Categories: 落語演目

【鈴ふり】

すずふり

成城石井

【どんな噺】

遊行寺が舞台。
仏道の修行。
禁欲の証に鈴を託して。
バレ噺の傑作。
「甚五郎作」も併載。

別題:鈴まら

【あらすじ】

藤沢の遊行寺ゆぎょうじという名刹。この寺の住職は大僧正だいそうじょうの位にあって、千人もの若い弟子が一心に修行に励んでいる。

なにせ弟子の数が多いので、さしもの大僧正も、この中から誰を自分の跡継ぎに選んだらよいか、さっぱりわからない。

そこでいろいろ相談した結果、迷案がまとまった。

旧暦五月のある日、いよいよ次の住職を決める旨のお触れが出る。

その当日、誰も彼も、ひょっとして俺が、いや愚僧ぐそうがというので、寺の客殿には末寺から押し寄せた千人の僧侶がひしめき合って、青々としてカボチャ畑のような具合。

そこでなにをするかというと、千人一人一人の男のモノに、太白の紐が付いた小さな金の鈴をちょいと結んで
「どうぞ、こちらへ」

次々と奥に通される。

一同驚いていると、やがて御簾みすの内から大僧正の尊きお声。

「遠路ご苦労である。今日は吉例吉日たるによって、御酒ごしゅ、魚類を食するように」

ただでさえ生臭物は厳禁の寺で、酒をのめ、それ鰻だ、卵焼きだというのだから、どうなっているのかと目を白黒させていると、なんとお酌に、新橋、柳橋のえりすぐりの芸者がずらりと並んで入ってくる。

しかも、そろって十七、八から二十という若いきれいどころ。色気たっぷりにしなだれかかってくるものだから、ふだん女色禁制で免疫のできていない坊さんたちはたまったものではない。

色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき
と必死に股間を押さえていると、隣で水もしたたる美女が
「あなた、何をそう、下ばかり向いて」
と、背中をぽんとたたく。

「あっ」
と手を放したとたんに、親ではなくセガレの方が上を向き、くだんの鈴がチリーン。

たちまち、あっちでもこっちでもチリーン、チリーン、チリチリリーン。

千個の鈴の妙なる音色、どころではない。

そのかまびすしい音を聴いて、大僧正、嘆くまいことか。

涙にくれて、
「ああ情けなや。もう仏法も終わりである。千人の全部が全部、鈴を鳴らそうとは」

ところがふと見ると、年のころ二十くらいの若い坊さんがただ一人、数珠じゅずをつまぐりながら座禅を組んでいる。

よく聞くと、その坊さんの股間からだけは、鈴の音なし。

大僧正、感激の涙にむせび、これで合格者は決まったと、さっそく呼び寄せて前をまくってみたら鈴がない。

「はい、とっくに振り切れました」

底本:五代目古今亭志ん生

 成城石井

【しりたい】

志ん生おはこのバレ噺

五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の一手専売だったバレ噺(エロ噺)です。

ネタがネタだけに、当人も寄席ではやれず、特殊な会やお座敷だけのサービス品でした。

ただし、珍しくずうずうしくも昭和36年(1961)5月の東横落語会とうよこらくごかいで堂々と演じたライブの音源は、脳出血で倒れる半年ほど前の、元気な頃の最後の高座のものです。

