふいに
「それへめえる町人、しばらく待て」
と呼び止められる。

驚いて、暗がりをすかして見ると、大柄な侍。

むかっ腹が立って
「なんの用だか知らなえが、江戸は火事早えんだ、とんとんやっつくれ」
と、まくしたてると
「身供は今日、国元より初めてまかり越した。麹町へはどうめえるか、教えろ」

男、田舎侍と侮って八つ当たり気味に
「この野郎、おおたばなことォぬかしゃあがって。どうでもめえれ。東ィ行ってわからなきゃあ西、西で知れなきゃ北、東西南北探せ。どっか出らあ。ぐずぐずしやがると、たんたんで鼻かむぞ」
「無礼を申すと手は見せんぞ。長いのが目に入らんか。……二本差しておるぞ」
「てやんでえ田子作め。見せねえ手ならしまっとけ。手妻使いじゃあるめえし、そんな長いもんが目に入るか。二本差しがどうしたんでえ。二本差しがこわくて田楽で飯が食えるか。気のきいた鰻なんぞァ四本も五本もさしてらァ。まごまごしゃあがると引っかくぞ」

男、侍にいきなり痰と唾をひっかけた。

これがご紋どころへ、べっとり。

侍、堪忍袋の緒が切れて
「おのれ無礼者ッ」
と、長いのをすっと抜く。

さすがに驚いて、ばたばたと逃げてかかると、追いかけた侍、
「えいっ」
と、掛け声もろとも居合いでスパッと斬り、あっという間に鞘に納めると、謡をうたって行ってしまった。

男、「つらァみやがれ」と、悪態をついているうちに、なんだか首筋がひんやり。

首がだんだん左回りに回ってずれてくる。

そのうち完全に真横を向き、息が漏ってきた。

「野郎、いったい何しゃあがったか」と、首筋をしごくと赤い血がベットリ。

「野郎、斬りゃあがった」
と、あわてて下を向くと、とたんに首は前に転げ、胴体だけが掛け出し、橋を渡ったところでバッタリ。

そこへ、威勢よく鼻唄をうなった男が来かかる。

酒が入って懐が温かいらしい。首だけで見上げると、友達の熊。

いきなり声をかけられたが、姿が見えないのでキョロキョロ。

「どこにいるんだ?」
「足もと」

見ると首だけがどぶ板に乗っかって、しゃべっている。

「どうしたんだよ。……おやおや、だから言わねえこっちゃねえ。くだらねえサンピンにかかわるなって。で、胴はどうした? 橋向こう? そりゃ、てえへんだ」

熊が
「今日は博打の目が出て、二、三十両もうかった」
と自慢すると、首が
「五両貸してくれ」
と、頼む。

「そらあ、友達だから貸さねえもんでもねえが、その金でどうしようってんだ?」
「へへっ、橋向こうに胴を取りに行く」

【しりたい】

クビが飛んでも動いてみせるわ

前半は「首提灯」と同じで、原話は安永3ねん(1774)刊の笑話本『軽口五色帋』中の「盗人の頓智」ほかの小咄です。「首提灯」をご参照ください。

江戸落語と思いきや、噺としては上方種で、長く大阪で活躍した三代目三遊亭円馬が東京に移植した「逆輸入噺」です。

戦後は、三代目三遊亭小円朝が持ちネタにしましたが、ポピュラーな「首提灯」と前半がほとんど同じなので、小円朝没(1973年)後はほとんど演じられません。

一つには、「館林」「首提灯」と同様に首を斬られてもしゃべるという奇想天外さを持ちながら、斬られてからのセリフが長すぎるため、せっかくの新鮮な印象が薄れてしまうということも、あるのでしょう。

おおたば

「この野郎、おおたばなことォぬかしゃァがってェ」
と、タンカの先陣を切りますが、おおたばは「大束」で、本来は「並々でないことを安易に安っぽく扱うこと」。ところが、どこかで意味の誤用が定着したのか、それと正反対の「大げさなこと」という意味に変わりました。さらにそこから、「傲慢」「尊大」「横柄」「大言壮語」という意味がついたのですから、ややっこしいかぎりです。

