えはなかちょうきりどおし
「ええ」という返事のまぜっ返しで使われました。
こんな具合でしょうか。
「あんた、今日は休みなのかい」
「ええ」
「絵は仲町切り通し!」
こんな、どうでもよいことをわざわざことばにするのも、しゃれています。これが江戸文化。
「仲町切り通し」は文京区の「切通坂」の通称です。
切り通しとは、山や丘を人の力で切り開いた道のこと。なにも鎌倉だけにあるのではありません。坂の多い江戸にもありました。
この切り通しは、湯島天神と麟祥院の間を通る坂道のことです。坂の下の谷間にあった「仲町」に通じるため、新しく山を切り開いて作られた道であることから、その名がつけられたそうです。江戸期の地誌『御府内備考』にも「切通しは天神社(=湯島天神)と根生院(=麟祥院)の間の坂」であることが記されています。
「仲町」は、現在の台東区上野と文京区湯島一帯の広い範囲を指す古い地名です。この坂は、本郷三、四丁目の間から池之端や仲町方面へと通じる便利な道として利用されました。
このあたりに絵草紙屋があったので、「絵は仲町切り通し」となったわけです。
「絵は神明前」というバージョンもあります。
この「神明前」は芝神明前。広重の江戸名所絵の揃物を出した版元として、若狭屋与市(若与)や丸屋甚八(丸甚)、万屋吉兵衛、丸屋清次郎、有田屋清右衛門などがありました。絵草紙屋の街だったのですね。