九州吹き戻し きゅうしゅうふきもどし 演目

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 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

あまりかかることのない、珍しい噺です。粗っぽくて、いや、どうも。

【あらすじ】

放蕩の挙げ句、お決まりで勘当された、元若だんなのきたり喜之助。

それならいっそ、遊びのしみ込んだ体を生かそうと幇間になったが、金を湯水のごとく使った癖が抜けず、増えるのは不義理と借金ばかり。

これでは江戸にいられないと、夜逃げ同然に流れ流れてとうとう肥後の熊本城下へ。

一目で一文なしとわかるみずぼらしい風体になったので、どの宿屋も呼び込んでくれない。

ふと眼についたのが、江戸屋という旅籠の看板。

江戸という名の懐かしさに、
「えい、なんとかなるだろう」
とずうずうしく上がり込み、明日は明日の風が吹くとばかり、その夜は酒をのんでぐっすり寝入ってしまった。

翌朝、
「おや、喜之さんじゃなか」
と誰かが声を掛けるので、ひょいと見ると昔なじみで、湯屋同朋町にいた大和屋のだんな。

このだんなも商売をしくじり、江戸を売ってはるばるこの地へ流れ着き、今ではこの旅籠の主人。

喜之助、地獄に仏とばかり、だんなに頼んで板場を手伝わせてもらい、時には幇間の「本業」を生かして座敷にも出るといったわけで、客の取り持ちはさすがにうまいので、にわかに羽振りがよくなった。

こうして足掛け四年辛抱して、貯まった金が九十六両。

ある日、だんなが、
「おまえさんの辛抱もようやく身を結んできたんだから、あと百両も貯めたらおかみさんをもらい、江戸屋ののれんを分けて末永く兄弟分になろう」
と言ってくれたが、喜之助はここに骨を埋める気はさらさらない。

日ごと夜ごと、江戸恋しさはつのるばかり。

そこでだんなに、
「一人のおふくろが心配で」
と切り出すと、
「おまえさんのおっかさんはもう亡くなっているはずだが」
と、苦笑しながらも、
「まあ、そんなに帰りたければ」
と、親切にも贔屓のだんな衆に奉賀帳を回して二十両余を足し前にし、餞別代わりに渡してくれた。

出発の前夜、夢にまで見た江戸の地が踏めると、もういても立ってもいられない喜之助、夜が明けないうちに江戸屋を飛び出し、浜辺をさまよっていると、折よく千五百石積の江戸行きの元船(荷船)の水手に出会った。

便船(荷船に客を乗せること)は天下のご法度だが、病気のおふくろに会いに行くならいいだろうと、特別に乗せてもらうことになった。

海上に出てしばらくは申し分ないよい天気で、船は追い風をはらんで矢のように進んだが、玄界灘にさしかかるころ、西の空から赤い縞のような雲が出たと思うと、雷鳴とともにたちまち大嵐となった。

帆柱は折れ、荷打ちといって米俵以外の荷は全て海に投げ込み、一同、水天宮さまに祈ったが、嵐は二日二晩荒れ狂う。

三日目の夜明けに打ち上げられたのが、薩摩の桜島。

江戸までは四百里、熊本からは二百八里。

帰りを急ぎ過ぎたため、百二十里も吹き戻されたという話。

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【しりたい】

円朝もサジ投げた噺

原話や成立過程などはいっさい不明です。初代古今亭志ん生(1809-56)が得意にしていました。おそらく、天保年間(1830-44)のことでしょう。その志ん生も、鈴々舎馬風から金千疋(約二両二分)で譲ってもらったというので、起源はかなり古いと思われます。

初代志ん生は、江戸後期の人情噺の名手で、三遊亭円朝の芸の上で伯父分にあたります。その円朝は、若き日に志ん生の「九州吹きもどし」を聴き、とても自分はできないと断念。後年、門下にも口演を禁じたほどでした。

談志や雲助が復活

円朝没後、その「禁」を破って、孫弟子の三代目三遊亭円馬が大正期に高座にかけ、十八番としました。円馬と同時期では他に初代柳家小せんが演じ、戦後では四代目円馬が師匠譲りで持ちネタに。

その後、まったく絶えていたのを、立川談志が復活しました。筋としてはかなり荒っぽい噺ですが、後半はスケールが大きなスペクタクルで、芸格の大きな人が演じると、引き立つ噺でしょう。近年では、五街道雲助の持ちネタです。