「鈴ふり」のマクラに志ん生が必ずつけたのが、関東十八檀林だんりんの言い立て。檀林とはお坊さんを養成する学校のことです。

挙げられる十八か寺は、浄土宗で大僧正となるために修行しなければならない関東の諸名刹です。

この噺の舞台、藤沢の遊行寺は、一遍上人いっぺんしょうにんの「踊り念仏」で有名な時宗じしゅうの総本山。

正しくは藤沢山とうたくざん無量光院むりょうこういん清浄光寺しょうじょうこうじといいます。

「時宗」という呼称は寛永8年(1631)から。江戸幕府から時宗274寺の総本山と認められるところから始まります。

意外に新しいのです。

一遍は鎌倉時代の人ではあるのですが。

この一派、規模が小さいことと、同じ念仏宗派のため、浄土宗系寺院と重なるようにみえますが、この噺のごちゃごちゃぶりは、さすがに落語的。

時宗と浄土宗の混在はでたらめ。よくこんなので、長いこと通用しているものです。

逆に、落語の底知れぬ奥行きに感動してしまいます。

江戸時代の時宗

時宗は、自らの檀林(時宗では学寮といいます)を、天明4年(1784)までもたなかったといわれています。

現在は全国に500余の寺院がありますが、江戸時代には2000を超えるほどだったそうです。

それなりの宗派だったのですが、なんせ踊り念仏を旨とするため、定着性が薄いのです。

他の宗派のような法灯を絶やさず、といった思いも弱いようです。

それでも、江戸幕府の宗門制度に合わせて本山、末寺の管理を厳密化するようになったことで、本山を藤沢の清浄光寺(遊行寺)にまとめたのです。

志ん生の「鈴ふり」

志ん生の長男で、まじめそのものの芸風だった(ここがまたいいのですが)十代目金原亭馬生きんげんていばしょう(美濃部清、1928-82)もたまに演じていました。

そこのギャップがなかなかに心愉しいものでした。

昭和33年(1958)10月11日の「第67回三越落語会」。

志ん生はトリで「黄金餅こがねもち」をやる予定でした。

その前に八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)が「藁人形わらにんぎょう」を。これは関係者の不手際ふてぎわによるものでした。

ひとつの興行で同じ傾向の噺が続くのを「噺がつく」とむのが落語の世界です。

そこで、志ん生は客にことわって「鈴ふり」をみっちりやったといいます。こういうところが、志ん生のいきなところですね。

関東十八檀林の言い立て

「檀林」とはお坊さんの修行道場で学問所。

ここでいう「関東十八檀林」は浄土宗の寺院をさします。

浄土宗は徳川家康が信仰していたことから、宗派間における地位は優越でした。

江戸の町では、浄土宗と日蓮宗(当時は法華宗といいました)が信者獲得競争に明け暮れしており、その勢力と知名度では他宗派をしのいでいました。

浄土宗のお坊さんは寺を巡るごとに出世していったわけです。

志ん生の言い立てを再現してみましょう。

その修行の一番はなへ飛び込むのはってェと、下谷に幡随院ばんずいいんという寺がある。その幡随院に入って修行をして、その幡随院を抜けて、鴻巣こうのす勝願寺しょうがんじという寺へ入る。この勝願寺を抜けまして、川越の蓮馨寺れんけいじへ。蓮馨寺を抜けまして、岩槻の浄国寺じょうこくじという寺に入る。浄国寺を抜けまして、下総小金しもうさこがね東漸寺とうぜんじという寺に入り、東漸寺を抜けて、生実おゆみ大巌寺だいがんじへ入り、滝山の大善寺へ入る。ここから、常陸江戸崎ひたちえどさき大念寺へ入って、上州館林じょうしゅうたてばやし善導寺へ入る。それから、本所の霊山寺れいざんじへ入って、下総結城しもうさゆうき弘経寺ぐぎょうじへ入って、ここで紫の衣一枚となるまで修行をしなければならない。それから、下総国飯沼しもうさいいぬま弘経寺ぐぎょうじというところへ入る。ここは十八檀林のうちで、隠居檀林といって、この寺で、たいがい体が尽きちゃう。そこを、一心になって修行をして、この寺を抜けて、深川の霊巌寺れいがんじに入り、霊巌寺を抜けて、上州新田じょうしゅうにった大光院に入って、常陸瓜連ひたちうりづら常福寺に入って、そうして、紫の衣二枚になって、それより、えー、小石川の伝通院でんづういんへ入り、伝通院を抜けて、鎌倉の光明寺こうみょうじへ入って、そこでの衣一枚となって、それより、江戸は芝の増上寺ぞうじょうじに入って、増上寺で修行をして、緋の衣二枚となって、はじめて大僧正の位となるという……ここまでの修行が大変であります。

