Categories: 落語演目

【泣き塩】

なきしお

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【どんな噺】

無筆とは、字が読めないこと。
志ん生の「手遅れであるぞ」が妙におかしくて。
主題を「リテラシー」にすれば、ビビッドになるかも。

別題:当てずっぽう 塩屋 焼き塩(上方)

あらすじ

若侍が、往来でいきなり若い娘に声をかけられる。

娘は田舎から出てきて、女中奉公をしているお花。

故郷の母親が病気で心配しているところへ、田舎から赤紙付きの手紙がきたが、自分は字が読めないので、どうか変わりに読んでほしいという、頼み。

侍、さっと手紙に目を通すと
「あー、残念だ。手遅れであるぞ。くやしい。無念じゃ。あきらめろ」

いきなり泣き出したから、お花は仰天。

母親が死んだと思い込み、これもわっと泣き出した。

これを見ていた二人の町人、
「あの二人は一つ屋敷に奉公する小姓と奥女中で人目を忍ぶ仲だが、不義はお家のご法度、ついにバレてお手討ちになるところを奥さまのお情けで永の暇になったんで、女の方が男の胤を宿しちまって、あなたに捨てられては生きていけませんからってんで泣くと、男も、そんならいっしょに死のう、てんで泣いているんだ」
と、勝手なことを言い合う。

そこへ通りかかったのが、天秤を担いだ焼き塩売りの爺さん。

二人を見ると
「もしもし、若い身空でどうなすったんです。あなたもまだお若いお武家さま。あたくしにもあなたと同じくらいのせがれがおりますが、道楽者で行方知れず。親の身で片時も忘れたことはありません。無分別なことをしないで、手前の家にいらっしゃい。決して悪いことは申しません」
と説教しながら、これも泣き出した。

「あそこはきっと泣きどころかもしれねえ」
と、二人が首をかしげていると、お花のおじさんがやってきた。

事情を聞いて手紙を読んでみると、お花の母親は全快し、許婚の茂助が年期明けで、のれん分けしてもらって商売するので、お花を田舎に呼んで祝言するという、めでたい知らせ。

お花は喜んで行ってしまう。

まだ侍が
「残念だ、手遅れだ」
と泣いているので、伯父さんがわけを尋ねると
「それがしは生まれついての学問嫌い。武芸はなに一つ習わぬものはないが、字が読めない。あのお女中に手紙を突きつけられ、武士たる者が、読めぬとは申されぬ。それで身の腑甲斐なさを泣いていたのじゃ」

そばで塩屋の爺さんもまだ泣いている。

「私はね、なにかあると、すぐ涙が出るたちでして」
「へえ、そうかい」
「へい、あたしの商売がそうなんです」

天秤棒を肩に当てると
「泣き塩ォーッ」

底本:初代三遊亭円右

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しりたい

円馬、円右から志ん生へ

原話は安永4年(1775)刊の漢文体笑話本『善謔隨訳』中の小咄です。

上方で「焼き塩」の題で演じられていたものを、明治末、三代目桂文団治(1856-1924)の演出をもとに三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)が東京に移植。円馬よりはるかに先輩の初代三遊亭円右(沢木勘次郎、1860-1924、→二代目円朝)が「当てずっぽう」の題でよく演じ、同人の死の前年、大正12年(1923)の速記も残っています。

昭和初期には七代目三笑亭可楽(玉井長之助、1886-1944、玉井の)が「塩屋」の演題で速記を残しましたが、先の大戦後は五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890.6.5-1973.9.21)の独壇場でした。

塩屋

江戸時代、塩売りはおもに老人のなりわいでした。

この噺に登場する通り、塩を載せた浅いざるを二つ、天秤で担って売り歩きます。

天秤ほか、商売道具はすべて借り物なので、元手はかかりません。

焼き塩は、ニガリを多く含む赤穂塩などでは雨の日などにべとべとになるため軽くあぶってさらさらにしたもの。別名を撓め塩ともいい、天文年間(1532-55)に、堺の塩商人、壷塩屋藤太夫が初めて製造販売したとされます。

現在も、スーパーなどで普通に売っています。

壷塩屋藤太夫

現在、台所用の塩壷は施釉製共蓋の粗陶。茶道の茶碗や水指しなどに「塩笥」と称するものがあります。

元は朝鮮半島の塩入れであるそうですが、共蓋のものは見当たらないようです。

江戸時代に堺あたりから壷に入った焼き塩である「壷塩」をつくり全国に売り出しました。壷の形は同じようなものですが、おおざっぱには筒形をして蓋が付いています。

高さは8~10cm、口径は約7.5cm。赤粘土の素焼き煉瓦のような赤褐色。

手づくりか型づぐりです。時代によっては蓋や胴の側部にその時期の印が捺されてあります。

堺の船待神社には女院御所より賜った奉書と、奉行の石河土佐守から伊織家への書状を保管しています。

船待神社には元文三年(1738)に壷塩屋が寄進した竹公像の画幅があるそうです。

裏面に願文があって、元祖藤太夫慶本、二世慶円、三世宗慶、四世宗仁、五世宗仙、六世円了、七世了讃、八世休心、九世藤左衛門の署名と印が残っています。

天文年間(1532-55年)、藤太夫という人が京都の幡枝土器の方法で壷をつくり、塩を大れて堺湊村から売り出し、代々「藤左衛門」と称し「伊織」の呼名を用いました。

八代休心の時にはすでに大坂に出店を設け、のちに大坂に移って代々「浪華伊織」と称して、今も焼き塩の製造販売を営業しています。

『堺鑑』に初代を藤太郎としているのは「藤太夫」の誤りだそうです。

「泉州麻生」「泉州麿生」の印のあるものは伊織家の壷塩を模倣したものであるそうです。

後継者のない噺

志ん生は、この地味な噺をかなり淡々とオーソドックスに演じていました。

円右の速記では、女は京屋のお蝶という上方女、場所が石町新道となっているほか、最後に登場して手紙を読む人物は、円右では町役の甚兵衛ですが、志ん生ではその時により無名の人物になったりしました。

受けない、笑いの少ない噺なので、志ん生以後、これといった後継者は出ません。

上方では、三代目桂米朝(中川清、1925.11.6-2015.3.19)が手掛けていました。

「手紙無筆」はこの噺の別題ではなく、本来まったくの別話です。

ことばよみいみ
永の暇 ながのいとま辞める
胤を宿す たねをやどす妊娠する
撓め塩 いためじおいたんだ塩。「撓」はたわめる意


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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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