この場合は悪態ですから、当然第二の意味ですが、「もっとご丁寧に頼むのが礼儀なのに、町人と侮って、安易にぬかしゃあがって」という意味にも取れなくはありません。

蛇足ながら、ネイティブの発音では「おおたば」の「ば」は「ば」と「ぼ」の中間の破裂音です。

胴取り

バクチで親になることで、オチは、もちろんそれと掛けた洒落です。

浅黄裏

あさぎうら。「棒鱈」「首提灯」を聴いてもわかりますが、ご直参の旗本には一目置いていた江戸っ子も「浅黄裏」と蔑称する田舎侍は野暮の象徴です。江戸勤番ともいい、参勤交代で藩主について国許から出てきた藩士です。同じ藩中でも、江戸詰めの者は、中には江戸の藩邸で生まれ、勤務はずっと在府で、国許を知らないことさえあったのですから、その立ち居振る舞いや意識の乖離は相当のものでした。

江戸勤番でも、立ち返りといってそのまま引き返す者と、藩主の在府中、江戸に留まる者とに分かれていました。

しかし、やがてその浅黄裏どもに完膚なきままにやられ、江戸を占領蹂躙されてしまったのですから、ベランメエも口ほどにもありません。

露天博打

野天丁半ともいい、ほとんどイカサマでした。江戸では、浅草の大鳥神社境内が本場。円朝の「怪談牡丹燈籠」の伴蔵の啖呵、「二三の水出しやらずの最中、野天丁半ぶったくり」は有名で、水出しも最中も露天博打の種類です。

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ちょうちんや【提灯屋】演目

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上方から東京にもってきた噺。滑稽噺の秀作です。

【あらすじ】

無筆が多かった昔の話。

町内でチンドン屋が、広告を配って歩いている。

長屋の連中、広告を見てやってきたと言えば向こうで喜び、お銚子の一本も出すかも知れないと、さっそく出かける相談。

ところがあいにく、誰も字が読めず、何屋なのかわからない。

そば屋ならもっとのびた字を書きそうなものだし、寿司屋なら握った字を書いてあるはず、てんぷら屋か、はたまた中華料理か、変わったところで、大阪ではすっぽんをまるというから、こう字が丸まったところを見てすっぽん屋かしら、いや、かしわ(鶏)料理屋だろうと、食い意地が張って、片っ端から食い物屋の名前を並べ立てても、らちが明かない。

そこへ米屋の隠居が来たので、読んでもらうと、これが食い物ではなく、提灯屋の新規開店の広告。

一同がっかり。

「当日より向こう七日間は開店祝いとして、提灯のご紋、笠の印等は無代にて書き入れ申し候。柏町一丁目五番地、提灯屋ブラ右衛門」と、あった。

万一、書けない紋があるときは、お望みの提灯をタダでくれるというので、「大きなことを抜かしゃあがる。それなら証拠の広告を持って、タダでもらってこようじゃねえか」と、一座の兄貴分が計略を巡らす。

とても書けないような紋を言い立て、へこましてやろうという算段だ。

まず一人目が、
「鍾馗さまが大蛇を輪切りにした紋を書いてみろ」
と判じ物で迫り、降参させる。

鍾馗さまは剣を持っていて、うわばみを胴斬りにしたから、まっ二つに分かれて片方がうわ、もう片方がばみ。併せて、剣かたばみ、というわけ。

二人目は
「仏壇の地震てんだが、書けるか?」

仏壇に地震がくれば、りんもどうもひっくり返るから、りんどう崩し。

これで、ぶら提灯を二つせしめた。

三人目は「髪結床看板が湯に入って熱い」という、妙な紋。

髪結床の看板はねじれていて、熱いからうめろというので、合わせてねじ梅。

四人目は
「おめえだな、提灯をただくれるてえのは」
と、最初からもらったも同然というずうずうしさ。

この男のが長い。
「算盤の掛け声が八十一で、商売を始めて、もうかったが持ちつけない銭を持って、急に道楽を始めた。家に帰らないから嫁さんが意見がましいことを言う。なに言ってやんでえベラボウめ。男の働きだ。ぐずぐず言うならてめえなんぞ出ていけってんで、かみさんを離縁しちまった」
という紋。