きたり喜之助

主人公の名ですが、これは江戸の言葉遊びで、「来たり」(よしきた!)の頭韻を合わせただけの洒落を、そのまま人名にしたものです。「きたり喜の字屋」も同じです。                       
山東京伝作(1761-1816)の黄表紙(絵入り読み物)、「江戸生艶気樺焼」にも使われ、表記では「北里喜之助」とあります。 

奉賀帳

ほうがちょう。もともとは、社寺に寄進する金額を記した帳面で、のちには寄付を募った時、その金額と氏名を記録する台帳の意味で使われました。「奉加帳を回す」といえば、仲間がピンチのとき、有志が友人一同に、義援金を集めて回ること。つまりは、カンパのことですね。

元船

もとぶね。親船ともいい、荷船の中でも特に大船を指します。ここでは薩摩藩の船という設定です。実際、薩摩のものが最も大きく、二千八百石積みと記録にあります。だいたい、400トン積み程度でしょう。幕府の禁制で、軍艦に改造するのを防ぐため、三千石以上の建造は許されませんでした。

【語の読みと注】
幇間 たいこもち
旅籠 はたご
贔屓 ひいき
餞別 せんべつ
水手 かこ:船乗り
江戸生艶気樺焼 えどうまれうわきのかばやき

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幽女買い ゆうじょかい 演目

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遊女と幽女。暇人でなけりゃ、こんな話題はおさえませんね。

【あらすじ】

急に暗いところに来てしまった太助、三月前に死んだはずの源兵衛に声をかけられてびっくり。

「おめえは確かに死んだよな」
と念を押すと
「おめえ、おれの通夜に来たろ」

太助が通夜の席で
「世の中にこんな助平で女郎買いの好きな奴はなくて、かみさんは子供を連れて出ていくし、これ幸いと女を次々に引きずり込んだはいいが、悪い病気をもらって、目はつぶれる鼻の障子は落ちる、借金だらけで満足な葬式もできない始末だから、どっちみち地獄おちは間違いない。弔いはいいかげんにして、焼いて粉にして屁で飛ばしちまおう」
とさんざん悪口を言ったのを、当人に全部聞かれている。

死骸がまだそこにあるうちは聞こえるという。

太助、死んだ奴がどうしてこんなところにいるのか、まだわからない。

「てめえも死んだからヨ」
「おれが死んだ? はてな」

そう言われれば、かみさんが枕元で医者に
「間違いなく死にました? 生き返らないでしょうね?……先生、お通夜は半通夜にしてみんな帰しますから、あの、今晩……」
なんぞと抜かしていたのを思い出した。

「ちきしょうめッ」
と怒っても、もう後の祭り。

ここのところ飢餓や地震で亡者が多くなり、閻魔の庁でも忙しくて手が回らず、源兵衛も「未決」のまま放っておかれているという。

浄玻璃の鏡も研ぐ時間がないため、娑婆の悪業がよく写らないのを幸い、そのうちごまかして極楽へ通ってしまう算段を聞き、太助も一口乗らせてもらうことにした。

お互いに死んだおかげで、すっかり病気も治って元気いっぱい。

白団子を肴に祝杯をあげるうち、こっちにも吉原ならぬ死吉原があり、遊女でなく幽女買いができるので、ぜひ繰り込もうとうことになった。

三枚駕籠の代わりに早桶で大門に乗りつけると、人魂入りの提灯がおいでおいで。

ここでは江戸町は冥土町、揚屋町はあの世町。

見世も、松葉屋は末期屋、鶴屋は首つる屋と名が変わる。

女郎はというと、張り見世からのぞくと、いやに痩せて青白い顔。

ここではそれが上玉だとか。

女が
「ちょいとそこの新亡者、あたしが往生さしてあげるからさ」
と袖をひくので揚がると
「へいッ、仏さまお二人ッ」

わっと陰気に枕団子の付け焼きで、まず一杯。

座敷では芸者が首から数珠をぶらさげ、りんと木魚で
「チーン、ボーン」。

幇間が
「えーご陰気にひとつ」
と、坊主姿で百万遍。

お引けになると、御詠歌が聞こえ、生温い風がスーッ。

「恨めしい」
「待ってました。幽ちゃん」

夜が明けると
「『おまはんが好きになったよ』って女が離れねえ。『いっそ二人で生きたいね』『生きて花実が咲くものか』なんて」
と妙なノロケ。

帰りがけに喉がかわいたので、「末期の水」を一杯のみ干し、
「厄介になった。また来るよ」
「冥土ありがとうございます」

表へ出ると向こうから
「お迎え、お迎え」

【しりたい】

縁起の悪さで五つ星!

