Categories: 落語演目

【二階ぞめき】

にかいぞめき

  成城石井

【どんな噺】

自宅の二階に吉原をこさえた若だんな。
ここまでなりきれれば、吉原マニア完成!

あらすじ

若旦那が毎晩、吉原通いをするものだから堅物かたぶつ親父おやじはかんかん。

世間の手前「勘当する」と言い出す。

番頭が心配して意見をしにくるが、この道楽息子、まるで受け付けない。

「女がどうのこうのじゃないんで、吉原のあの気分が好きなんだから、毎日行かずにはいられない、吉原全部を家に運んでくれれば、行かない」と言う。

これには番頭も驚いたが
「それで若旦那の気がすむなら」
と二階を吉原の通りそっくりに改造し、灯まで入れて、ひやかし(そぞろ歩き)ができるようにした。

棟梁とうりゅうの腕がいい上、吉原まで行って実地検分してきたので本物そっくりで、若旦那は大喜び。

番頭に
「服装が大事だから古渡こわた唐桟とうざんを出せ」
「夜露は毒だからっかぶりをしていく」
などと騒いだあげく
「じゃ、行ってくるよォ。だれが来ても上げちゃァいけないよォ」

二階の吉原へ、とんとんとん。

上ってみると、茶屋行灯ちゃやあんどんに明かりは入っているし、張り見世みせもあるし、そっくりなのだが、残念なことに、人がいない。

……当たり前だ。

そこで、人のいなくなった大引おおびけ(午前二時)過ぎという設定で、一人で熱演し始める。

『ちょいとあァた』
『なんでえ、ダメだよ、今夜は』
『そんなこと言わないで。あのコがお茶ひいちゃうから』

忙しいこと。背景音楽を新内しんないから都々逸どどいつへ。

「別れにヌシの羽織がァ、かくれんぼォ…ッと」

ここで花魁おいらんが登場。

『ちょいと、兄さん、あがっとくれよッ』
『やだよ』
『へん、おアシがないんだろ。この泥棒野郎』
『ドロボーたァなんでィ』
『まァまァ』

止めに入った若衆わけえしと花魁、一人三役で大立ち回り。

『この野郎、さあ殺せッ』

一階のおやじ、大声を聞きつけて、
「たまに家にいると思えば……」
と苦い顔。

ところがよく聞いてみると、なにか三人で喧嘩しているもよう。

あわてて小僧の定吉を呼んで
「二階へ行ってせがれを連れてこい」
と命じる。

定吉、上がってみると
「あれッ、ずいぶんきれいになっちゃたなあ。明かりもついてやがる」

頬っかぶりをした人がいるので、「泥棒かしらん」と思ってよく見ると、これが若旦那。

なにやら自分で自分の胸ぐら取って「さあ殺しゃあがれ」とやっている。

「しょうがねえなあ。ねえ、若旦那」
「なにをしやがる。後ろから小突きやがって。前から来い。だれだって? なあんだ。定か。悪いところで会ったなあ。おい、おめえな、ここでおれに会ったことは、家ィ帰っても、おやじにゃあ、黙っててくんねえ」

しりたい

ぞめき

「騒」と書きます。動詞形は「ぞめく」です。古い江戸ことばで、「大勢でわいわい騒ぎながら歩くこと」を意味します。

そこから転じて、「おもに吉原などの遊里を見世に上らずに、遊女や客引きの若い衆をからかいながら見物する」という意味になりました。

これを「ひやかし(素見)」ともいい、こちらの方が一般によく使われました。

要するに、遊興代がないのでそうするよりしかたがないのですが、そればかりともいえず、ひやかし(ぞめき)の連中と張り見世、つまりショウウィンドーにずらりと並ぶ遊女たちとの丁々発止のやりとりは、吉原の独特の文化、情緒となって、洒落本(遊里を描いた話)や芝居、音曲などのかっこうの題材となりました。

原話では慎ましく

もっとも古い原典は、延享4年(1747)、江戸で刊行された笑話本『軽口花咲顔かるくちはなえがお』中の「二階の遊興」ですが、オチを含め、現行の落語と大筋は変わりません。

こちらはそう大掛かりな「改築」をするわけでなく、若旦那が二階のふすまや障子に茶屋の暖簾のれんに似たものをつるし、それに「万屋」「吉文字屋」などと書き付けて、遊びの追憶にふけっている、という安手やすでの設定です。

そのあと一人三役の熱演中、小便に行きたくなって階段を下りる途中で小僧に出くわし、オチのセリフになりますが、落語のように、現実を完全に忘れ去るほどでなく、いたってつつましいものです。

その後、落語としては上方で発達したので、二階を遊郭(大坂では新町)にしてしまうという現実離れした、派手と贅沢は、完全に上方の気風によって付け加えられたといってよいでしょう。

志ん生好み

落語の古い口演記録として、きわめて貴重な、万延2年(1861=文久元)の、上方の桂松光のネタ帳『風流昔噺ふうりゅうむかしばなし』に、この噺と思われる「息子二階のすまい ここでおうたゆうな」という記述があり、すでにこのころには上方落語として演じられていたことがわかります。