謎解きは、八十一は九九、もうかったから利があり、これでくくり。かみさんが去っていったから、合わせてくくりざる。

出す提灯、出す提灯、みんなタダで持っていかれた提灯屋、もうなんとでも言ってきやがれ、とヤケクソ。

一方、町内は提灯行列。

そこへ、隠居までやって来た。

さあ、こいつが元締めかと、提灯屋はカンカン。

隠居、よりによって一番高い高張提灯がほしいと抜かす。しかも二つも家まで届けろというから、念がいっている。

「で、紋だが」
「ほうら、おいでなすった。鍾馗さまが大蛇を輪切りにして、仏壇の地震でもって、八十一が商売始めて、もうかってかみさんを離縁したって言おうてんだろう」
「落ち着きなさい。私の紋は丸に柏だ」
「うーん、元締めだけあって、無理難題を言ってきやがる。丸に柏、丸に柏と……あッ、わかった。すっぽんにニワトリだろう」

【しりたい】

提灯屋の集団

噺の中に「傘の印」とあるように、傘を合わせてあきなっているところも多く、その場合、傘の形をした看板に「ちゃうちん」と記してありました。「花筏」をご参照ください。

もちろん、この噺でわかるように、紋の染物屋も兼ねた、三業種兼業のマルチ企業だったわけです。

判じ物

判じ物は、狭義では絵や文字から、隠された意味を解かせるもので、現在の絵解きパズルに当たります。単なるなぞなぞ、なぞかけを意味することもあり、この噺で持ち込まれる難題は、そちらに当たります。

江戸っ子はシャレ好きで、地口、なぞかけなど、さまざまなクイズを楽しみ、時には賭けの対象にしました。

代表的ななぞかけには、

宵越しのテンプラ→揚げ(=上げ)っぱなし 
金魚のおかず→煮ても焼いても食えない 
やかんの蛸→手も足も出ない

などがあります。「宵越しのテンプラ」などは、現在でもエスカレーターが上りだけで下りがないビルなどに使えそうですね。

『浮世断語』(三代目三遊亭金馬著、河出文庫から復刻)」は、江戸っ子学の宝庫で、こうしたなぞかけ、判じ物についてわかりやすく解説し、実例も豊富に載っています。

残る速記は五代目小さんのだけ

落語としては上方が本家で、東京移植者は三代目三遊亭円馬と言われますが、はっきりしません。円馬から四代目柳家小さんを経て、五代目小さんに継承されました。現在、小さん一門を中心に演じられていますが、手掛ける者は多くはないようです。

速記、音源とも、長らく五代目のものだけでしたが、柳家小三治、三遊亭小遊三などのCDも出ています。上方では、露の五郎兵衛が演じていました。

発掘された原話

原話はずっと不明とされていましたが、武藤禎夫(落語研究家)は、明和6年(1769)刊『珍作鸚鵡石』中の「難題染物」を原型としてあげています。

これは、提灯屋は登場しませんが、大坂・嶋の内に「難題染物」の看板を掲げる店があり、そこの主人が無類の囲碁好き。今日も友人と碁盤を囲んでいるときに「一つ足らん狐の一声」という紋の注文が来ます。わからずに考え込むと、友人が、「九曜の紋(大円の周りを八つの小円が囲む)なら十に一つ足らず、狐の一声なら『コン』で、合わせて紺の九曜」と、教えるという筋です。

紋を注文するのに、なぞかけで出すという趣向が、確かに「提灯屋」の原話と思わせる小咄です。

【語の読みと注】
鍾馗 しょうき
判じ物 はんじもの:謎かけ

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きんめいちく【金明竹】演目

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「寿限無」と並ぶ言い立ての心地よい噺。必聴です。

あらすじ

骨董屋のおじさんに世話になっている与太郎。

少々頭に霞がかかっているので、それがおじさんの悩みのタネ。

今日も今日とて、店番をさせれば、雨宿りに軒先を借りにきた、どこの誰とも知れない男に、新品の蛇の目傘を貸してしまって、それっきり。

「そういう時は、傘はみんな使い尽くして、バラバラになって使い物にならないから、焚き付けにするので物置きへ放り込んである、と断るんだ」
としかると、鼠が暴れて困るので猫を借りに来た人に
「猫は使い物になりませんから焚き付けに……」
とやった。

「ばか野郎、猫なら『さかりがついてとんと家に帰らなかったが、久しぶりに戻ったと思ったら、腹をくだして、粗相があってはならないから、またたびを嘗めさして寝かしてある』と言うんだ」