上方落語の「けんげしゃ茶屋」と並び、私としては正月の初席でやってほしい噺の双璧なのですが、いまでは本物の亡者になった立川談志のあとはなぜか、ほとんどやり手がなさそうなのが残念しごく。

談志演出での、主人公二人の、地獄に堕ちて当然の業悪ぶりには本当に感服させられました。

とりわけ、「焼いて屁で飛ばしちまう」には笑えます。

後半は、単に現実の茶屋遊びを地獄に置き換え、縁起の悪い言葉を並べただけで、ややパワーが落ちますが、談志が前半の通夜の太助の悪口と、女房と医者のちちくりあいを創作しただけで、この噺は聞くに値するものになりました。

どなたか、後半をもう少し面白くつくってもらえればいいのですが。

浄玻璃の鏡

地獄の閻魔の庁で、亡者のシャバでの行状をありありと映し出す鏡。昔の鏡は金属製で曇りやすく、そのつど鏡研師に研がせなければなりませんでした。

三枚駕籠

三枚肩ともいい、一丁の駕籠に三人の駕籠かきが付き、交代で担ぎます。急用のとき、または廓通いで見栄を張る場合などに雇いました。

お迎え

盆に、精霊流しの余りをもらい歩く物ごいの声と、吉原で茶屋の者が客を迎えに来る声を掛けたものです。

古いやり方と速記

明治中期、「魂祭(たままつり)」の題で演じた六代目桂文治、「亡者の遊興」とした二代目三遊亭小円朝の速記が残っています。

文治では、地獄の茶屋で、隣のもてぶりに焼餅を焼き、若い衆に文句を言う官員と職人の二人を登場させていますから、あるいはこの噺は「五人廻し」のパロディとして作られたのかもしれません。

【幽女買い 立川談志】

みいらとり【木乃伊取り】演目

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その名のとおり、みいら取りがみいらになってしまった噺です。

【あらすじ】

道楽者の若だんなが、今日でもう四日も帰らない。

心配した大だんなが、番頭の佐兵衛を吉原にやって探らせると、江戸町一丁目の「角海老」に居続けしていることが判明。

番頭が「何とかお連れしてきます」と出ていったがそれっきり。

五日たっても音沙汰なし。

大だんなが「あの番頭、せがれと一緒に遊んでるんだ。誰が何と言っても勘当する」と怒ると、お内儀が「一人のせがれを勘当してどうするんです。鳶頭ならああいう場所もわかっているから、頼みましょう」ととりなすので呼びにやる。

鳶頭、「何なら腕の一本もへし折って」と威勢よく出かけるが、途中の日本堤で幇間の一八につかまり、しつこく取り巻くのを振り切って角海老へ。

若だんなに「どうかあっしの顔を立てて」と掛け合っているところへ一八が「よッ、かしら、どうも先ほどは」

あとはドガチャカで、これも五日も帰らない。

「どいつもこいつも、みいら取りがみいらになっちまやがって。今度はどうしても勘当だ」と大だんなはカンカン。

「だいたい、おまえがあんな馬鹿をこさえたからいけないんです」と、夫婦でもめていると、そこに現れたのが飯炊きの清蔵。

「おらがお迎えに行ってみるべえ」と言いだす。

「おまえは飯が焦げないようにしてりゃいい」としかっても「仮に泥棒が入ってだんながおっ殺されるちゅうとき、台所でつくばってるわけにはいかなかんべえ」と聞かない。

「首に縄つけてもしょっぴいてくるだ」と、手織り木綿のゴツゴツした着物に色の褪めた帯、熊の革の煙草入れといういでたちで勇んで出発。

吉原へやって来ると、若い衆の喜助を「若だんなに取りつがねえと、この野郎、ぶっ張りけえすぞ」と脅しつけ、二階の座敷に乗り込む。

「番頭さん、あんだ。このざまは。われァ、白ねずみじゃなくてどぶねずみだ。鳶頭もそうだ。この芋頭」と毒づき、「こりゃあ、お袋さまのお巾着だ。勘定が足りないことがあったら渡してくんろ、せがれに帰るように言ってくんろと、寝る目も寝ねえで泣いていなさるだよ」と泣くものだから、若だんなも持て余す。

