紙張り障子の下部が板張りになっている建具。
この一種で、板張りの部分が高さ60cm以上あるものは「腰高障子」と呼びます。
「腰高」とは一般には、道具の足の部分が高いものをさします。高坏など。
おれんとこはね、角から三軒目、腰障子に丸に八の字、丸八っていやあ、すぐにわかるんだ。
野ざらし
500題超。演目ごと1000字にギュッと。深いところがよくわかる。
文字通りの「物陰からこっそり見る」から、義理にでもたまには挨拶に来る、顔を見せるの意味。
ほとんどは否定語を伴って「かげのぞきもしない」で、「不義理をする、まったく顔を見せない」という非難の言葉になります。
このフレーズ、古い江戸の言葉で、『全国方言辞典』(佐藤亮一編、三省堂)には記載がありますが、なぜか『日本国語大辞典』(小学館)にも、『江戸語の辞典』(前田勇編、講談社)にも、項目がありません。
慣用表現としては死語となっても、直訳的におおよそ意味が推測できるからでしょうか。
宇野信夫(1904-91、劇作家)が、1935年(昭和10)に六世尾上菊五郎(寺島幸三、1885-1949、音羽屋)のために書き下ろした歌舞伎脚本「巷談宵宮雨」。
この中で、「影覗き」をセリフに用いました。
宇野は、大御所の岡鬼太郎(1872-1943、劇評家)から「あなたはお若いのに、かげのぞきという言葉をお使いになった」と褒められた、ということです。
こんなのが逸話に残るほど、昭和に入ると「影覗き」は使われなくなっていたようです。
当の宇野だって、生まれは埼玉県本庄市で、熊谷市育ち。長じて、慶応に通い出してから浅草で暮らしていたという、えせもの。
この言葉がはたして血肉になっていたのかどうか、あやしいものです。
とまれ、昭和初期にはすでに、老人語としてのほかは、東京でもほとんど忘れ去られていたということでしょうかね。
用のある時は来るけれども、さもなきゃかげのぞきもしやがらねえ。たまには出てこいよ。
雪の瀬川(六代目三遊亭円生)
江戸の町人特有の、縁起直しの呪文。
相手に不吉なこと、不浄なことを言われた後、必ず間を置かずに「つるかめつるかめ」と重ねて唱えます。
鶴と亀はともに長寿のシンボル。
縁起のいいものとされていたからで、いうなら精神的な口直しでしょう。
芝居では黙阿弥の代表的な世話狂言「髪結新三」で、大家に「オレに逆らったらてめえの首は胴についちゃあいねえんだ」と脅かされた小悪党の新三が、すかさず大げさに唱えて震える喜劇的なシーンが印象的です。
昭和初期までは老人の間では普通に使われていたと思います。
恐怖の度合いが強い場合は、さらに「万万年」を付けて呪力を強化します。
後家安「それじゃあちょっとおらあ行ってくるから」
お藤「また竹の子かえ」
後家安「縁起でもねえ、鶴亀鶴亀」
鶴殺疾刃包丁(後家安とその妹)
「竹の子」は博打のこと。剥かれるところから。
『明治東京風俗語事典』(正岡容)には「つるかめつるかめ」の項目が立っていて、「ツルもカメもめでたい動物なので、縁起の悪いときにこうとなえる」とあります。
この本は、典拠をすべて円朝作品から採取しているので、出元は同じでした。
配合具合や病状にによっては毒となる薬のこと。
例えば、バッファリンなどの血液をサラサラにする薬を間違って血友病患者などが服用すれば、敵薬どころか死薬となりかねません。
これが広く現代にもあてはまるのは、純粋に調剤される医薬品としての薬だけでなく、広く栄養素や、それらを含む食物にも当てはまる故です。
別に洒落ではないのですが、同音異義語の「適薬」の部分的な対義語となります。
ビタミン過多、脂肪過多などはもちろん「敵薬」のうちで、肉類の食べすぎや糖分、塩分の過剰摂取も、広い意味の「敵薬」。
この意味が転じて、鰻と梅干などのいわゆる「食い合わせ」も敵薬と呼ばれることがありました。
この場合、経験則のみで科学的根拠は怪しいものが多いのですが、とにかく、後から食べた方の食材が敵薬とされるわけです。
もう一つ、近代では、樋口一葉の「大つごもり」に「金は敵薬」とあり、抽象的な使用例も加わってきています。