そう教えると、おじさんに目利きを頼んできた客に
「家にもだんなが一匹いましたが、さかりがついて……」

こんな調子で小言ばかり。

次に来たのは上方者らしい男だが、なにを言っているのか、さっぱりわからない。

「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度、仲買の弥市の取り次ぎました道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三所もの。並びに備前長船の則光、四分一ごしらえ横谷宗岷小柄付きの脇差し、柄前はな、だんなはんが古鉄刀木といやはって、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうにな、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。次は、のんこの茶碗、黄檗山金明竹、ずんどうの花いけ、古池や蛙飛び込む水の音と申します。あれは、風羅坊正筆の掛け物で、沢庵、木庵、隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、もし、わてのだんなの檀那寺が、兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、かようお伝え願います」
「わーい、よくしゃべるなあ。もういっぺん言ってみろ」

与太郎になぶられ、三べん繰り返されて、男はしゃべり疲れて帰ってしまう。

おばさんも聞いたが、やっぱりわからない。

おじさんが帰ってきたが、わからない人間に報告されても、よけいわからない。

「仲買の弥市が気がふれて、遊女が孝女で、掃除が好きで、千ゾや万ゾと遊んで、しまいに、ずんどう斬りにしちゃったんです。小遣いがないから捕まらなくて、隠元豆に沢庵ばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前の国に親船で行こうとしたら、兵庫へ着いちゃって、そこに坊さんがいて、周りに屏風を立てまわして、中で坊さんと寝たんです」
「さっぱりわからねえ。どこか一か所でも、はっきり覚えてねえのか?」
「確か、古池に飛び込んだとか」
「早く言いなさい。あいつに道具七品が預けてあるんだが、買ってったか」
「いいえ、買わず(蛙)です」

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しりたい

ネタ本は狂言 【RIZAP COOK】

前後半で出典が異なり、前半の笠を借りに来る部分は、狂言「骨皮」をもとに、初代石井宗淑(?-1803)が小咄「夕立」としてまとめたものをさらに改変したとみられます。

類話に享和2年(1802)刊の十返舎一九作『臍くり金』中の「無心の断り」があり、現行にそっくりなので、これが落語の直接の祖形でしょう。

一九はこれを、おなじみ野次喜多の『続膝栗毛』にも取り入れています。「夕立」との関係は、「夕立」が著者没後の天保10年(1839)の出版(『古今秀句落し噺』に収録)なので、どちらがパクリなのかはわかりません。

後半の珍口上は、初代林家(屋)正蔵(1781-1842)が天保5年(1834)に自作の落語集『百歌撰』中に入れた「阿呆の口上」が原話で、これは与太郎が笑太郎となっているほかは弥市の口上の文句、「買わず」のオチともまったく同じです。

前半はすでに文化4年(1807)の喜久亭寿曉の落語ネタ帳『滑稽集』に「ひん僧」の題で載っているので、江戸落語としてはもっとも古いものの一つですが、前後半を合わせて「金明竹」として一席にまとめられたのは明治維新後と思われます。

「骨皮」と「夕立」 【RIZAP COOK】

骨皮 シテが新発意(しんぼち=出家間もない僧)でワキが住職。檀家の者が寺に笠を借りに来るので、新発意が貸してやり、住職に報告したところ、ケチな住職が「辻風で骨皮バラバラになって貸せないと断れ」としかる。次に馬を借りに来た者に笠の口上で断ると、住職は「バカめ。駄狂い(発情による狂馬)したと断れ」。今度はお経を頼みに来た者に、「住職は駄狂い」と断ったので、聞いた住職が怒り狂い、新発意が、お師匠さまが門前の女とナニしているのは「駄狂い」だと口答えして大ゲンカになる筋立て。

ボタンの掛け違いの珍問答は、民話の「一つ覚え」にヒントを得たとか。

夕立 主人公(与太郎)は権助、ワキが隠居。笠、猫と借りに来るくだりは現行と同じです。三人目が隠居を呼びに来ると、「隠居は一匹いますが、糞の始末が悪いので貸せない」。隠居が怒って「疝気が起こって行けないと言え」と教えると次に蚊いぶしに使う火鉢を借りにきたのにそれを言い、「どこの国に疝気で動けない火鉢がある」と、また隠居がしかると権助が居直って「きんたま火鉢というから、疝気も起こるべえ」

石井宗淑は医者、幇間、落語家を兼ねる「おたいこ医者」で、長噺の祖といわれる人。

東京に逆輸入 【RIZAP COOK】

この噺、前半の「骨皮」の部分は、純粋な江戸落語のはずながらなぜか幕末には演じられなくなっていて、かえって上方でよく口演されました。

明治になって、それがまた東京に逆輸入され、後半の口上の部分が付いてからは、四代目橘家円喬、さらに三代目三遊亭円馬が得意にしました。

円喬は、特に弥市の京都弁がうまく、同じ口上を三回リピートするのに、三度とも並べる道具の順序を変えて演じたと、六代目円生が語っています。

代表的な前座の口慣らしのための噺として定着していますが、戦後は五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭円生、三代目三遊亭金馬など、多数の大看板が手掛け、現在に至っています。