これを明治期に、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が東京に「逆輸入」したとされますが、古い速記やレコードは一切なく、残っているのは七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)や五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)のものです。

志ん生がこの噺を誰に教わったかは不明ですが、おそらく、三代目小さん門下の初代柳家小せん(鈴木万次郎、1883-1919)でしょう。小せんは廓噺の天才です。「五人廻し」参照。

寄席や落語会で志ん生は、「二階ぞめき」をどれほどかけたことでしょうか。それだけに、志ん生の得意噺のうちでも、もっとも志ん生好みの噺といえます。自分が若き日に通いつめた、かぐわしき吉原への追慕もさることながら、志ん生がなにより愛したのは、この若旦那の一途さ、それを許してしまう棟梁、その他周囲の人々の洒落っ気や懐の深さではなかったでしょうか。

志ん生流吉原の迷い方

「ひやかし」の語源は……。「昔、吉原の、近在に、紙漉場かみすきばがあって、紙屋の職人が、紙を水に浸して、待ってんのが退屈だから、紙の冷ける間ひと廻り回ろう-てんで、『ひやかし』という名前がついてきたんですな」とのことです。

ところで、ただ単に吉原をぶらつくといっても、おのずとそこには厳しいルールとマナーがあります。洗練された文化を体現し、粋な男になるためには、情熱と努力、そしてなにより年期が大切なのです。

次の若だんなの一言がすべてを物語っています。「俺ァ女はどうでもいいんだよ。うん。俺ァ吉原ってものが好きなんだよ」 好きこそものの上手なれ。

それでは、志ん生師匠指導「ひやかし道」の基本から。

正しい吉原の歩き方:まずは正しい服装

どの道も、修行はまず形からです。

それにふさわしい服装をして初めて、魂が入ります。

相撲取りはあの格好だからこそ相撲取り。スーツで土俵入りはできません。

その1

必ず古渡こわた唐桟とうざんを着用のこと。

唐桟は、ふつうは木綿の紺地に赤や浅黄あさぎ縦縞たてじまをあしらい、平織(縦糸・横糸を一本ずつ交差させたシンプルな織り方)に仕立ててあります。室町時代にインドから渡来した古いデザインなので、「古渡り」の名があります。縦縞という模様は粋の典型です。浮世絵に描かれた雨模様も同じ。細い縦線をすてきと感じる感覚が粋といえます。

はでな上に身幅が狭く、上半身がきゅっとしまっていかにもすっきりしたいい形なので、色街遊びには欠かせません。

その2

着物は必ずたもとを切った平袖にします。

いわばノースリーブです。

これは、吉原を漂っていると、必ず同じ格好のひやかし客とぶつかります。

そうすると、ものも言わずに電光石火でパンチが飛んできますから、袂があると応戦が遅れ、あえなくのされてしまいます。それでは男の面目丸つぶれ。

そこで、平袖にして常に拳を固めて懐に忍ばせ(これをヤゾウといいます) 、突き当たった瞬間、 間髪入れずに右フックを見舞わなければなりません。そのための備えなのです。

その3

必ず「七五三の尻はしょり」をします。

七五三とは、 七の図、つまり腰の上端、フンドシまたはサルマタの締め際まで 着物のすそをはしょり、内股をちらりとのぞかせることで、 鉄火な(威勢のいい)男の色気を見せつけます。

仕上げに、渋い算盤玉柄の三尺帯をきりりと締めれば一丁あがり。

ただし、くれぐれもフンドシを締め忘れないよう注意のこと。

公然わいせつで八丁堀の旦那にしょっ引かれます。

その4

最後に、手拭てぬぐいで頬かむりをすれば準備完了。

ただし、 この場合もどんな柄でもいいというわけにはいきません。

ひやかしに 最適なのは亀のぞきという、ごく淡い、品のいい藍色地に染めたものです。頬かむりは、深夜に出かけるため、夜露を防ぐ意味も ありますが、なによりも、かの有名な芝居の「切られ与三」が源氏店の 場でしているのがこの「亀のぞき」であることからも分かるように、 ちょっと斜に構えた男の色気を出すためには必携のアイテムです。

これで、夜の暗さとあいまって、あなたも海老蔵に見えないこともありません。

ただし、間違っても黒地で盗人結びになどしないこと。

八丁堀のだんなにしょっ引かれます。

その5

以上で、スタイルはOK。

あと、基本的な心得としては、その2でも触れましたが、必ず、100%間違いなく、一回の出撃でけんかが最低三度は起こりますから、無事に生きて帰るためにも、先制攻撃の覚悟を常に持つこと。

どんなに客引きの若い衆に泣き落とされ、はたまた張り見世のお茶ひき(あぶれ)女郎に誘惑され、果ては銭なしの煙草泥棒野郎とののしられても、絶対に登楼などしないという、固い決意と意志を持ってダンディズムを貫くことが大切です。

とまあ、こういうスタイルで若旦那は「出かけた」わけですが……。

この二階の改築費用、どのぐらいについたか、他人事ながら心配です。おまけに、当主の親父は知らぬが仏。この店の身代も、この分では十年ももつかどうか……。

いつの世も、かく破滅の淵をのぞかないと、道楽の道は極められないようで。

  成城石井

落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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