「ちんちん鴨」と縮めた形もありますが、きれいごとで言えば、男女の仲がむつまじいことで、悪く言えば、いちゃついて見ていられないさま、をさします。
そこからさらにエスカレートして、文字通りの濡れ場、くんずほぐれつの交合そのものの隠語ともなりました。
「かもかも(鴨鴨) 」 は単なる語呂合わせです。
一説には、鴨肉は薬食いとして、江戸では美味で貴重品だったことから連想して、女の肉体そのものの象徴としてくっついたともいわれます。
うがってみれば、ドン・ジョバンニやカサノバのような女たらしには、すべての女はまさしく鴨(獲物)、「ヘイ、カモン」だったこともあるでしょう。
置炬燵で、ちんちん鴨だか家鴨だか。
三遊亭円朝「敵討札所の霊験」
鉄瓶がかっかと熱くなる擬音語から、嫉妬に胸を焦がす意味です。
これは男の場合にも言いますが、ほとんどは女のヤキモチ。
「熱い」の意味から、まったく反対の嫉妬される側、すなわち熱々の恋人同士を指すことも。
この場合には次項の「ちんちんかもかも」として使われた場合が大半です。
花魁の方じゃ、いやな芸者じゃあないかってんで、ちんちんを起こして、あっしを夜っぴて花魁が寝かさない。
ちきり伊勢屋
けちん坊、吝嗇である、の意味です。
「ケチくさい」のニュアンスから「貧弱な」「取るに足りない」という意味も派生しました。
語源は、「大言海」によると、「あた(あだ)」は蔑みの意味を表す接頭語、「しけない」は「しわけなし(い)」が縮まった言葉で、「しわい=ケチ」の古い形です。
江戸っ子風の洒落言葉として「あたじけなすび(茄子)」という表現もあります。
これは文字通り「ケチん坊」のことで、感謝の意味の「かたじけなすび」とまったく同型です。
ふだんあだじけない嘉藤太が平松なぞへ連れて参ってあれを喰え是をたべろと馳走致しますのは不思議な事だと。
三遊亭円朝「敵討霞初島」
【語の読みと注】
平松 ひらまつ:料亭の名
徹底的に否定的なニュアンスで「気取って」「きざったらしく」「半可通に」という悪口。
「いい間」というのはやはり、歌舞伎から来ているのでしょう。
役者が絶妙の間(タイミング)で見栄を切るのをまねて、オツに気取って見栄を張り、上から目線で鼻持ちならない粋人気取りのことです。
勘違いでおのれに酔いしれているような人間は、今の世にも掃いて捨てるほどいますね。
おれもいい間のふりをして、ああ、弥助でもいれな、なんて高慢なつらをしたんだが。
【語の読みと注】
弥助 弥助:すし
ばかな、異常な。
定説となっている語源は、寛文年間(1661-73)に大評判になった見世物から。
当時の随筆『本朝世事談綺』(菊岡沾凉)には、「寛文十二年の春、大坂道頓堀に、異形の人を見す。其貌醜き事たとふべきもなし。頭するどくとがり、眼まん丸にあかく、おとがひ猿のごとし」とあります。
後世に伝えられるほどのインパクトだったのでしょう。
井原西鶴も、その十六年後の貞享5年(元禄元年、1688)出版『日本永代蔵』巻四の三で「ある年は形のおかしげなるを便乱坊と名付、毎日銭の山をなして」と書いています。
ごく普通の人間にこうした粉飾を施したインチキだった可能性は十分ありますが。この「人物」、全身真っ黒で、愚鈍なしぐさを見せて客の笑いを取ったことから、後年、江戸で「阿呆、愚か者」という意味の普通名詞として定着。
「あたりまえ」と語呂合わせで結びついて「あたぼう」という造語も生まれました。「べらんめえ」も、「べらぼうめ」が崩れた形です。
その他、形容動詞化して(悪い意味の)「はなはだしい」「むやみな」「法外な」という意味が加わりました。
「箆棒」と書くのは、ペラペラの箆で穀(ごく=雑穀)を押しつぶすような愚か者の意味であと付けしたもので、「ごくつぶし」と同義語です。「やんま久次」で、胸のすくようなオチに使われていますね。
俺の屋敷に俺が行くのに、他人のてめえの世話にはならねえ。大べらぼうめェ。
あたりまえだ、当然だ。
悪態やタンカによく使われる、「当たり前だ」「当然だ」を意味する江戸語ですが、これ、高座の噺家始め一般の解釈では「当たり前(あたりめえ)だ、べらぼうめ」が縮まった形とよく言われます。