中でも金馬は、昭和初期から戦後にかけ、流麗な話術で「居酒屋」と並び十八番としました。

CDは三巨匠それぞれ残っていて、柳家小三治のもありますが、口上の舌の回転のなめらかさでは金馬がピカ一だったでしょう。志ん生は、前半部分を再び独立させて演じ、後半はカットしていました。

祐乗 【RIZAP COOK】

ゆうじょう。後藤祐乗(1440-1512)は室町時代の装剣彫刻の名工です。足利義政の庇護を受け、特に目貫にすぐれた作品が多く残ります。

光乗 【RIZAP COOK】

こうじょう。後藤祐乗の曾孫(1529-1620)です。やはり名工として織田信長に仕えました。

長船 【RIZAP COOK】

おさふね。鎌倉時代の備前国の刀工長船氏で、祖の光忠以下、長光、則光など、代々名工を生みました。

宗珉 【RIZAP COOK】

そうみん。横谷宗珉(1670-1733)は江戸時代中期の金工で、絵画風彫金の考案者。小柄や獅子牡丹などの絵彫を得意にしました。

金明竹 【RIZAP COOK】

福建省原産の黄金色の名竹です。黄檗山万福寺から日本に渡来し、黄檗宗の開祖となった隠元禅師(1592-1673)が、来日して宇治に同名の寺を建てたとき、この竹を移植し、それが全国に広まりました。観賞用、または筆軸、煙管のらおなどの細工に用います。

隠元には多数の工匠が同行し、彫刻を始め日本美術に大きな影響を与えましたが、金明竹を使った彫刻もその一つです。

漱石がヒントか 【RIZAP COOK】

「吾輩は猫である」の中で、二絃琴の師匠の飼い猫、三毛子の珍セリフとして書かれている「天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘」は、落語マニアで三代目小さんや初代円遊がひいきだった漱石が「金明竹」の言い立てからヒントを得たという、半藤一利氏の説があります。落語にはこの手のギャグはかなりあり、なんとも言えません。

【語の読みと注】
目貫 めぬき:刀の目釘に付ける装身具
小柄 こづか
隠元 いんげん
黄檗山 おうばくさん

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尿瓶 しびん 演目

★auひかり★

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いまどきは「しびん」を知らない人もいるかも。

別題:しびんの花活け(上方)

【あらすじ】

田舎の侍が、道具屋をあさると、古いしびんを見つけた。

侍、これを花瓶と間違えて、
「明日国元に帰るが、土産物にしたいからぜひほしい」
という。

道具屋が
「それはしびんでございます」
と正直に言っても
「ああ、しびんという者が焼いたか」
と、いっこうに通じない。

そこで道具屋の安さん、このばかを一つ引っかけてやれと
「これは日本に二つとないものでございます。だんなさなのお目利きには感服いたします」
とおべんちゃらを並べ、
「五両」
と吹っ掛ける。

知らぬほど怖いものはなく、侍は
「安い」
と喜び、即金で買っていった。

花瓶と勘違いして、侍が宿で花をいけていると、知り合いの本屋があいさつに来て、
「それは小便をするしびんでございます」
と教えたから、さあ怒ったのなんの。

道具屋にどなり込み、
「手討ちに致すから首を出せ」
と刀の柄に手を掛けたから、安さんは真っ青になって震えた。

「病気の老母に、朝鮮人参という五両もする高い薬をのまさなければなりません。その金欲しさ、悪いこととは知りながら、ただのしびんを五両でお売りしました。母の喜ぶ顔を見ますれば、もうこの世に思い置くことはございませんから、その時まで命を預けてください」

もちろん、その場からドロンするつもりでのウソ八百。

侍は
「孝行のためとあらばさし許す」
と帰っていった。

おふくろなんぞ、もう三年前に死んでいる。

隣の吉つぁんが騒ぎを聞きつけてやって来て
「おい、首ゃあついているかい。それにしてもさすがはお侍、よく代金を返せと言わなかったな」
「それもそのはず。小便(売買契約破棄)はできねえ。しびんは向こうにある」