あまりしつこいので「何を言ってやがる。てめえがぐずぐず言ってると酒がまずくなる。帰れ。暇出すぞ」と意地になってタンカを切ると、清蔵怒って「暇が出たら主人でも家来でもねえ。腕づくでもしょっぴいていくからそう思え。こんでもはァ、村相撲で大関張った男だ」と腕を捲くる。

腕力ではかなわないので、とうとう若だんなは降参。

一杯のんで機嫌良く引き揚げようと、清蔵に酒をのませる。

もう一杯、もう一杯と勧められるうちに、酒は浴びる方の清蔵、すっかりご機嫌。

ころあいを見て、若だんなの情婦のかしく花魁がお酌に出る。

「おまえの敵娼に出したんだ。帰るまではおまえの女房なんだから、あくぁいがってやんな」

花魁「こんな堅いお客さまに出られて、あたしうれしいの。ね、あたしの手を握ってくださいよ」としなだれかかってくすぐるので、清蔵はもうデレデレ。

「おい番頭、かしくと清蔵が並んだところは、似合いだな」
「まったくでげすよ。鳶頭、どうです?」
「まったくだ。握ってやれ握ってやれ」

三人でけしかける。

「へえ、若だんながいいちいなら、オラ、握ってやるべ。ははあ、こんだなアマっ子と野良ァこいてるだな、帰れっちゅうおらの方が無理かもすんねえ」
「おいおい、清蔵、そろそろ支度して帰ろう」
「あんだ? 帰るって? 帰るならあんた、先ィお帰んなせえ。おらもう二、三日ここにいるだよ」

【しりたい】

「みいらとりがみいらに……」

呼びに行った者が誰も帰らないことですが、皮肉なこの噺の結末にはぴったりの演題です。清蔵をいちずに、実直に演じることで最後のオチのドンデン返しが効いてきます。

「みいら」は本来、死体の防腐用の樹液のことで、元はポルトガル語。木乃伊、蜜人とも書きます。それが乾燥死体そのものの意味にに転じたものですが、ことわざの意味との関係は不明です。

円生から談志へ

古くからの江戸前噺です。

戦後、得意にしていたのは六代目三遊亭円生と八代目林家正蔵で、特に円生のものは、人物の描き分けが巧みで、定評がありました。

円生没後は立川談志の得意ネタで、談志は、花魁が権助(清蔵)の上にまたがったりするエロチックな演出を加え、オチは、「こんなに惚れられてんのに、店なんぞに帰れるか」「勘定どうする?」「さっきの巾着よこせ」としていました。

角海老のこと

落語にしばしば登場する「角海老(かどえび)」は、旧幕時代は「海老屋」といい、吉原屈指の大見世、超有名店でした。「角海老」と称するようになったのは維新後です。

「角海老」の創業者は、信州出身の宮沢平吉なる者で、幕末に上京して牛太郎(客引き)から身を起こし、海老屋を買い取って、明治17年(1884年)に「角海老」の看板をあげました。