「べらぼう」は、寛文年間(1661-73)に評判になった見世物に由来し、「ばか」の意味ですから、「当たり前」の後に江戸下町の職人特有の、罵言の形の強調表現が付いた形。
この説明にはいささか、補足が必要です。
言葉の変化としては、以下の順番になります。
「当たり前」→「あたりき」→「あた」
どんどん縮まり、もっとも短くなった「あた」に、擬人化の接尾語「坊」が付いた形ですね。
「坊」は親しみをこめた表現で、「あわてん坊」などと同じです。
これは文政2年(1819)にものされた随筆『ききのまにまに』に「当り前といふ俗言を、あた坊と云ことはやり」とありますから、そう古い造語ではなさそうです。
本来「べらぼう」とは別語源なので、誤解されやすいのですが、「坊」という語尾が同じなので、語呂合わせでいつの間にか結びついたのでしょう。
原型の「当たり前」は労働報酬、それこそもらってアタリメエ、という分け前のこと。
「あたりき」は、少し乱暴な職人言葉で、「あたりきしゃりき」とも。これは、擂粉木の意味の「あたりぎ(当たり木)」と掛けて洒落たものです。
蛇足です。
江戸初期に兵法家にして新当流槍術の達人、阿多棒庵なる者がおりまして、この人物はなんと、柳生兵庫助利厳に槍術の印可を授けた、いわば師匠なのですが、この名をはじめて耳にしたとき、これはてっきり「あたぼうあんが強えのは、あったぼうだべら棒め」という洒落が語源ではないかと思い、ほうぼう調べてはみたものの、残念ながらいまだ、そんな資料は探し出せていません。
なあんだ。
阿多という姓ですから、九州の、それもそうとうに古い一族の御仁なのでしょう。
「八百ぐれえあたぼうてんだ」
「なんだい、あたぼうてえなあ」
「江戸っ子でえ。あたりめえだ、べらぼうめなんかいってりゃあ、日のみじけえ時分にゃあ日が暮れちまうぜ。だから、つめてあたぼうでえ」
江戸っ子の美学の一つで、粋、いなせ、勇み肌と似たニュアンスですが、実際は鉄火と同じく、もう少し荒々しいイメージです。
明治初期では、江戸っ子の権化のような名優・五代目尾上菊五郎の芸風・セリフ廻しがそのお手本とされました。
普通に「伝法」と言う場合は、主に口調を指す場合が多く、男女を問わず「伝法な言い回し」といえば、かなり乱暴で、なおかつ早口なタンカをまくし立てること。
女の場合は、一人称に「おれ」を用い、男言葉を使う鳶の者の女房などが典型です。
以上までは、まあまあ肯定的な意味合いですが、「伝法」の元の意は、浅草の伝法院の寺男たちが、寺の権威をかさに着て乱暴狼藉、境内の飲食店で無銭飲食し放題、芝居小屋も強引に木戸を破って片っ端からタダ見と、悪事のかぎりを尽くしたことから、アウトロー、無法者の代名詞となったもの。
間違っても美学のかけらもない語彙でした。
それが幕末になって、この「伝法者」の粗暴な言葉遣いが、芝居などでちょっと粋がって使われるようになってから、語のイメージがかなり変質したのでしょう。
いずれにしても、歴史ある名刹にとっては、迷惑このうえない言葉ですね。
文字通り鉄でできた仮面(武具)を着けたように、ずうずうしく、恥を恥とも思わず平然としていることです。
形容動詞化してよく使われ、「鉄面皮な」「鉄面皮だ」と、もっぱら悪口に使われます。
「面の皮が厚い」とも。
人からどんなに非難の目を向けられようと、兜の面をかぶったように、平気で跳ね返してしまう人間はよくいます。
「鉄面牛皮」ということばもあって、こちらは「きわめてあつかましい」の意。
江戸時代には、鉄に匹敵するもの、いや、それ以上のものはというと牛の皮だった、ということでしょうか。
江戸時代からあった表現です。
おもしろいのは、かつては「鉄面だ」という形で、剛直、権威や権力を恐れないという、肯定的な意味があったふしがうかがえることです。
「悪党」のようなものでしょうか。
「鉄面牛皮」はもうとっくに死語ですが、昭和の末期ごろまでは普通に使われていた「鉄面皮」も、いつの間にかあまり聞かれなくなったようです。
女性特有の病気の総称。
身体的には男女を問わず血管をさしますが、芝居や落語では、広く血行障害に起因する女性特有の病気の総称のこと。