★auひかり★

【うんちく】

朝鮮人参

時代劇に登場する、高価な薬といえばこれ。享保年間(1716-36)に種子が朝鮮から渡来しました。根を乾燥したものが、漢方薬に用いられます。肝心の薬効は、強壮・健胃などで、疲労や虚脱、胃腸虚弱などに効果があるとされますが、むろん万能薬ではありません。

「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星由良之助に、「人参のんで首くくるようなもの」というセリフがあります。これは、高価な人参を無理して手に入れて病人が回復しても、べらぼうな薬代の借金で結局は首をくくらなければならない、という皮肉で、ムダな骨折りという意味のことわざになっています。

この程度の薬でも町人にとっては「高嶺の花」で、江戸時代では事実上、無医、無薬同然、病気になればほとんどが「はいそれまでよ」だったわけです。

しびん

「しゅびん」ともいい、昔は陶製でした。

八代目桂文楽(黒門町の)も、マクラで説明しているのですが、江戸時代は瀬戸物屋で、たかだか20-25文が相場。

日用品なので、いくら侍でも知らないのはおかしいと言えなくはありませんが、現代同様、元来病人、老人の使うものなので、どこの家にもあるという品ではありませんでした。

文楽の隠れた十八番

三代目三遊亭円馬が、大阪在住中に仕込んだ上方落語「しびんの花活け」を東京風に直しました。円馬に芸を仕込まれた八代目桂文楽が直伝で継承、十八番の一つに仕立てたものです。文楽在世中は、東京ではほかにやり手はありませんでした。

本家の大阪では、橘ノ圓都(1883-1972)が持ちネタとし、道具屋は大坂の日本橋筋の露店、武士は鳥取藩士で演じました。

演題は、「こいがめ」と同様に汚いので、「花瓶」で演じられることもあります。

「小便」はご法度

というわけで、買わずに逃げる意味の「小便」は、もともと江戸ことばですが、現在でも業界では普通に使われているようです。

道義的には、商取引上は一種の詐欺行為と見なされるので、「引っ掛ける」から「小便」としゃれたものでしょう。もとは、露天商などの符丁でした。「左少弁」は、どうも怪しいものです。

「小便」の由来

原話は、宝暦3年(1753)刊の『軽口福徳利』中の「しゆびん」、続いて同13年(1763)刊『軽口太平楽』中の「しゅびんの花生」があげられます。いずれも大坂ルーツですが、もっとも古い原型は、元禄7年(1694)、江戸で刊行の『正直咄大鑑』赤之巻四「買て少弁」中の「商人の物売にねをつけてまけたるとき、かわぬを江戸ことばにしやうべんのするといふ由来」という、長ったらしい題の小咄もみられます。

これは、左少弁道明卿という公家の家人が主命で江戸に下り、日本橋の骨董屋で散々値切ったあげく買わなかったことから、常識をわきまえないのを「少弁」→「しょうべん」と呼んだ由来話です。これが「小便=買わずに行く」と転化したわけでしょうが、ともかく現行のオチの部分の元となっています。

宝暦年間の二つの原話は田舎者と無筆の者をからかう内容です。

前者は、田舎者がしびんを十個も買うのでわけを尋ねると、「故郷でそばを打つので、つゆを入れる猪口にする」という笑話。

後者は、逆に客がしびんと気付いて詰問するので、花瓶だとだまそうとした亭主がしどろもどろになり「いえ、そんな名のあるものではありません」とごまかすもの。

どちらも「小便」のくだりはありませんが、後者の方が現行により近い内容です。

【語の読みと注】
日本橋筋 にっぽんばしすじ

★auひかり★

九州吹き戻し きゅうしゅうふきもどし 演目

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 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

