志ん生が大陸で見たものは?


成城石井

五代目古今亭志ん生と六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900.9.3-79.9.3、柏木の)。気質も芸風もまるで水と油です。

この二人が戦争末期、連れ立って大陸慰問団に加わり、命からがらの苦難をなめたことは、落語ファンにはよく知られています。

中国東北部(旧満州)での大陸体験は、二人とも自伝にも語り残し、座談会や雑誌記事などでもさまざまな逸話が紹介されています。

ただ、双方の言い分にはかなりの食い違いがあります。

志ん生がどちらかというと、弥次喜多道中よろしくおもしろおかしく語っているのに対して、円生の方は、十歳上の志ん生の度外れた身勝手さに、どれだけヒドい目にあったかという、むしろ常識人が発するような恨みつらみをぶちまけている感があります。

いずれにせよ、真相はもはや闇の中です。

そこに割って入るのが森繁久彌。彼も当時の体験を記しています。二人を脇で見ていた男の目はほほ笑みながらも辛辣でした。

なかばフィクションにもかかわらず、まるでタイムマシンで見ているかのように、この大陸道中、出発のきっかけから志ん生帰国までのあらましがすべてわかってしまう、いや、わかった気にさせられてしまう、摩訶不思議な一冊があります。

井上ひさし『円生と志ん生』(集英社、2005年)。

井上の演出で、劇団こまつ座第75回公演として2005年2月~3月に東京・紀伊国屋ホールほかで上演された同名ミュージカルの台本を、そっくり収録したものです。

ソ連軍侵攻前後の中国東北部を舞台に、松尾こと円生(角野卓造)と孝蔵こと志ん生(辻萬長)を中心に、さまざまな人物が織り成す人間模様が描かれます。

この戯曲(本)の画期的なところは、生死の縁を病葉のようにさまよう中、二人がどのように「芸」に開眼していくかという物語なのです。

当時、55歳にしてようやく売れ出して、後年のシャープな芸風を確立しつつあった志ん生。敗色濃厚になるにつれ、禁演落語とやらで廓噺もダメ泥棒噺もご法度。

おまけに、開口一番で二人が国民服姿で登場することでわかるように、噺家の象徴であるトバ(着物)まで、空襲で逃げるときに引きずって走れないという、わけのわからない理由で事実上禁止され、フラストレーション爆発寸前。

そこへ、満州へ渡れば白飯も食い放題酒も呑み放題、軍属の少佐待遇でアゴアシ付き月150円という結構ずくめの話だから、たちまち飛びついて、いきなり楽屋で一声。

「松ちゃん、明日行こう」

重苦しい内地を離れると、芸に関しては志ん生は水を得た魚。十歳年下ながら、三遊の総帥、五代目円生の御曹司で豆落語家から順風満帆、真打ちも一年早かった円生に、たちまち遠慮もコンプも雲散霧消、万事師匠気取りの上から目線。あまつさえ、芸の「指導」までおっぱじめる。

一方、円生。

会計係を任されたのに、相方の志ん生は、日本に帰る資金作りと称して、片っ端からなけなしの金を強奪、あげくに博打でスッテンテン。怒り心頭でも、すっぱり別れられないなにかがあるのは、劇中に当人が告白するように、当時、四十半ばにして芸に行き詰まっていたから。

いっそ廃業して、とダンスホールや雀荘経営に手を出しても、借金の山が残るだけ。こちらもやけのやん八で大陸行きに乗ったものの、早くも追い立てを食いそうな大連の宿で、来るんじゃなかったと泣き言。

そこで、志ん生の一言がぐいっと胸をえぐります。

「おまえさんにはなんかある」

続いて、辛辣きわまるご託宣。

「松ちゃんはあいかわらずのそのそのそ、四角四面で行儀正しいだけで、ちっともおもしろくならねえ」

ごもっともと図星をつかれた松ちゃんですが、続けて、志ん生の言う円生の「なんか」というのが、ぶっ飛んでいます(第一幕第三場)。

「松ちゃんは、毎朝毎晩、歯をごしごし磨いている。それが、つまり、そのなんかなんだな」

噺家の商売道具は口と歯。歯なしでは噺はできない。だから、この人は死ぬまで噺家をやろうと心を決めているんだと。その後も志ん生の稽古は続きます。

場は進んで、吹雪の昭和20年暮れ。

ソ連軍に追われ追われて、大連遊郭街、逢坂町の娼妓置屋に居候している二人。

フグ雑炊の鍋を前に、「松ちゃんの上下の移り替えは大きすぎる」とやっつける志ん生。

テンポよく実演付きで「移り替えが大きいとその分、間が空くだろ」。

パパッと語ってストンと落とすから落とし噺、という志ん生。

今話しているのは誰か、客にはっきりわからせるために身振りをゆっくり大きく、という円生の言い分。

「客」の二人の娼妓の感想は、完全に志ん生に軍配が上がります。このやりとりは、おそらく作者の創作でしょうが、晩年に至るまでの二人の芸風の違いが、実によくわかります。

結局、円生は大家となってからも、テンポが遅くてくどい、という欠点を払拭できませんでしたが、志ん生の、当人の自負する落とし噺の切れ味にある種の憧れとコンプレックスを、生涯抱いていたのではないでしょうか。

ただ、自分にはとうてい志ん生のまねはできないと思い定めたとき、向こうが短距離走者ならこちらはマラソンランナーと、じっくり本格的に語り込む人情噺で芸を開花させていったわけです。

もう一つ。

この物語の買いは、志ん生、美濃部孝蔵のふだんの肉声が、よりリアルに「再現」されていること。

それも、ほとんどは作者が創作した可能性が高いにもかかわらず、あたかも生きた志ん生に傍で話を聴いているように、いや笑えること。

「あたしァね、朝めしを抜くと座り小便が出てしまうってえ病気持ちなんだ」

「とんちきおかみめ、はなし家の丸干しでもこさえようてえんだな」

「やーい、いきなり攻め込んできやがって。スターリンのヒキョーモン」

「おまえの髭は毛虫髭」

「その髭に柄をすげて歯ブラシにしてやるぞ」

これは「岸柳島」の船中の町人や「たがや」の弥次馬よろしくですが、まだまだいくらも堪能できます。

井上ひさしがいかに落語に造詣が深く、落語を愛し、自らの劇作の大きな源にしていたか、とりわけ志ん生の諧謔と江戸前の洒脱さを、この東北人が誰よりも深く理解していたことがうかがわれるのです。

もちろん、避難民の悲惨な体験を通しての戦争への告発も、作者の重要な意図であることは確かで、それは場の変わり目ごとに、二人を交えて霊の声のように唱和される歌に象徴されます。

筆者にはあくまで、落語という芸のデーモンに取り憑かれた二人、とりわけ志ん生が、どんな地獄の最中でも、最後の最後まで噺をしゃべり通しているということが印象的でした。

大団円近く、大連のとある修道院で、落語のラの字も知らない院長と三人の修道女を相手に、志ん生が必死に、「元日に坊さんが二人、すれちがって、これが本当の和尚がツー」……と三平並みの小咄を連発するくだりは鬼気迫るものがありました。

第一に腑に落ちたのは、円生と志ん生は、戦後どれほどいがみあいをしようと、原点は大陸で、命のきわを共にした戦友にしてケンカ友達だったということ。その二人の、どんな緻密な伝記作者でも描ききれない心の襞が、この「井上ひさしによる珍道中」で、垣間見せてもらった気がします。

高田裕史


成城石井

落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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