その屋根の、イルミネーション付きの大時計は明治の吉原のシンボルでした。

日本堤

元和6年(1620)、荒川の治水のため、浅草聖天町から箕輪(三ノ輪)まで築いた堤防です。そのうち吉原衣紋坂までを土手八丁、または馬道八丁と呼びました。

日本堤(にっぽんづつみ)の名の由来は、堤防構築に、在府している全国のすべての大名が駆り出されたことからきたといいます。

【木乃伊取り 立川談志】

てっかい【鉄拐】演目

スヴェンソンの増毛ネット

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中国大陸が舞台、奇妙で底抜けに壮大な噺です。

【あらすじ】

北京の横町に、上海屋唐左衛門という大貿易商がいた。

中国はもちろんのこと、ロンドンやニューヨークにも支店を持つという大金持ち。

毎年正月には世界中から知人、友人、幹部社員などを集めて大宴会を催し、珍しい芸人を集めて余興をやらせることにしていた。

毎年のこととて、余興の種が尽き、いい芸人が集められなくなった。

そこで、番頭の金兵衛が各地を巡り、募ることにした。

金兵衛は山また山を越え、とある山中で道に迷っていると、大きな岩の上にボロボロの着物を着て杖をつき、ヒゲぼうぼうの老人がぼんやり座っている。

聞いてみると、鉄拐と名乗る仙人。

何か変わったことができるかと尋ねると、腹の中からもう一人の自分を吐き出してみせたから、これは使えると金兵衛は大喜び。

渋るのを無理に承知させ、鉄拐の雲に便乗して北京に帰った。

鉄拐の芸は大受けで大評判となり、お座敷や寄席の出演依頼がどっと押し寄せた。

今では当人もすっかりその気になり、上海屋に豪邸をもらい、厄貝、モッ貝、シジミッ貝という三人の弟子を取り、近ごろは女を物色するというありさま。

評判がよくなると、ねたむ者も出る。

「このごろ昔のおんぼろななりを忘れてぜいたく三昧、お高くとまってやたらに寄席を抜きゃあがる。どうでえ、あの野郎をへこますために、鉄拐の向こうを張るような仙人を連れてこようじゃねえか」

そんなわけで引っ張ってきてのが、張果老という仙人。

こちらは、徳利から馬を出す。

新し物好きの世間のこと、鉄拐はあっと言う間に飽きられ、お座敷ひとつかからない。

逆に張果老は大人気。

面白くない鉄拐、どんな芸か見てやろうと、ある晩ライバルの家に潜入してみると、張果老は大酒をのんで高いびき。

この徳利からどうやって馬が出るのかしらんと、口に当てて息を吸い込んだから、たちまち中の馬は徳利から鉄拐の腹の中へ。

虎の子の馬が盗まれて、今度は張果老があっと言う間に落ち目に。

しかし悪いことはできないもので、いつの間にか、犯人は鉄拐だという噂が立った。

「先生、あんたが馬泥棒てえ評判ですが」
「とんでもねえ、ヒヒーン」

腹の馬がいなないて、あっさりバレた。

「それならそれで、今度はあんたの分身を馬に乗せて吐き出すという新趣向を出したらどうだ」

そんな悪知恵を授けた者がいる。

ところが、鉄拐は馬を吐き出せないので、客を腹の中に入れて見物させる。

これが大当たりで、たちまち満員札を口と肛門に張る騒ぎに。

そのうち、酔っぱらった客二人が大げんかを始め、さすがの鉄拐もたまらず吐き出す。

それがなんと、李白と陶淵明。

スヴェンソンの増毛ネット

【しりたい】

鉄拐仙人

道教の八仙の一人で、李鉄拐といいます。

伝説によると、自宅に肉体を置いたまま魂で華山まで飛び、太上老君(道教の神・老子)に会いましたが、帰ってみると、弟子が肉体を火葬してしまった後で、戻るべきところがなくなり、困りました。

そこで、近所に行き倒れの物乞いがいたのを幸い、その屍骸を乗っ取って蘇生したとか。

鉄拐がボロをまとった姿で登場するのは、この故事に由来します。

張果老

同じく、八仙の一人。

白いロバに乗っているのが特徴です。

このロバ、用のないときは紙のように折りたたんで行李に納められ、水を吹きかけると、たちまち、一日何万里も歩くロバになります。

噺の中の馬は、このロバのことでしょう。

北京の大富豪の「番頭」が金兵衛というのが笑わせるじゃないですか。

この噺が得意だった立川談志は、「上海は新横町2の2上海屋唐右衛門」で演じていました。

談志なりのリアリティーなのでしょうが、目くそ鼻くそを笑うがごときこざかしさ。リアリティーもへったくれもない設定です。

ま、そこがいいのですがね。

李白と陶淵明が最後に出てきますが、両者とも酔いどれ詩人で有名です。

だからこそ、オチの意味がああるわけで。

談志は、大島渚と野坂昭如に代えたりもしていますが、だからといって、まあ、さしたるおかしさがかもしだされるわけでもないでしょう。

【鉄拐 立川談志】

スヴェンソンの増毛ネット

そこつながや【粗忽長屋】演目

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「粗忽」とはあわてん坊の意。行き倒れの主が自分!? 粗忽者はさてどうする。