あまりかかることのない、珍しい噺です。粗っぽくて、いや、どうも。

【あらすじ】

放蕩の挙げ句、お決まりで勘当された、元若だんなのきたり喜之助。

それならいっそ、遊びのしみ込んだ体を生かそうと幇間になったが、金を湯水のごとく使った癖が抜けず、増えるのは不義理と借金ばかり。

これでは江戸にいられないと、夜逃げ同然に流れ流れてとうとう肥後の熊本城下へ。

一目で一文なしとわかるみずぼらしい風体になったので、どの宿屋も呼び込んでくれない。

ふと眼についたのが、江戸屋という旅籠の看板。

江戸という名の懐かしさに、
「えい、なんとかなるだろう」
とずうずうしく上がり込み、明日は明日の風が吹くとばかり、その夜は酒をのんでぐっすり寝入ってしまった。

翌朝、
「おや、喜之さんじゃなか」
と誰かが声を掛けるので、ひょいと見ると昔なじみで、湯屋同朋町にいた大和屋のだんな。

このだんなも商売をしくじり、江戸を売ってはるばるこの地へ流れ着き、今ではこの旅籠の主人。

喜之助、地獄に仏とばかり、だんなに頼んで板場を手伝わせてもらい、時には幇間の「本業」を生かして座敷にも出るといったわけで、客の取り持ちはさすがにうまいので、にわかに羽振りがよくなった。

こうして足掛け四年辛抱して、貯まった金が九十六両。

ある日、だんなが、
「おまえさんの辛抱もようやく身を結んできたんだから、あと百両も貯めたらおかみさんをもらい、江戸屋ののれんを分けて末永く兄弟分になろう」
と言ってくれたが、喜之助はここに骨を埋める気はさらさらない。

日ごと夜ごと、江戸恋しさはつのるばかり。

そこでだんなに、
「一人のおふくろが心配で」
と切り出すと、
「おまえさんのおっかさんはもう亡くなっているはずだが」
と、苦笑しながらも、
「まあ、そんなに帰りたければ」
と、親切にも贔屓のだんな衆に奉賀帳を回して二十両余を足し前にし、餞別代わりに渡してくれた。

出発の前夜、夢にまで見た江戸の地が踏めると、もういても立ってもいられない喜之助、夜が明けないうちに江戸屋を飛び出し、浜辺をさまよっていると、折よく千五百石積の江戸行きの元船(荷船)の水手に出会った。

便船(荷船に客を乗せること)は天下のご法度だが、病気のおふくろに会いに行くならいいだろうと、特別に乗せてもらうことになった。

海上に出てしばらくは申し分ないよい天気で、船は追い風をはらんで矢のように進んだが、玄界灘にさしかかるころ、西の空から赤い縞のような雲が出たと思うと、雷鳴とともにたちまち大嵐となった。

帆柱は折れ、荷打ちといって米俵以外の荷は全て海に投げ込み、一同、水天宮さまに祈ったが、嵐は二日二晩荒れ狂う。

三日目の夜明けに打ち上げられたのが、薩摩の桜島。

江戸までは四百里、熊本からは二百八里。

帰りを急ぎ過ぎたため、百二十里も吹き戻されたという話。

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【しりたい】

円朝もサジ投げた噺

原話や成立過程などはいっさい不明です。初代古今亭志ん生(1809-56)が得意にしていました。おそらく、天保年間(1830-44)のことでしょう。その志ん生も、鈴々舎馬風から金千疋(約二両二分)で譲ってもらったというので、起源はかなり古いと思われます。

初代志ん生は、江戸後期の人情噺の名手で、三遊亭円朝の芸の上で伯父分にあたります。その円朝は、若き日に志ん生の「九州吹きもどし」を聴き、とても自分はできないと断念。後年、門下にも口演を禁じたほどでした。

談志や雲助が復活

円朝没後、その「禁」を破って、孫弟子の三代目三遊亭円馬が大正期に高座にかけ、十八番としました。円馬と同時期では他に初代柳家小せんが演じ、戦後では四代目円馬が師匠譲りで持ちネタに。

その後、まったく絶えていたのを、立川談志が復活しました。筋としてはかなり荒っぽい噺ですが、後半はスケールが大きなスペクタクルで、芸格の大きな人が演じると、引き立つ噺でしょう。近年では、五街道雲助の持ちネタです。

きたり喜之助

主人公の名ですが、これは江戸の言葉遊びで、「来たり」(よしきた!)の頭韻を合わせただけの洒落を、そのまま人名にしたものです。「きたり喜の字屋」も同じです。                       
山東京伝作(1761-1816)の黄表紙(絵入り読み物)、「江戸生艶気樺焼」にも使われ、表記では「北里喜之助」とあります。 

奉賀帳

ほうがちょう。もともとは、社寺に寄進する金額を記した帳面で、のちには寄付を募った時、その金額と氏名を記録する台帳の意味で使われました。「奉加帳を回す」といえば、仲間がピンチのとき、有志が友人一同に、義援金を集めて回ること。つまりは、カンパのことですね。

