指南書 しなんしょ 演目

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なかなかシャレた小品。こんな便利な書物があるといいんですが。

【あらすじ】

亭主のやきもちが原因で、夫婦げんかが絶えない夫婦。

おやじが心配して、檀那寺の和尚さんにせがれを預け、寺で精神修養させたところ、その甲斐あって、だんだん人間が変わってきた。

その和尚が重病にかかり、いよいよという時、若だんなに
「もう少しだけ、おまえには仕上がっていないところがある。それが心残りだが、これを渡しておくので、腹が立ったりした時は、どこでもこれを開いてみなさい」
と言い残して、息を引き取る。

その本の表紙には『指南書』と書いてあった。

修行のせいか、若だんなの心も練れて、それからは夫婦円満に暮らしていたが、ある時、叔父さんのところへ五十両届ける用事ができる。

大金を持っているから、道中話しかけてくる人間が、みんなうさんくさく見える。

「いっしょにしゃべりながら行きましょう」
と近づいてくる男がいるので、てっきりゴマノハエが金を狙ってきたのだと思って、例の指南書を開いてみると、
「旅は道づれ、世は情け」

船着場から舟に乗ろうという時、あと二人でいっぱいだという。

連れの男はぜひ乗ろうと勧めるが、まだ指南書を開くと、
「急がば回れ」

そこで、無理して遠回りして歩いて行くと、急に激しい雨。

指南書を見ると、
「急がずば 濡れざらましを 旅人の あとより晴るる 野路の村雨」
とあるので、雨宿りしていると、なるほど、間もなく雨は上がった。

叔父さんの家に着くと、びっくりしたように
「どうやって来た」
と聞くので
「歩いてきました」
と答えると
「それがよかった。さっきの夕立で渡し船がひっくり返り、人が大勢死んだらしい」

驚いて浜に行ってみると、最前の道連れの男の死骸も転がっている。

仏のお導きと胸をなで下ろし、叔父さんが
「一晩泊まっていけ」
と言うのを、
「女房が心配しているから」
と断って、急いで家に帰ってみると、もう夜更け。

見ると、かみさんが男と一つ床。

かっとして、重ねておいて四つにと思ったが、気を取り直してまた指南書を開けてみると
「七度尋ねて人を疑え」

女房を起こして
「おい、ここに寝ているのは誰だ」
「兄さんですよ。舟がひっくり返ったと聞いて、心配して来てくれたのさ」

次の朝。

義兄にわびを言って、土産の餅を皆で食べようとすると腐っている。

おかしいと思って、またまた指南書をひもとけば
「うまいものは宵に食え」

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【うんちく】

上方創作落語の祖

オリジナルは、大阪の二代目桂文之助(1859-1930)が、寺の法話をヒントに、明治後期にものした新作落語です。この人は、明治・大正における上方の創作落語のパイオニアとでもいうべき存在。

ほかにも、「動物園(ライオン)」「象の足跡」「電話の散在」など、今も高座に掛けられる、質の高い新作を多数残しています。落語家にはまれな品行方正で鳴る人であったらしく、「指南書」にもその生真面目さの一端がかいま見えています。京都の高台寺門前で今も続く甘酒屋「文之助茶屋」の創業者でもあります。

孫弟子が継承するも

東京にも移植されましたが、これといった特定の演者の音源や速記は見られません。

桂米朝も手掛けていましたが、文之助の子息、三代目笑福亭福松の門弟で、いわば孫弟子筋の初代森乃福郎が継承し、しばしば演じていました。この人は、ほかにも「象の足跡」ほか、多くの文之助落語を復活させましたが、惜しまれる早世(1998年、享年63)により、中絶。二代目福郎が師匠の遺志を継いで文之助落語を継承、高座に掛けています。

心理描写に富む上方演出

初代福郎に伝わった本家の上方演出では、東京の速記(三一書房『古典落語大系』収録)に比べて主人公の不安な心理を、リアルにきめ細かく描写しています。

とりわけラストの、愛妻の姦通を疑う場面の懊悩と動揺はあっさりした東京のものに比べ、悲痛といえるほど。このため、全体的にかなり長くなっています。

例えば、この場面では最初、指南書を見ると「ならぬ堪忍するが堪忍」が出てくるので、とても納得できず、いっそ四つ斬りにと思い詰めながら再度思い直して指南書を再びめくり、「七度尋ねて…」を得ることにしてあります。

上方では男が船に誘われるのは、大津から草津へ渡す矢橋船、土産に買うのは草津名物の「姥が餅」で、女房と寝ていたのは義兄でなく義母というのが、東京と異なるところです。

