子殺し こころし 演目

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陰惨丸出し。笑えるかなあ。こんなもの、よく笑いに取り入れたものですね。

【あらすじ】

亭主の働きが悪く、借金取りに責めたてられて、大家にも店立てをくっている夫婦。

いっそ夜逃げをしようと相談中に、知人が尋ねてくる。

ある家で、かみさんが産後の肥立ちが悪くてとうとう死んでしまい、亭主もその跡を追うようにあの世へ行ってしまって赤ん坊だけ残されたが、どこか育ててくれる人はないかと、亭主の兄弟分に頼まれたが、心当たりはないかという相談。

なんでも、引き取ってくれる人には、五十両の養育費を付け、赤ん坊の着物も添えるというので、夫婦は金にひかれて、その子をもらい受けることにした。

その五十両で借金もきれいに返し、一息ついてほっとしたものの、こうなると、じゃまになるのが赤ん坊。

もともと金づくでしかたなく引き取ったもので、ピイピイ泣いて手間がかかり、夜も寝られないとあって、
「五十両ぽっちの目腐れ金でこの先も居すわられたのでは割りに合わねえからいっそ片付けちまおう」
と亭主が言い出す始末。

絞め殺したのでは喉に痕がついてバレるからと一計を案じ、湯に連れていって温め、こたつの脇で布団をかぶせて押さえつけた。

しばらくして見てみると、赤ん坊の死骸は、注文通り、真っ赤。

これを医者に見せ、
「疱瘡で亡くなりました」
と言い立ててさっさと葬式を出し、遺留品もきれいに始末してしまう。

以来、悪行が実を結んでか、にわかに金回りがよくなった夫婦。

そうなると亭主の気が大きくなり、吉原のお女郎になじんで、十日も二十日も帰らない。

おもしろくないのがかみさんで、ある日、やっと帰ってきた亭主をつかまえて責めたてたあげく、赤ん坊殺しの件まで大きな声でしゃべり出すので、亭主は仰天。

そんなことがお上に漏れれば、首と胴が泣き別れになると必死になだめすかす。

「もう決して家は明けない」
と謝って、
「おまえと久しぶりに一杯やろうと酒屋に一升頼んできたから、湯に行っている間に届いたら燗をつけておいてくれ」
と、言い残して出ていく。

ところが天の網、さっきのかみさんの声が人に聞かれて、訴人されたか、奉行所の捕り手が四方から家を囲んだ。

「御用だっ」
「おや、酒屋さんかい」

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【しりたい】

江戸の嬰児虐待

陰惨な噺で、特に現在の社会状況を考えると、リアルすぎてシャレになりません。

百年二百年たとうが、人の世は同じことの繰り返しということでしょうか。

いずれにせよ、資料的価値以外にはないでしょう。

原話も不明で、明治32年(1899)の初代三遊亭円左の速記のみ残ります。

この円左以前も以後も、まったく口演資料がないところをみると、あるいは、これ限りの円左の新作かもしれません。

御用聞き

酒屋に限ってこう呼びました。徳利拾いともいいます。

まず酒の御用を聞き、それから味噌醤油と、二、三回も、御用は御用はと聞くのでついた名とか。

オチは、お上の御用を承る目明しの「御用聞き」と掛けています。

初代円左は、わざわざマクラでそのことを説明していて、当時でさえ、後者の意味がわからなくなりかけていたことがうかがえます。

ここで円左は、江戸時代の目明しを「おてききしゅう」と呼び、速記で「御探偵衆」と当て字させています。そのあたりは、いかにも明治のにおいがします。

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癇癪 かんしゃく 演目

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近代人の小言幸兵衛。他人に当たり散らす、怒りんぼうの噺です。

【あらすじ】

大正のころ。

ある大金持ちのだんなは、有名な癇癪持ち。

暇さえあれば家中点検して回り、
「あそこが悪い、ここが悪い」
と小言ばかり言うので、奥方始め家の者は戦々恐々。

今日も、その時分にはまだ珍しい自家用車で御帰宅遊ばされるや、書生や女中をつかまえて、やれ庭に水が撒いていないの、天井にクモの巣が張っているのと、微に入り細をうがって文句の言い通し。

奥方には、
「茶が出ていない、おまえは妻としての心掛けがなっていない」
と、ガミガミ。

おかげで、待っていた客がおそれをなして、退散してしまった。

それにまた癇癪を起こし、
「主人が帰ったのに逃げるとは無礼な奴、首に縄付けて引き戻してこい」
と言うに及んで、さすがに辛抱強い奥方も愛想をつかした。

「妻を妻とも思わない、こんな家にはいられません」
と、とうとう実家へ帰ってしまう。

実家の父親は、出戻ってきた娘のグチを聞いて、そこは堅い人柄。

「いったん嫁いだ上は、どんなことでも辛抱して、亭主に気に入られるようにするのが女の道だ、『けむくとも 末に寝やすき 蚊遣かな』と雑俳にもある通り、辛抱すれば、そのうちに情けが通ってきて、万事うまくいくのが夫婦だから、短気を起こしてはいけない」
と、さとす。