元船

もとぶね。親船ともいい、荷船の中でも特に大船を指します。ここでは薩摩藩の船という設定です。実際、薩摩のものが最も大きく、二千八百石積みと記録にあります。だいたい、400トン積み程度でしょう。幕府の禁制で、軍艦に改造するのを防ぐため、三千石以上の建造は許されませんでした。

【語の読みと注】
幇間 たいこもち
旅籠 はたご
贔屓 ひいき
餞別 せんべつ
水手 かこ:船乗り
江戸生艶気樺焼 えどうまれうわきのかばやき

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癇癪 かんしゃく 演目

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近代人の小言幸兵衛。他人に当たり散らす、怒りんぼうの噺です。

【あらすじ】

大正のころ。

ある大金持ちのだんなは、有名な癇癪持ち。

暇さえあれば家中点検して回り、
「あそこが悪い、ここが悪い」
と小言ばかり言うので、奥方始め家の者は戦々恐々。

今日も、その時分にはまだ珍しい自家用車で御帰宅遊ばされるや、書生や女中をつかまえて、やれ庭に水が撒いていないの、天井にクモの巣が張っているのと、微に入り細をうがって文句の言い通し。

奥方には、
「茶が出ていない、おまえは妻としての心掛けがなっていない」
と、ガミガミ。

おかげで、待っていた客がおそれをなして、退散してしまった。

それにまた癇癪を起こし、
「主人が帰ったのに逃げるとは無礼な奴、首に縄付けて引き戻してこい」
と言うに及んで、さすがに辛抱強い奥方も愛想をつかした。

「妻を妻とも思わない、こんな家にはいられません」
と、とうとう実家へ帰ってしまう。

実家の父親は、出戻ってきた娘のグチを聞いて、そこは堅い人柄。

「いったん嫁いだ上は、どんなことでも辛抱して、亭主に気に入られるようにするのが女の道だ、『けむくとも 末に寝やすき 蚊遣かな』と雑俳にもある通り、辛抱すれば、そのうちに情けが通ってきて、万事うまくいくのが夫婦だから、短気を起こしてはいけない」
と、さとす。

「いっぺん、書生や女中を総動員して、亭主がどこをどうつついても文句が出せないぐらい、家の中をちゃんと整えてごらん」
と助言し、娘を送り返す。

奥方、父親に言われた通り、家中総出で大掃除。

そこへだんなが帰ってきて、例の通り
「おい、いかんじゃないか。入り口に箒が立てかけて」
と見ると、きれいに片づいている。

「おい、帽子かけが曲がって、いないか。庭に水が、撒いてある。ウン、今日は大変によろしい。おいッ」
「まだなにかありますか」
「けしからん。これではオレが怒ることができんではないか」

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【しりたい】

作者は若だんな

益田太郎冠者(本名・太郎、1875-1953)が明治末に、初代三遊亭円左(1911没)のためにつくった落語です。

作者の父親は三井財閥の大番頭として明治大正の財界に重きをなした男爵益田孝(1848-1938)。

せがれの方は帝劇の重役兼座付作者で、主に軽喜劇と女優劇のための台本を執筆しました。

「女天下」「心機一転」「ラブ哲学」「新オセロ」などの作品がありますが、特に大正9年(1920)、森律子主演のオペレッタ「ドッチャダンネ」の劇中歌として作詞作曲した「コロッケの唄」は流行歌となり、今にその名を残しています。

落語も多数書いていますが、現在演じられるのはこの「かんしゃく」くらいです。

富豪の日常を描写

明治末から大正期に運転手付きの自家用車を持ち、豪壮な大邸宅で大勢の書生や女中にかしづかれ、そのころはまだ珍しい扇風機まで持っているこのだんなの生活は、そのまま作者の父親のそれを模写したものと見ていいでしょう。現代的感覚からすると、もはや古色蒼然。さほどおもしろくもありませんが、わずかに主人公の横暴ぶりを、演者の腕によって誇張されたカリカチュアとして生かせると、掘り出し物になるかもしれません。

文楽の十八番

初演の円左の速記は残っていません。円左没後は、三代目三遊亭円馬を経て戦後、八代目文楽が一手専売、十八番のひとつにしました。ひところはよく、客席から「かんしゃく!」と、リクエストされたとか。作られたのは明治期ですが、文楽が作者の許可と監修のもとに細部を整え、大正ロマン華やかなりしころに時代設定したものでしょう。

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