【あらすじ】

長屋住まいの八五郎と熊五郎は似た者同士で、兄弟同様に仲がいい。

八五郎は不精でそそっかしく、熊五郎はチョコチョコしていてそそっかしいという具合で、二人とも粗忽さでは、番付がもしあれば大関を争うほど。

八の方は信心はまめで、毎朝浅草の観音様にお参りに行く。

ある日、いつもの通り雷門を抜け、広小路にさしかかると、黒山の人だかり。

行き倒れだという。

強引に死体を見せてもらうと、そいつは借りでもあって具合が悪いのか、横を向いて死んでいる。

恐ろしく長っ細い顔だが、こいつはどこかで見たような。

「こいつはおまえさんの兄弟分かい」
「ああ、今朝ね、どうも心持ちが悪くていけねえなんてね。当人はここで死んでるのを忘れてんだよ」
「当人? おまえさん、兄弟分が浅ましい最期をとげたんで、取りのぼせたね。いいかい、しっかりしなさいよ」
「うるせえ。のぼせたもクソもあるもんけえ。うそじゃねえ明かしに、おっ死んだ当人をここへ連れて来らァ」

八五郎、脱兎のごとく長屋へ駆け込むや、熊をたたき起こし、
「てめえ、浅草の広小路で死んだのも知らねえで、よくもそんなにのうのうと寝てられるな」
と息巻く。

「まだ起きたばかりで死んだ心持ちはしねえ」
と熊。

昨夜どうしていたかと聞くと、本所の親類のところへ遊びに行き、しこたまのんで、吉原をヒヤカした後、田町でまた五合ばかり。その後ははっきりしないという。

「そーれ見ねえ。つまらねえものをのみ食いしやがるから、田町から虫の息で仲見世あたりにふらついてきて、それでてめえ、お陀仏になっちまったんだ」

そう言われると、熊も急に心配になった。

「兄貴、どうしよう」
「どうもこうもねえ。死んじまったものはしょうがねえから、これからてめえの死骸を引き取りにいくんだ」
というわけで、連れ立ってまた広小路へ。

「あらら、また来たよ。あのね、しっかりしなさいよ。しょうがない。本人という人、死骸をよくごらん」

コモをまくると、いやにのっぺりした顔。

当人、止めるのも聞かず、死体をさすって、
「トホホ、これが俺か。なんてまあ浅ましい姿に……こうと知ったらもっとうめえものを食っときゃよかった。でも兄貴、何だかわからなくなっちまった」
「何が」
「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ、誰なんだろう」

【しりたい】

主観長屋?

アイデンティティーの不確かさを見事についた鮮やかなオチです。

立川談志は、主人公の思い込みの原因は「あまりにも強すぎる『主観』にある」という解釈で、「主観長屋」の題で演じましたが、この場合の「主人公」は八五郎の方で、いったん、こうと思い込んだが最後、刀が降ろうが槍が降ろうがお構いなし。1+1は3といったら3なのです。

対照的に相棒の熊は、自我がほぼ完璧に喪失していて、その現れがオチの言葉です。

どちらも誇張されていますが、人間の両極を象徴しています。

四代目柳家小さんは、「死んでいるオレは……」と言ってはならないという教訓を残していますが、なるほど、この兄ィは、自分の生死さえ上の空なのですから当然でしょう。

代々の小さんに受け継がれた噺で、現在では、脳内に霞たなびく熊五郎が抱腹絶倒の柳家小三治が、その直系のように思えます。

三代目小さんの貴重な音源が残るほか、五代目志ん生、五代目小さん、談志のものが多く出ています。

自身番のこと

自身番屋は、町内に必ず一つはあり、防犯・防火に協力する事務所です。

昼間は普通、町役(おもに地主)の代理である差配(大家)が交代で詰め、表通りに地借りの商家から出す店番(たなばん)1名、事務や雑務いっさいの責任者で、町費で雇う書役(しょやく)1名と、都合3名で切り盛りします。

行き倒れの死骸の処理は、原則として自身番の役目です。

身元引受人が名乗り出れば確認のうえ引き渡し、そうでなければお上に報告後回向院などの無縁墓地に投げ込みで葬る義務がありました。

その場合の費用、死骸の運搬費その他は、すべて町の負担でした。

したがって、自身番にすれば、こういうおめでたい方々が現れてくれれば、かえって渡りに船だったかもしれません。

【粗忽長屋 立川談志】

はつねのつづみ【初音の鼓】演目 

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歌舞伎『義経千本桜』中、有名な「狐忠信」のパロディー です。

