なぜとうほくだいがくはせかいてきなのか?
東北大学は名門です。
関東以北の高校生なら、一度は東北大学にあこがれるかもしれません。
あこがれるだけ、ならね。
たやすく入れる大学ではありません。垂涎の的です。
でも、全国的にはパッとしませんね。
旧帝大の一。似たような大学が、金太郎飴みたいに、ほかに六つもあるし。
違いがよくわかりません。
東京にいると、存在感がさらに薄らいで、忘れがちです。
東北大学は理系で創立されたので、文系はおまけのようなかんじもします。
魯迅(医専)、北杜夫(医)、藤森照信(工)、小田和正(工)、若林美保(工)、瀬名秀明(薬)、伊坂幸太郎(法)、松崎有理(理)、円城塔(理)……。たしかに。
この大学出の噺家は、いるのでしょうか。寡聞にして知りません。
ところが。
英誌『Times Higher Education』(THE:タイムズ・ハイヤー・エデュケーション)が発表する「THE日本大学ランキング2025」で、東北大学がトップに選ばれました。5年連続。東大や京大を尻目に、です。
まあ、東北大学というブランド力の世界的な評価といった指標でしょうか。
どうして東北大学なの?
珍現象です。
この椿事を、私なりに勝手にひもとけば、こうなります。
「ワタシが日本に住む理由」(2024年2月7日放送、BSテレ東)という番組を見ていて、はたと気づきたまでのことなのですがね。
この番組は、日本に住む外国人を、毎回、1人ずつ紹介。その人が日本に住みついたいきさつをたどることで、視聴者の私たちも日本の魅力を新たに見つけていく、という、おもしろいコンセプトをはらんでします。
これを見て、私はぶったまげたのでした。
その回の主人公は、イタリア人のダヴィデ・ビッティ(Davide Bitti 1985- 自称宮崎駿のコスプレ)さんでした。
ビッティさんは、ローマ市の生まれ育ち。ゲームで日本を知り、「龍がごとく」で日本語を習得し、ローマ大学では日本文化を専攻しました。
日本の大学院に留学しようと猛勉したのですが、首席は東大へ、次席は早大へ決まり。三席だったビッティさんには行ける大学がありませんでした。
どうしたもんじゃろと教授に相談したところ、「東北大学というところがローマ大学の学生を欲しがっているが、どうする?」とのこと。
ビッティさんは、「東北大学」なんて聞いたことないけれど、なんとしても日本に留学したかったので、即断即決。
勇躍、杜の都へ向かったのでした。ビッティさんは、この街の、閑静で民俗的なたたずまいに一目ぼれ。
大学院では日本思想史を専攻しました。この大学の得意ジャンルのひとつです。
ビッティさんが研究したのは、幕末に流行した「鯰絵」を通して、当時の人々の心のゆらぎを探るというものでした。
下図は「鯰絵」ですが、どこか滑稽味が漂います。ビッティさんが選んだテーマは、落語的だったかもしれません。
論文を無事、仕上げたビッティさん。
そのあとは研究者のポストが待っているかと思いきや、そんなことはなくて、ビッティさんが得たポストは、な、なんと、東北大学の職員。広報担当でした。
番組は、こんなところまで紹介していました。
さて。
ここからが私の推測。
ビッティさんは、おのが持てる語学力(伊、日、英)、日本愛、ゲーム愛、天性のコミュ力などを駆使して、東北大学の存在を、世界に発信していきます。
海外で活躍する東北大OBをリモートでシンポジウムを催したり、学歴や学術を好餌とする雑誌編集部に掛け合ったり、とか。
さらには。
ビッティさんは鯰絵を研究するほどの人ですから、伝承や口承が人にもたらす効果も十分理解していたはずです。
ですから、東北大学を壮大な神話の森に見立てて、東北大学の物語をつむいでいったのです。
これぞ、ストーリーブランディング戦略を巧みに仕掛けた成功例なのだと思います。
これまでの職員が考えたこともなかったような発想とアイデアで、世界に目を向けて攻めていったのでしょう。
これが功を奏して、世界中で、東北大学の名が知れ渡っていったのでした。すべては、ビッティさんが仕掛け人だったのです。
と、私は勝手に推測しているのですがね。
なに? これだけ?
いやいや。モノゴトのからくりとは、えてして、こんなふうになっているのではないでしょうか。
東北大学の功績や魅力は、いくらでもあります。
金属工学に優れた業績があるとか、八木アンテナがすごいんだとか、杜の都こそ理想的な学び舎なんだとか。
でも、そんなことを大学当局がいくらうそぶいたところでも、ビッティさんが来るまでは、その輝かしい功績や魅力を、世界に発信しきれていなかったわけです。
ビッティさんは、英誌編集部の深奥にまで果敢に突き進んでいって、「東北大学物語」をことあるごとに語り聞かせて、やがては編集者や判定者の心をガッチリつかんだのだと思います。
番組では、ビッティさんの口から、こんなエピソードが披露されていました。
かつて、東北大学はアインシュタインを教授に呼ぼうとしていた、ということ。
こんな話、関係者ならいざ知らず、どれだけの日本人が知っているでしょうか。
この話を聞けば、「やるな、東北大学」と、少しは関心を抱くのではないでしょうか。
東北大学は、ほかの旧帝大とはちょっと違っていて、昔から進取の気性がありました。
昔の教育制度では、旧制高校(これが難関だった!)を出た人以外は帝国大学に進めなかったものですが、東北帝国大学はいち早く、専門学校の卒業者にも門戸を広げました。あるいは、女子も帝国大学は進めなかったのでしたが、東北大学は女子を受け入れました。
これらのユニークな制度にどれほどの人に恩沢があったのか。思いのほか。日本中の恵まれないながらも優秀な生徒が集まり来たのでした。東北大学の工学系の抜きん出たさまは、この不思議な伝統と無縁ではありますまい。
こんな熱をはらんだ東北大学は、たしかに魅力です。この気風はいまでも息づいているのでしょう。これを、ビッティさんは理解し、咀嚼して、果敢にも世界に発信していったのだと思うのです。
なによりも、ビッティさんは、研究者側に立てる人でもあり、東北大学のOBでもあるわけです。研究愛、母校愛のたしかさは申し分ありません。
そこは、これまでの職員(=役人)が飛び越えられなかった結界だったのですから、大きなアドバンテージです。
ビッティさんの熱量がはるかにまさっていました。
さて。
これは、落語の世界発信にも応用できるのではないかと、私は思うのです。
いまや、落語界には、外国人噺家や外国人向けに外国語で高座をもつ噺家が何人もいます。
彼らのキャリアと語学力を駆使して、世界に「RAKUGO」を発信するのです。
これまでは、個々の噺家が個人で、企画単体で展開していたものを、協会がまるごと、プロジェクトとして立ち向かっていくのです。ビッティさんと同じようなやり方を踏むのです。
竜楽とか、好青年とか、志の春とか、三輝とか、昔と違って、いまこそ人材は豊富です。やってみるといいかも、です。
落語も世界レベルとなる日が、遠からず来ると思うのですが。いかが。
ただ、これが功を奏しすぎると。
鈴本や末広亭にまでインバウンドがどっとなだれ込み、木戸銭がプレミアム化して、やがては寄席芸人も、歌舞伎や能狂言のようなセレブ存在に突き進むかもしれません。ひえー。
はたまた。
フランス発の本寸法な落語評論が世界を飛び交って、キレのいいクリティークが通人や粋人をうならせたりして。ギャッ。
それはそれでおもしろいかもしれません。さあさ、やってみなはれ、ダビッドソン。
2025年8月22日 古木優