「いっぺん、書生や女中を総動員して、亭主がどこをどうつついても文句が出せないぐらい、家の中をちゃんと整えてごらん」
と助言し、娘を送り返す。

奥方、父親に言われた通り、家中総出で大掃除。

そこへだんなが帰ってきて、例の通り
「おい、いかんじゃないか。入り口に箒が立てかけて」
と見ると、きれいに片づいている。

「おい、帽子かけが曲がって、いないか。庭に水が、撒いてある。ウン、今日は大変によろしい。おいッ」
「まだなにかありますか」
「けしからん。これではオレが怒ることができんではないか」

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【しりたい】

作者は若だんな

益田太郎冠者(本名・太郎、1875-1953)が明治末に、初代三遊亭円左(1911没)のためにつくった落語です。

作者の父親は三井財閥の大番頭として明治大正の財界に重きをなした男爵益田孝(1848-1938)。

せがれの方は帝劇の重役兼座付作者で、主に軽喜劇と女優劇のための台本を執筆しました。

「女天下」「心機一転」「ラブ哲学」「新オセロ」などの作品がありますが、特に大正9年(1920)、森律子主演のオペレッタ「ドッチャダンネ」の劇中歌として作詞作曲した「コロッケの唄」は流行歌となり、今にその名を残しています。

落語も多数書いていますが、現在演じられるのはこの「かんしゃく」くらいです。

富豪の日常を描写

明治末から大正期に運転手付きの自家用車を持ち、豪壮な大邸宅で大勢の書生や女中にかしづかれ、そのころはまだ珍しい扇風機まで持っているこのだんなの生活は、そのまま作者の父親のそれを模写したものと見ていいでしょう。現代的感覚からすると、もはや古色蒼然。さほどおもしろくもありませんが、わずかに主人公の横暴ぶりを、演者の腕によって誇張されたカリカチュアとして生かせると、掘り出し物になるかもしれません。

文楽の十八番

初演の円左の速記は残っていません。円左没後は、三代目三遊亭円馬を経て戦後、八代目文楽が一手専売、十八番のひとつにしました。ひところはよく、客席から「かんしゃく!」と、リクエストされたとか。作られたのは明治期ですが、文楽が作者の許可と監修のもとに細部を整え、大正ロマン華やかなりしころに時代設定したものでしょう。

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おもと違い おもとちがい 演目

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鶍の嘴の食い違い。同音異義が鍵です。たわいもないすじですが、大いに笑えます。

【あらすじ】

ある大工の棟梁。

兄貴分に盆栽の万年青(おもと)を預かったが、金の入り用に迫られ、ついそれを、これも万年青好きの質屋にぶち殺し(=質入れ)て洞穴を埋めた(=金の手当てをした)ので、面目なくて兄貴に顔出しできないと、知人の家でこぼしていく。

それを隣の部屋で、酔っぱらって夢うつつで聞いていた男。

奉公先のだんなの姪で、年ごろで悪い虫がついたようなので、用心のためしばらく、堅いと評判の棟梁の家に預けられていた娘の名がたまたま、「おもと」といったからさあ大変。

「おもとがあろうことか、棟梁の野郎にぶち殺されて洞窟に埋められた」と早合点し、さっそく、だんなにご注進する。

聞いただんな、
「おもとからはたった今、手紙が着いたばかりなので、なにかの間違いだろう」
と半信半疑だが、男が、
「それはきっと偽装工作で、かみさんにでも書かしたものに違いない」
と言い張るので、棟梁もだんだん心配になる。

かと言って、出入りの棟梁だから、家から縄付きを出して世間に恥をさらしたくないので、
「それじゃおまえ、棟梁の兄貴を知っているんだから、兄貴からことの白黒をつけてもらえ」
と言いつけられる。

兄貴も、いきさつを聞いてびっくり。

さっそく、棟梁を呼びにやり、
「てめえはあろうことかあるめえことか、恩人から預かったものをぶち殺すとは何事だ」
と責めたてるが、当人は質入れのことがバレたと思い込んでいるから、話がかみあわない。

「召し連れ訴えされるのがイヤなら自首しろ」
とネジ込むと、
「三日のうちに必ず返すから待ってくれ」
と平身低頭。

とどのつまり、棟梁が川上という質屋に万年青を放り込んだと白状。

押し入れに隠れていた男、やにわに飛び出して、
「あんた、その川上へ放り込んだのはいつのこってす」
「そうさなあ、九か月ほど前のこった」
「それじゃもう、とうに流れたんべえ」
「なに、利上げしてある」

底本:初代三遊亭円左

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【しりたい】

初代円左が創作か

初代三遊亭円左が速記(明治32年)中、マクラで、この噺は自分の専売ということを言っていますが、この人は明治後期から末年にかけ、自作自演を始め、益田太郎冠者の新作なども多く手掛けたこともあるので、おそらくはこれも円左の当時の創作でしょう。