主に、産褥時や生理時、また、更年期障害の一症状として血行不良が起こり、その結果生じる、頭痛、目まい、精神不安定などの症状を、すべてこう呼びました。
これは、漢方医学では、到底病因や疾病の特定が不可能なため、致し方なく、なんでも「血の道の病」とされていたからでしょう。男の「疝気」や「腎虚」と同じようなものです。
「東海道四谷怪談」(四世鶴屋南北)で、出産直後のお岩が悩まされるのがこれでした。
伊藤喜兵衛(高師直の家臣)が、田宮伊右衛門(お岩の夫)を、孫娘お梅と添わせたいばかりに、じゃまになるお岩を「血の道の妙薬」と称した毒薬で殺そうとしたのが、すべての悲劇の発端となります。
もとは文字通り、鍛冶職人が用いる、真っ赤に熱した鉄のこと。
そこから、さまざまなことばが派生しました。
人間の気質でいえば、カッカとなりやすく、始終けんか腰の勇み肌を鉄火肌と呼びます。
火事場のように命がけの勝負をする博打場を鉄火場とも。
落語に登場する「鉄火」は、もっぱらこうした博打場、または博打打ちです。
博打打ちだった三代目桂三木助の十八番に「竃幽霊」がありますが、その後半で、かまどに隠した三百円の金に気が残って化けて出る左官の長五郎の幽霊。
その自己紹介で、「あっしゃあ、シャバにいたときには、表向きは左官屋だったんですが、本当を言うと向こうぶちなんです。白無垢鉄火なんですよ」
ここで言う白無垢とは、素人、かたぎのこと。
つまり、表向きは善良な職人でも、裏の顔は鉄火、今でいう「反社」ということですね。
【語の読みと注】
竃幽霊 へっついゆうれい
白無垢鉄火 しろむくでっか
水死人。川や海などでの溺死者。
大川(隅田川)から、南無阿弥陀仏、ドカンボコンとはでにダイビングし、あえなくなった人々が以後、改名してこう呼ばれます。
江戸では、吾妻橋がそちらの方の「名所」で、落語「唐茄子屋政談」の若だんなも、あやうくここから三途の川に直行するところでした。
語源としては、享保9年(1724)6月、深川八幡の相撲で前頭上位にいた、成瀬川(一説に黒船)土左衛門という力士が、超アンコ型でぶくぶく肥大していたのを、水ぶくれの水死人にたとえたのが初めと言われます(『近世奇跡考』)。
そのほかにも、水に飛び込む音「ドブン」を擬人化したなど、諸説あります。
芝居では、河竹黙阿弥の代表的世話狂言「三人吉三」で、主役の一人、和尚吉三の父親が「土左衛門爺伝吉」と呼ばれます。
三人吉三
この異名の由来は、女房が生まれたばかりの赤子を抱えて、川へ身投げをしたのをはかなみ、罪業消滅のために大川端へ流れ着いた水死体を引き揚げては葬っていたことから。
実際に、こうした奉仕をしていた人々が、多くいたのですね。
【噺例 佃祭】
舟を断ってよかった。行きゃあ、俺だって一緒に土左衛門になってらあ。
【語の読みと注】
三途の川 さんずのかわ
成瀬川土左衛門 なるせがわどざえもん
三人吉三 さんにんきちさ
土左衛門爺伝吉 どざえもんじいでんきち
腹が立つ。短気。
江戸っ子が不機嫌なときに使います。
以下は、マクラでよく引き合いに出される江戸名物の、あれ。
「武士、鰹、大名小路、生鰯、茶店、紫、火消し、錦絵、火事にけんかに中っ腹、伊勢屋、稲荷に犬の糞」
江戸市中でよくみかける名物を列挙した決まり文句です。中っ腹も江戸名物というわけで。年中、怒っていたんですかね。
大名小路は、江戸城の東側外堀一帯に屋敷をかまえていた有力大名の地域全般をさします。
紫は江戸紫。
とはいっても、桃屋の海苔佃煮ではなく、染色の、藍みがまさった紫のこと。
九鬼周造も「青勝ちの紫」というフレーズで『「いき」の構造』に「いき」の具体例の一つとして載せています。
漢字の「猪口」は当て字で、元々は小型の酒器の「ちょく」「ちょこ」から転じて「小さい子供」または小柄な者をそう呼んだ俗語。
したがって、「ちょこっと(わずかな)」才があるだけで、それを鼻にかけて生意気な奴、というふうに使われるようになった、いわばダジャレです。
いかにも、怜悧な才気煥発な人間を、理詰めで言い負かされる腹いせに「生意気だ」の一言で排除することが多かった、江戸期以来の日本社会の通弊が伺えます。