初代福郎がNHKで放送したとき、この「姥が餅」が特定の登録商標だという理由で、名前を出すことができなかったという逸話があります。

ロシア版「指南書」

この噺のパターンとかなりよく似ているのが、ロシア民話「よい言葉」です。そのあらすじは以下の通り。

金持ちの商人の子イワンは、父親の死後放蕩に身を持ち崩し、路頭に迷う身に。それでも美男だったので、賢く美しい妻をめとり、妻が織るじゅうたんを売って生計を立てている。妻はある日、イワンに、市場へ行って金でなく、ためになる「よい言葉」と引き換えにじゅうたんを売るよう言い渡す。そこでイワンはふしぎな老人に最初は「死を恐れるな」二度目は「首斬る前に起こして尋ねろ」という言葉を授かる。やがて、叔父の商用について航海に出たイワンは、海上で海の裁きの女神に招かれ、「死を恐れるな」という第一の箴言を思い出して、勇気を奮って海底にもぐり、女神の悩みをとんちで解決。報酬に、巨万の富を得る。イワンはさらに世界中を回って商いを続け、二十年後、大金持ちになって家路につくと、妻が二人の若者とベッドに横になっていた。思わずかっとなって、剣を引き抜いて姦夫姦婦を成敗しようとするが、ここで二番目の教訓を思い出し、妻を起こして問いただすと、若者二人は、自分の留守中に妻が出産した双子の息子だった、というわけで、めでたしめでたし。

つまるところ、人間が窮地に陥ったときの行動類型や藁にもすがりつきたくなる心理は、洋の東西を問わず変わらないということなのでしょう。

【語の読みと注】
檀那寺 だんなでら:菩提寺

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江島屋騒動 えじまやそうどう 演目

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円朝の怪談噺。舞台は江戸、下総、さらに江戸。イカモノの因縁が恐怖と化す。

別題:鏡ヶ池操松影 老婆の呪い

【あらすじ】

【上】

深川佐賀町の倉岡元庵という医者がポックリ亡くなり、残された女房お松は、娘お里と共に自分の郷里、下総の大貫村に帰った。

ある日、村の権右衛門がやってきて、名主の源右衛門のせがれ、源太郎が、檀那寺の幸福寺の夜踊りでお里を見初め、嫁にもらってくれなければ死ぬという騒ぎだという。

自分が仲人役を言いつかったので、どうしても承知してくれなければ困ると権右衛門に乞われ、お松に不服のあるはずがない。

支度金五十両を先方からもらうという条件で婚約が整う。

その金で婚礼衣装を整えるために江戸へ母娘で出て、芝日陰町の江島屋という大きな古着屋で、四十五両二分という大金をはたき、すべて新品同様にそろえた。

いよいよ婚礼の当日、天保二年(1832)は旧暦十月三日。

お里は年は十七、絶世の美人。

権右衛門が日暮れに迎えに来て、馬に乗って三町離れた名主宅まで行く途中、降り出した雨でずぶ濡れになってしまう。

お里が客の給仕をしているうち、実は婚礼衣装は糊付けしただけのイカモノだったため、雨に濡れて持たなくなり、ふいに腰から下が破れて落っこちてしまった。

お里は泣き崩れ、源右衛門は恥をかかされたとカンカン。

婚約は破棄になる。

世をはかなんだお里は、花嫁衣装の半袖をちぎって木に結んだ上、神崎川の土手から身を投げ、死骸も上がらない。

【下】

ある日、江島屋の番頭、金兵衛が商用で下総に行き、夜になって道に迷い、そのうえ雪までちらつきだす。

ふと見ると、田んぼの真ん中に灯が見えたので、地獄に仏と宿を頼むと「お入りなさい」と声を掛けたのは六十七、八の、白髪まじりの髪をおどろに振り乱した老婆。

目が不自由のようだ。

寒空にボロボロの袷一枚しか着ていないから、あばら骨の一枚一枚まで数えられる。

ぞっとする。

老婆は金兵衛に、ここは藤ヶ谷新田だと教え、疲れているだろうから次の間でお休み、という。

うとうとしているうちに、なんだかきな臭い匂いが漂ってきた。

障子の穴からのぞくと、婆さんが友禅の切れ端を裂いて囲炉裏にくべ、土間に向かって、五寸釘をガチーン、ガチーン。

あっけに取られている金兵衛に気づき、老婆が語ったところでは、まさしく老婆はお松。

江島屋のイカモノのため娘が自害し、自分も目が不自由にされた恨みで、娘の形見の片袖をちぎり、囲炉裏にくべて、中に「目」の字を書き、それを突いた上、受取証に五寸釘を打って、江島屋を呪いつぶすとすさまじい形相でにらむ。