別題:ぽんこん

【あらすじ】

骨董好きの殿さまのところに、出入りの道具屋・金兵衛が怪しげな鼓を売り込みに来る。

側用人の三太夫に、これは下駄の歯入れ屋のじいさんが雨乞いに使っていた鼓で、通称「初音の鼓」という。

じいさんが
「今度娘夫婦に引き取られて廃業するので形見にもらった」
と説明。

これを殿さまに百両でお買い上げ願いたいと言うから、三太夫はあきれた。

なにしろこの男、この間も真っ黒けの天ぷら屋の看板を、慶長ごろの額と称して、三十両で売りつけたという「実績」の持ち主。

金兵衛、殿さまの身になれば、「狐忠信」の芝居で名高い「初音の鼓」が百両で手に入れば安いもので、一度買って蔵にしまってしまえば、生涯本物で通ると平然。

「もし殿が、本物の証拠があるかと言われたら、どうする」
「この鼓を殿さまがお調べになりますと、その音を慕って狐がお側の方に必ず乗り移り、泣き声を発します、とこう申し上げます」
「乗り移るかい」
「殿さまがそこでポンとやったら、あなたがコンと鳴きゃ造作もないことで」

三太夫、
「仮にも武士に狐の鳴きまねをさせようとは」
と怒ったが、結局、一鳴き一両で買収工作がまとまる。

殿さまポンの、三太夫コンで一両。

ポンポンのコンコンで二両というわけ。

早速、金兵衛を御前に召し連れる。

話を聞いた殿さまが鼓を手にとって「ポン」とたたくと、側で三太夫が「コン」。

「これこれ、そちはただ今こんと申したが、いかがいたした」
「はあ、前後忘却を致しまして、一向にわきまえません」

「ポンポン」
「コンコン」
「また鳴いたぞ」
「前後忘却つかまつりまして、いっこうに」
「ポンポンポン」
「コンコンコン」
「ポンポン」
「コンコンコンコン」
「これ、鼓はとうにやめておる」
「はずみがつきました」

「次の間で休息せよ」
というので、二人が対策会議。

いくつ鳴いたか忘れたので、結局、折半の五十両ずつに決めたが、三太夫、鳴き疲れて眠ってしまい、ゆすっても起きない。

そこへ殿さまのお呼び出し。

一人で御前へ通ると、殿さまが
「今度はそちが調べてみい」

さあ困ったが、今さらどうしようもない。

どうなるものかと金兵衛が「ポン」とたたくと、殿さまが「コン」。

「殿さま、ただ今お鳴きに」
「何であるか、前後忘却して覚えがない」
「ありがとうさまで。ポンポンポン、スコポンポン」
「コンコンコン、スココンコン」
「ポンポン」
「コンコン……。ああ、もうよい。本物に相違ない。金子をとらすぞ」「へい、ありがとうさまで」

金包みを手に取ると、えらく軽い。

「心配するな。三太夫の五十両と、今、身が鳴いたのをさっ引いてある」

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

歌舞伎のパロディー

古風な噺で、歌舞伎や文楽のファンにはなじみ深い「義経千本桜」の「狐忠信」のくだりのパロディーです。

「初音の鼓」はその前の場「吉野山」で、落ち行く義経が愛妾の静御前に形見に与える狐革の鼓をさします。

親狐の皮でつくったその鼓を慕う子狐が、家来の佐藤忠信に化けて静に同行し、鼓を奪おうとするが、見破られ、静の打つ鼓の音で正体を現すのです。

「初音」の意味は、その浄瑠璃の詞章に「狐は陰の獣ゆえ、雲を起こして降る雨の、民百姓が喜びの声を初めてあげしより」に由来します。

噺の中で下駄屋の爺さんが雨乞いをしたのは、天気だと皆わらじばかり履き、下駄の歯がすりきれないから。

林家彦六がよく演じましたが、立川談志も持ちネタにしていました。

殿さま、金兵衛、三太夫みんな仲良しで、誰もがうそを承知で遊び戯れているような、ほのぼのと捨てがたい味わいが。

別話の「継信」も、別題が「初音の鼓」なので、区別してこの噺は「ぽんこん」とも呼ばれています。

【初音の鼓 三遊亭円生】