主に武士階級に使われたとされますが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも「ちょこざいぬかさずと、はよう銭おこせやい」などとある通り、芝居や浄瑠璃、戯作などを通じて町人の間にも広く普及していました。
上方では「ちょこい」とも。次第に形容動詞「ちょこざいな」に特化して、明治大正はもちろん、戦後まで主に老人語として残っていましたが、今は死語となっています。
名優、初代中村吉右衛門(1886-1954)のふだんの口癖でもありましたが、昭和20年代から30年代にかけ、漫画雑誌、ラジオ、テレビなどで人気を博した『赤胴鈴之助』の主題歌の冒頭、「ちょこざいな小僧め、名を、名を名乗れ」というセリフを思い出される向きもあるかもしれません。
真言密教で加持祈祷に使われた、霊力を持った砂です。
『沙石集』(鎌倉期の仏教説話集)には、「この土砂を墓所に散し、死骸に散らせば、土砂より光を放ち、霊魂を救て、極楽に送る」とあります。
『江戸文学俗信辞典』(石川一郎編、東京堂出版)には「渓流の土砂を洗い清め、護摩加持をして、その砂を硬直した死体の上にまけば、功力によって柔軟となり、諸罪を滅して福報を得しめるもので、土砂の一粒を死者の口中に入れたものであろうが、硬直した屍体はまだ冥福を得られないものとして、やがて身体に振りかけるようになったものであろう」とあります。
江戸の歌舞伎や戯作でもよく登場する風習でした。
たとえば、『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)。
京見物で方広寺の大仏殿の柱の穴くぐりをしようとした弥次郎兵衛が、道中脇差の鍔がつかえて出られなくなり、周りの見物衆が、身体を柔らかくして引っ張り出すのに、お土砂をかけろと言ったりする騒動が持ち上がります。
歌舞伎では、「松竹梅雪曙」という八百屋お七ものの序幕で、たまに「お土砂の場」という滑稽な場面が出ることがあります。
この場は、昭和43年(1968)1月歌舞伎座の先代勘三郎以来、しばらく絶えていたのを、昭和61年(1986)1月に、最晩年の先代松緑が復活してから、かなりよく上演されるようになりました。
平成31年(2019)1月にも、市川猿之助が歌舞伎座で演じています。
紅屋長兵衛、通称紅長というまぬけな男が、早桶の中に亡者姿で入っているのを見て、釜屋武兵衛がお土砂をかけると、紅長がぐんにゃり。
その後、それで「復活」した紅長が、周りの連中全員にお土砂を掛けまくると、一同すべてぐにゃりとなって下手に入るという、たわいもないくすぐりです。
【語の読みと注】
松竹梅雪曙 しょうちくばいゆきのあけぼの
紅長 べんちょう
原義は犬猫が前足を地面に突いてしゃがむ意味のようで、だから「突く+這う」というわけです。
「犬つくばい」という複合語も古くはありました。
今はカットされることが多いですが、『仮名手本忠臣蔵』二段目「建長寺の場」で、高師直(=吉良上野介)にはずかしめを受けた桃井若狭助が、明日は殿中で師直を討ち果たすと息巻くので、お家には変えられないと、師直にこっそり賄賂を届ける決心をした家老、加古川本蔵。主人に「もし相手が、犬つくばいになってわびたら斬るのを思いとどまるか」とカマをかけます。
今で言う土下座で、絶対権力者である師直がそんな恥知らずなマネをするはずもないのですが、実際は次の三段目「喧嘩場」前半で、本蔵の賄賂が功を奏して師直が、なんと本当に犬つくばいになってご機嫌取りをしたので、若狭助が呆れて斬るのを思いとどまるという場があります。
この語は派生語も多く、動詞で「つくなむ」「つくばる」とも。転じて庭の手水鉢のある場所、また手水鉢そのものを「蹲」と呼びました。
古い江戸語で「因果のつくばい」という慣用句がありましたが、これは「運の尽き」を意味する強調表現で、「突く=尽く」という、単なるダジャレ。
しかし、いかに円生、彦六といえど、いくらなんでもこんな古い言葉は知らなかったでしょうね。
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