「甚五郎作」 

「鈴ふり」が短い噺なので、志ん生は「甚五郎作」という小咄をセットで語っていました。

これもバレ噺です。

昭和31年(1956)1月8日号の『サンケイ読物』で、志ん生は福田蘭童らんどうと対談をしています。

タイトルは「かたい話やわらかい話」で、二人で昔の吉原の思い出を肴に笑っています。

その中で、志ん生は「甚五郎作」を語っていました。

対談を読むと、志ん生にとって「甚五郎作」は相当なお気に入りの噺だったように思えるのですが、当の福田蘭童は「なるほど。きれいなオチですね」とかえした程度。

福田の笑いのセンスは志ん生のそれとはズレていたようです。

残念な人です。

では、福田が聴いた「甚五郎作」を再現してみましょう。

昔はいいとこの娘でも、行儀見習いといって、大名屋敷へ奉公へ行ったでしょう。方向へ上がるてえとみんな女ばかり。年頃となってくると男なしではいられない。といって、不義はお家のご法度、男は絶対に近づけられない。そこへつけこんで商売を始めたのが張り形屋。つまり、男の代用品ですね。両国の四ツ目屋よつめやなんぞへ、御殿女中がこれを買いにやってくる。ある家の娘が、やはりこのご奉公に上がって、体の具合が悪くなって帰ってきた。医者にみせると妊娠しているという。おっかさんが驚いて、娘に相手は誰かと聞く。娘は「相手なんかいない」というんです。相手がなくて妊娠するわけはないと問い詰めて、娘の手文庫てぶんこを調べたら、中から張り形が出てきた。「おまえ、これで赤ん坊ができるわけがないよ」と言って、張り形の裏を返したら「左甚五郎作」と彫ってあった。左甚五郎の作ったものは、生き物のように飛び出るという、あれですね。

志ん生という人は、元来、こういうスマートな噺を好んだようです。粋だなあ。

ところで、福田蘭童(石渡幸彦、1905-76)。

この人は、青木繁(画家)の長男で、尺八、フルート、バイオリン、ピアノなんかを演奏する音楽家にして、随筆家。

かつてはこのような、得体のしれない型破りの通人がごろごろいたもんです。

息子の石橋エータロー(石橋英市、1927-94)もそんな範疇の方なんでしょう、きっと。

ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーで、桜井センリとのピアノ連弾なんですから。人生の後半は料理研究家でした。

■関東十八檀林

名称内訳現在地
下谷の幡随院新知恩寺。浄土宗系単立寺院。本尊は阿弥陀如来東京都小金井市前原町
鴻巣の勝願寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来埼玉県鴻巣市本町
川越の蓮馨寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来埼玉県川越市連雀町
岩槻の浄国寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来埼玉県さいたま市岩槻区
下総小金の東漸寺浄土宗千葉県松戸市小金
生実の大巌寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来千葉県千葉市中央区
滝山の大善寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来東京都八王子市大谷町
常陸江戸崎の大念寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来茨城県稲敷市江戸崎甲
上州館林の善導寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来群馬県館林市楠町
本所の霊山寺浄土宗。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来東京都墨田区横川
下総結城の弘経寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来。隠居檀林茨城県結城市西町
下総飯沼の弘経寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来茨城県常総市豊岡町
深川の霊巌寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来東京都江東区白河
上州新田の大光院浄土宗。本尊は阿弥陀如来群馬県太田市金山町
常陸瓜連の常福寺浄土宗。本尊は阿弥陀如来茨城県那珂市瓜連
小石川の伝通院浄土宗。本尊は阿弥陀如来東京都文京区小石川
鎌倉の光明寺浄土宗鎮西派大本山。本尊は阿弥陀如来
神奈川県鎌倉市材木座
芝の増上寺浄土宗鎮西派大本山。本尊は阿弥陀如来東京都港区芝公園

成城石井

落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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