【黙阿弥忌】

もくあみき

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幕末から明治期を代表する歌舞伎狂言作者、河竹黙阿弥の命日です。1月22日をさします。

黙阿弥は江戸歌舞伎の集大成者です。

黙阿弥が残した膨大な作品群「三人吉三」「弁天小僧」などの名言をしのび、その功績を振り返る日です。

黙阿弥の名言は数多く残りますが、「明日は明日の風が吹く」はつとに有名で、いまも誰もが使っています。そのルーツなど知る由もないほど。もちろん、ルーツは「上総木綿小紋単地(かずさもめんこもんのひとえじ)」です。

文化13年(1816)2月3日、日本橋の裕福な商家の二男で生まれ、明治26年(1893)1月22日に亡くなりました。二世の人です。

三遊亭円朝は天保10年(1839)4月1日の生まれ、明治33年(1900)8月11日の死没。渋沢栄一は天保11年(1840)3月16日の生まれ、昭和6年(1931)11月11日の死没。ともに二世の人です。

二世の人とは、江戸と近代を生き抜いた人のこと。そういう観点では三人とも同類です。共通した価値観や人生観を持っていたようです。

さて。

黙阿弥の本名は吉村芳三郎。本好きが高じてなのかたたってなのか、親からは勘当されて貸本屋の手代となり、そのままえんえんと本を読み続け、好きこそものの上手なれ、しまいには歌舞伎の世界へ。

五代目鶴屋南北に弟子入りして、勝諺蔵を手始めに、抜群の記憶力が生きて、七代目市川團十郎の後見で認められて、芝晋輔→二代目河竹新七を襲名し立作者となりました。

四代目市川小團次との出逢いが大きな転機となりました。「都鳥廓白波」(忍の惣太)は大当たり、幕末には小團次との提携で「三人吉三廓初買」(三人吉三)、「小袖曾我薊色縫」(十六夜清心)などを発表。十三代目市村羽左衛門(→五代目尾上菊五郎)に「青砥稿花紅彩画」(白浪五人男)などを書いて、希代の大作家と上り詰めました。

小團次は死にはしたものの、明治期に移っても、團菊左と不可分の作者として活躍しました。

生涯に書いた演目は300余。

明治26年(1893)11月11日、本所二葉町(墨田区亀沢2)の自宅で脳卒中のため死去しました。

墓地は源通寺(浄土真宗大谷派、浅草北清島町→中野区上高田1)。法号は釋黙阿居士。

最後に。

円朝噺の「鰍沢」は、最近では黙阿弥の作品とされています。

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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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