Categories: 落語演目

【浮世床】

うきよどこ

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【どんな噺】

日がな一日、髪結い床でごろごろ。
こんな人生も悪くない。

別題:片側町(上方)

★★

あらすじ

髪結い床。

若い衆が集まってワイワイばか話の最中に、留さん一人、講談本に読みふけっている。

すぐ目を付けられて、退屈しているから読んで聞かせてくれと頼まれ、
「オレは読み出すと立て板に水で、止まらなくなるから、同じところは二度と読まねえ」
と豪語して始めたのはいいが、本当はカナもろくに読めないから、
「えー、ひとつ、ひ、ひとつ、ひとつ、あねがわかっ、せんのことなり……真柄、まからからから、しふろふざへもん」
「真柄十郎左衛門か?」
「そう、その十郎左衛門が、敵にむかむかむか……」
「金たらいを持ってきてやれ。むかつくとさ」
「敵にむ、向かって一尺八寸の大太刀を……まつこう」
「呼んだか?」
「なんだよ」
「今、松公って呼んだだろ」
「違う。真っ向だ」

一尺八寸は長くないから、大太刀は変だと言われ、これは横幅だとこじつけているうちに、向こうでは将棋が始まる。

一人が、王さまがないないと騒ぐので
「ああ、それならオレがさっきいただいた。王手飛車取りの時、『そうはいかねえ』って、てめえの飛車が逃げたから」
「おめえの王さまは、取られてないのにねえな」
「うん、さっき隠しておいた」
というインチキ将棋。

かと思うと、半公がグウグウいびきをかいている。

起こすと、
「女に惚れられるのは疲れてしょうがねえ」
と、オツなことを抜かしたと思うと、
「芝居で知り合ったあだな年増と、さしつさされつイチャついた挙げ句、口説の末にしっぽり濡れて、一つ床に女の赤い襦袢がチラチラ……」
と、えんえんとノロケ始める。

「女が帯を解き、いよいよ布団の中へ……」
「こんちくしょう、入ってきたのか」
「という時に、起こしゃあがったのは誰だ」

床屋の親方が、あんまり騒がしいので、
「少しは静かにしてくれ。気を取られているすきに、銭を置かずに帰っちまった奴がいる。印半纏のやせた……」
「それなら、畳屋の職人だ」
「道理で、床を踏み(=踏み倒し)に来やがったか」

底本:六代目三遊亭円生

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しりたい

意外にも上方ダネ

一尺八寸の大太刀の部分の原話は安永2年(1773)刊『聞上手』中の「大太刀」、夢のくだりは同4年(1775)刊『春遊機嫌袋』中の「うたゝね」、オチの畳屋の部分は同2年刊『芳野山』中の「髪結床」と、いくつかの小ばなしが合体して、できた噺です。

これらの原話はいずれも江戸で出版されているのに、意外なことに落語そのものは上方で発達し、明治末期に初代柳家小せん(鈴木万次郎、1883-1919、盲小せん)が東京に「逆輸入」しました。

演題の「浮世床」は、式亭三馬(1776-1822)と滝亭鯉丈(池田八右衛門→八蔵、?-1841)の合作の同名の滑稽本(初編、文化10年=1813年刊)から採られているとみられます。

無筆(=非識字)に近い者が見栄を張ってでたらめ読みし、からかわれるくだりの原型は『浮世床』にあり、これも原典の一つといえるでしょう。

初代三平の音源も

先の大戦後は六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900.9.3-79.9.3、柏木の)と三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)が得意としました。その他数多くの落語家によって手掛けられています。

初代林家三平(海老名榮三郎→泰一郎、1925-80)のレコードも昭和56年(1981)にビクターから発売されましたが、CD化はされず、レコードは現在廃盤です。

円生の芸談

六代目円生はこの噺について、「テンポと呼吸をくずさないこと」という貴重な芸談を残しています。

片側町 

床屋の親方が客の片鬢かたびんを剃り落とし、「これじゃ表を歩かれねえ」と文句を言われると、「なーに、片側をお歩きなさい」とオチる、「片側町」という小ばなしを含むこともあります。

これは、現在は同じ床屋ばなしの「無精床」に入れることが多くなっています。

オチの「床を踏む」というのは、畳屋が新畳のへりを踏んでならして落ち着かせること。

そのことばと、髪結い賃の「踏み倒し」を掛けたものですが、これも、今ではかなりわかりにくくなっているでしょう。

髪結い床の歴史

起源は古く、応仁の乱(1467-77)後、男がかぶりものを常時着けない習慣ができたので、月代(さかやき)を剃って髪を整える必要が生じ、職業的な髪結いが生まれました。

天正年間(1573-92)にはもう記録があり、一人一文で結髪したため、別名「一銭職」「一銭剃り」と呼ばれました。

黙阿弥の世話狂言「髪結新三かみゆいしんざ」の「一銭職と昔から、下がった稼業の世渡りに……」というよく知られたセリフは、ここからきています。

万治元年(1658)から、髪結い床は江戸で一町内に一軒と定められました。

享保年間(1716-36)には1000軒あまり、幕末の嘉永年間(1848-54)になると2400軒に増えたといわれています。

この噺の中でも詳しく説明されるのですが、江戸の髪結い床は、通常は親方1人に中床(下剃り=助手)、小僧の計3人です。

中床を置かず、小僧1人の床屋もありました。

二階は噺に出てくるように社交場になっていて、順番を待つ間、碁将棋、ばか話などで息抜きをする場でもありました。

髪結い賃は、大人32文、子供24文が幕末の相場です。

明治になっても「かみいどこ」「かみどこ」という呼び名と、江戸以来の古い床屋の面影や性格は、下町ではまだ色濃く残っていて、町内のゴシップの発信地でもありました。

髪結い床が登場する噺は「無精床」「十徳」「お釣りの間男」「崇徳院」など、多数あります。

おすすめは

五代目古今亭志ん生 1945年1月に録音している



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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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