どぞう【土蔵】ことば 江戸覗き

【RIZAP COOK】

江戸には店蔵と呼ばれる、耐火を目的とした店舗がありました。店蔵には二つの系統がありました。土蔵と城郭建築です。ここでは土蔵について記します。

江戸の不燃都市化  【RIZAP COOK】

土蔵とは、周囲を土壁で塗り込めた倉庫をいいます。中世の金融業者を土倉と呼びますが、同類です。大切な品物を火災から守るのが目的です。江戸では、道に囲まれた区画の裏に土蔵がありました。当時を描いた絵図にも出てきます。

享保年間(1716-37)には、幕府は江戸の不燃都市化に邁進します。土蔵造り、塗屋造り、瓦葺きを奨励するのです。場所によっては奨励金まで出して強制的に推進していきました。

17世紀後半には、河岸地に土蔵が建ち並びました。河岸地は幕府の土地、公儀地です。土蔵を建てることは許されないはずなのですが、現実には建っていました。これも不燃都市化の一環でした。川岸に土蔵を建ち並ばせると、地域の類焼を防げるという意図からです。

この発想は現代でも生きていて、墨田区白鬚地区の都営住宅はまるで要塞のような頑丈なマンション建築です。これこそ、震災や戦災で類焼のはなはだしかったこの地区から外に火を出すまいという東京都の切なる願いのあらわれです。ここの住民がどうなっちゃうのか、よくわかりませんが。

江戸の職人、いびつな発露  【RIZAP COOK】

土蔵の壁は漆喰塗りですから、白く見えるものです。江戸を描いた絵図では、文化年間(1804-18)あたりまではたしかに白く見えています。ところが、天保年間(1830-44)以降の絵図には黒い土蔵が目立ちます。黒い土蔵は明治期に入っても変わりません。町全体の視覚が重厚な印象を受けるようになりました。

つまり、黒い壁の土蔵ということですが、手が込んで豪華になっていきます。この世界にも徐々に洋風の知識や技術が浸透していき、意匠や建築法も進化していったようです。寺社建築の彫刻が細密化したり、変化朝顔(変種の朝顔)が流行するのもこの頃で、外国とのかかわりを持てない制度化で江戸の職人がため込んだ知識や技術の出どころがいびつな形であらわれるのです。黒の土蔵もそのひとつといえるでしょう。おそらく、ほかにもそのような変化は見つけ出せるはずです。

参考文献:波多野純『復原・江戸の町』(筑摩書房、1998年)、小澤弘、丸山伸彦編『江戸図屏風をよむ』(河出書房新社、1993年)、加藤貴編『江戸を知る事典(東京堂出版、2004年)、大濱徹也、吉原健一郎編『江戸東京年表』(小学館、1993年)、『新装普及版 江戸文学地名辞典』(東京堂出版、1997年)