きんおう、ゆく

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三遊亭金翁師匠が、令和4年(2022)8月27日未明、お亡くなりになりました。93歳でした。

金翁師匠は、昭和4年(1929)、東京の生まれ。本名は松本龍典りゅうすけ。両親が深川森下町で安価な洋食店をいとなんでいたそうです。昭和16年(1941)7月、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、本所生まれ、1894-1964)に入門しました。山遊亭金時の名で、12歳でした。太平洋戦争が始まる5か月前のこと。戦前の入門だったとは、びっくりです。

昭和20年(1945)に小金馬で二ツ目となり、33年(1958)には真打ちに。三代目没後、42年(1967)には四代目金馬を襲名。令和2年(2020)からは名跡を次男に譲り、二代目金翁を名乗っていました。

この人と言ったら、ゼッタイ忘れられないのが「お笑い三人組」です。

このテレビ番組がNHKで始まったのは昭和31年(1956)年なんだそうですが、私が覚えているのは、毎週火曜日20時-20時30分の時間帯での時期です。それは38年(1963)から39年(1964)3月までで、ちょうど東京五輪が始まる頃の、日本全体が勢いと張りで輝いていた時代でした。

「お笑い三人組」が放送される時間帯の前後が、これまたすごかった。前の19時30分-20時に「ジェスチャー」が、後の20時30分-21時30分に「事件記者」が。

どれも、ものすごい人気番組です。これら3つの番組を通して見るのが、その夜のまっとうなおつとめだったような心持ちでした。

家族みんながテレビの前で大笑い。日本中が笑ってたかんじ。そんな時代でした。

「お笑い三人組」は生放送だったそうです。「あまから横丁」という架空の街角が舞台の、町内もの人情劇です。

満腹ホールというラーメン店の金ちゃんが小金馬、ニコニコクレジット社員の正ちゃんが講談の一龍斎貞鳳、クリーニング店の八ちゃんが物まねの三代目江戸家猫八。

三人が中心に繰り広げる、笑いと涙の舞台劇場だったのでした。

「お笑い三人組」と言ったら、金馬じゃなくて小金馬と、今でも記憶している日本人は少なくないのではないでしょうか。

あははおほほ、「お笑い三人組」の3人。右から金馬(当時は小金馬)、貞鳳、猫八

円蔵じゃなくて円鏡、円歌じゃなくて歌奴、というのと同じですね。

この「お笑い三人組」、もとはといえば、日本テレビが企画を立てていたところ、NHKに持っていかれたんだとか。

当時はそんなことがよくあったそうなのです。永六輔が言っていました。テレビ草創期のNHKは、野心的だったのですね。

そもそもの話。

昭和28年(1953)、日本テレビ開局記念番組の放送中、どうしたわけかトラブルがあって、小金馬、歌奴(四代目三遊亭円歌)、貞鳳、猫八の4人が、即興でプロレスコントを演じることになり、なぜかそれが爆発的な人気を得たそうです。

それを見ていた日本テレビ社長の正力松太郎が、4人を使ってレギュラー番組をつくるようにと、社員に命じたんだそうです。

残念ながら、歌奴は「山のあなあな」で売れっ子になってしまい、すぐに抜けてしまいました。

残る3人はNHKに移されて、そこで「お笑い三人組」を演じることに。売れてなかった三人は、あれよあれよの急上昇に夢心地。

お茶の間の人気をがっちりつかまえたのでした。

金馬師匠とテレビと言ったら、じつはほかにもあるのです。

「ミスター・エド」という米国ドラマ。

米ホームドラマの変化球「ミスター・エド」。右端がエドくん

その日本語吹き替えにも出ていたのです。フジテレビ系では、昭和37年(1962)から39年(1964)まで。

エドという名の馬が、飼い主(アラン・ヤング、吹き替えは柳澤愼一さん)とだけおしゃべりする、というもの。

その会話を聴けるのはお茶の間の視聴者だけ、というお得感もりもりのドラマでした。

飼い主のお悩みを馬が聞いてあげて、適切な解決策を飼い主に導く、というものすごい筋立てです。

金馬師匠はエドくんの声を演じていました。金馬が馬を演じて、その名もエドとは。江戸落語家にはぴったり。

人のことばをしゃべる馬が登場するのは、どこか鹿野武左衛門にも似ていて、落語とゆかりあり過ぎの設定です。

なんとも、奇妙で不思議な米ドラでした。

「お笑い三人組」の金ちゃん(小金馬)

それと、もうひとつ。

国立演芸場が設立したこと。国立演芸場ができたのは、じつは、金馬師匠や一龍斎貞鳳先生たちが頑張ったからなのだそうです。

貞鳳先生は一期ながらも参院議員となって、三木武夫内閣や福田赳夫内閣の政務次官を務めました。

ちょうどその頃、国立演芸場が三宅坂に建設されることが決まったのです。演芸界には快挙、というよりも椿事でした。

今泉正二参院議員(一龍斎貞鳳先生の本名)の執務室で、金馬師匠が親し気に「ショウちゃーん」と呼んだら、「なんだ、ショウちゃんとは。先生と呼べ」と一喝されたんだとか。講談も先生、政治家も先生、同じ先生なのにね。

当時の三宅坂は陸の孤島でした。あんなへんぴなところに演芸場ができても、不便でしかありません。今もまだ不便かも。それでも、実現できたのは、先生のお力のたまものでしょう。

と、こんな内輪の話は『金馬のいななき 噺家生活六十五年』(朝日新聞出版、2006年3月)に載っていました。これを機に文庫化してほしいものです。中公文庫あたりで、ぜひ。

ヘタを演じる金馬師匠の住吉踊りも、今はただ懐かしく。見ているだけで楽しくなる、明るい芸風でした。

ご冥福をお祈りいたします。

(2022年8月28日、古木優)

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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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