金兵衛はほうほうの体で逃げ去った。

江戸へ帰ってみると、おかみさんが卒中で急死、その上小僧が二階から落ちて死に、いっぺんに二度の弔いを出す、という不運続き。

ある夜、金兵衛が主人に呼ばれて蔵に入ると、島田に結った娘がスーッと立っている。

ぐっしょりと濡れ、腰から下がない。

「うわーッ」
と叫んで、主人に老婆のことをぶちまけた。

「つまり、目を書きまして、こっちにある片袖を裂いて、おのれッ、江島屋ッ」

ガッと目の字を突くと、主人が目を押さえてうずくまる。

見ると、植え込みの間から、あの婆さんが縁側へヒョイッ。

これがもとで江島屋がつぶれるという、因縁噺の抜き読み。

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

円朝の怪談噺

本名題は「鏡ヶ池操松影」といいます。全十五席の長講です。

明治2年(1869)、三遊亭円朝30歳のとき、「真景累ヶ淵」に続いて創作したものです。

戦後、五代目古今亭志ん生がよくやりました。並んで、この噺を得意にしたのが四代目古今亭今輔と六代目三遊亭円生。円生は、マクラでこの噺のネタを実在した江島屋の元番頭から仕入れたと語っていますが、この情報の出自は不明です。

明治中期には、円朝の高弟、四代目三遊亭円生が得意にしていました。

原題の「鏡ヶ池」は、古く浅草の浅茅原にあったとされる池で、入水伝説があったところから、この噺のお里の入水に引っ掛けたと思われます。

倉岡元庵

円朝の最初の妻をお里といいました。その父親は倉岡元庵といいました。御徒町に住むお同朋だったそうです。お同朋、同朋衆はいろいろの職種がありましたが、倉岡は茶坊主だったようです。とうぜん、江戸城出入りの、です。権力をかさに着た人々の一人だったようです。円朝はお里との間に、朝太郎という一子をもうけましたが、円朝は後年、朝太郎のために苦しめられていました。

五代目志ん生が復活

長らく途絶えていたものを、戦後、五代目古今亭志ん生、ついで五代目古今亭今輔があいついで復活させ、ともに夏の十八番としました。

志ん生は円朝の速記で覚えたのでしょうが、因縁噺の陰惨さをできるだけ和らげるため、特に前半、ところどころ脱線して、「色の真っ黒いところへ白粉を塗って、ゴボウの白あえ」と言ったり、お里に「身を投げるからよろしく」と言われた村の者が「ンじゃあ、気をつけて行ってくんなさい」と、ボケをかましたりと、さまざまな苦心をしています。

志ん生の長男、十代目金原亭馬生も父親譲りで、「もう半分」とともに怪談のレパートリーにしていました。残念ながら音源はありません。

芝日陰町

しばひかげちょう。港区新橋二-六丁目にあたります。日当たりが悪かったことから、この名が付いたとか。江戸時代から古着屋が多く、この噺の江島屋のように田舎者相手のイカサマ商売も多かったといいます。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言「加賀鳶」で、悪党・道玄をやりこめる加賀鳶・松蔵がここに住んでいました。

イカモノ

イカモノは、見てくれだけの偽物のこと。語源は「いかにもりっぱそうに見える」からとも、武士で、将軍に拝謁できないお目見え以下の安御家人を「以下者」と呼んだことから、ともいわれています。

江島屋の「その後」

大正末期ごろまで、江島屋の末裔が木挽町(中央区銀座2-8丁目)で質屋をしていたとのこと。歌舞伎座近くのため、芝居関係者の「ごひいき」が多く、界隈では知らぬ者のない、けっこう大きな店だったとか。怨霊につぶされたというのは、どうもヨタくさいです。

【語の読み】
深川佐賀町 ふかがわさがちょう
倉岡元庵 くらおかげんあん
下総 しもふさ
大貫村 おおぬきむら
檀那寺 だんなでら
幸福寺 こうふくじ
芝日陰町 しばひかげちょう
神崎川 こうさきがわ
袷 あわせ
囲炉裏 いろり
藤ヶ谷新田 ふじがやしんでん
鏡ヶ池操松影 かがみがいけみさおのまつかげ
真景累ヶ淵 しんけいかさねがふち
因縁噺 いんねんばなし