らくごのあらすじじてん うぇぶ せんじよせ
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要点と背景がよくわかる。
さあ!
このページは2025年12月4日に更新されました。
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【きょうの茶噺】
北鎌倉でカンヅメに。解放された朝、そこらへんのお寺に足を延ばしたのですが、そこでびっくり。その寺は光照寺。藤沢遊行寺、時宗の末寺だそうです。一遍上人ご一行が踊り念仏を唱えて鎌倉に入ろうとしたら、時の権門、北条時宗に入府を阻まれ、しかたなく小袋谷に野宿したそうです。その場所がいまは光照寺となっているという時宗ゆかりの地。◆小さな山門はクルス門と呼ばれます。江戸時代、潜伏キリシタンを檀信徒としてかくまったんだとか。踊り念仏はどこか世俗から逸脱しているように見えましたが、じつにフトコロ深いのですね。ご法度のキリシタンをしれっとかくまっちゃうのですから。「鈴ふり」の豪気ぶりは伊達ではありませんでした。朝、なにげなく立ち寄った光照寺で、この宗門への見方が変わりました。◆さて、その後。上の写真の家紋をご覧ください。この紋は、ラテン語のⅠesus Hominum Salvator(人々の救い主、イエス)の頭文字ⅠHSが意匠化されているそうです。ちょっとできすぎですかね。この紋は中川クルス(久留子)といわれるそうです。豊後(大分県)、岡藩の藩主中川家の替え紋。第二の家紋なんですね。なんでそんなものが光照寺にあるのか。光照寺の南西に東渓院という臨済宗の寺がありました。岡藩第三代藩主の中川久清(1615-81)によって娘の菩提を弔うために建てたのだとか。明治初年の廃仏毀釈で廃寺となり、山門が近所の光照寺に移されました。それが光照寺のクルス門。クルス紋が掲げられています。日本には十字架を意匠化したクルス紋が27種類あるそうです。そのひとつなのですね。◆光照寺の潜伏キリシタン云々の前に、近所の中川家の菩提寺から移築されただけのこと。◆光照寺の潜伏キリシタンかくまいと山門のかかわり、中川クルスから中川家は潜伏キリシタンだったのかどうか。このふたつは別物のようでありながら絡み合っているような。ここから先はよくわかりません。でも、なぜかひかれます。
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不思議な構図の歌麿の春画