昭和初期から戦後にかけ、八代目桂文治がよく演じ、ついで五代目古今亭志ん生がレパートリーにしました。

志ん生のは、ごく短く演じてだんなは登場せず、おもとを質入れしたのは棟梁の義弟辰公で、質屋の隠居の方が、おもとの見事なのに感嘆して、枯らさないから、自分の店に質入れしてくれろと頼んでくる設定になっています。

万年青ブーム

万年青はゆり科の、葉の厚い常緑多年草です。

江戸中期の享保年間(1716-36)あたりから盛んに栽培されました。江戸時代を通して、はやりすたりを繰り返したようで、文政期(1818-30)には江戸最後のブームで、品種60種以上を数えたとか。その後、明治20-30年代にも、つまり円左の速記の前後にも再びはやりだし、盛んに品評会が催されました。この噺も、そうしたブームを当て込んで、作られたものでしょう。

現在知られている品種は、約200種もあり、主に葉を鑑賞するもので、栽培には手間がかかります。

通は、葉の広がり方、表面のつや、葉に斑点があるなしなどにうるさく、この噺の棟梁が、預かった万年青を「墨流しといって一番高い」ものだと言っていますが、これは墨流し染めのように葉の表面に波紋がある品種のこと。

万年青の茎は、漢方で強心剤・利尿剤として用いられます。

利上げ

質入れ品の期限が来た時に、利息だけを払ってその期限をさらに延ばすこと。または、その利息をも意味します。利揚げとも。

質屋蔵」でも触れましたが、質流れの期限は天保年間(1830-44)以後は8か月で、利上げは、それ以前に借り主が利息を入れて、質流れを防ぐ処置です。

五代目志ん生は、オチをわかりやすく「心配すんな、利息が入れてあるから」と言い換えていました。

ぶち殺す

江戸のスラングで、「死地(=質)に入れる」の洒落かと思われますが、語源は不明確です。

同義語に「曲げる」があり、こちらは、質=同音の七で、七の字は十の字の尻を右に「曲げる」ことから。

江戸には職人言葉からきた「物騒な」言い回しがかなりあり、たとえば、山芋を完全にとろろに下ろさず、かけらを半分残したものを、「半殺し」と呼んでいました。

噺のアラを補う工夫

この噺、鉢植えの「万年青」と人名の「おもと」の食い違いだけのかなりたわいない噺ですが、 両者の「オモト」は、アクセントからしてモトモト違う語なので、よけい無理が目立ちます。そこで、初代円左から志ん生まで、このアラをなるべく目立たせないため、けっこう苦心していたようです。円左や八代目文治では、なるべく「オモト」という言葉を使わない、噺をスピーディーに運んで、客にアラを気づかせないなどの工夫がみられます。

噺の重心を「ぶち殺した」をめぐっての、権助を加えた登場人物三人の、話の食い違いによるチンプンカンなやりとりにおくことで、それぞれの話芸によって笑いを誘ったと思われます。

円左では、棟梁が問い詰められて「三日でカタをつけます」と言うところがちょっとおかしく、志ん生では、権助の「殺すのはいいぜェ、洞穴ィ埋めるとァなんだい」というセリフが、ちょっとアナーキーで笑えます。

この噺、オチで、質屋の名と実際の川が混同されているわけなので、誰が演じても質屋の名は「川上」でなければならないはず。当然ながら、江戸時代を舞台にしてはできないわけです。

【語の読みと注】
棟梁 とうりゅう
万年青 おもと

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大どこの犬 おおどこのいぬ 演目

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動物が主人公の上方噺。大富豪に飼われていた犬の物語です。

別題:鴻池の犬(上方)

【あらすじ】

日本橋石町の、さる乾物屋で、朝、表戸を開けようとすると、なにかが引っ掛かっているのか、開かない。

小僧が裏口から回って見てみると、戸袋のところに箱が置いてあり、中には白と黒とぶちの犬の赤ん坊。

川の中に放り込んでも寝覚めが悪いから、飼ってやることにしたが、そのうち、黒いのを小僧が大変かわいがり、兄弟同然にして育てた。

ある日、商人風の男が尋ねてきて、主人にお宅の黒犬を譲ってほしいと、五両差し出す。

飼い主の小僧は品川に使いに行って留守なので、一日返事を待ってもらったが、翌日の昼、男がやってきても小僧はまだ戻らない。

これ以上引き延ばすことはできないので、事情によっては独断で決めようと主人がわけを尋ねた。

男は大坂鴻池の、東京の出店の者。

主人の坊ちゃんがかわいがっていた黒犬が死んだので代わりを探しているが、その犬は熊そっくりに喉に月の輪型の差し毛があり、そっくりなのがなかなか見つからずに困っていたところ、たまたま、ご当家の犬が同じ所に同じ形の月の輪があるのを見てお願いにあがった、決して殺して生き血を取るというような料簡はなく、大坂へ連れて帰って坊ちゃんの遊び相手をするだけだから、ぜひ譲ってほしいと事を分けて頼むので、主人も、鴻池のような大家にもらわれれば、クロもぜいたくができ、出世だからと、その場で承知して犬を引き渡す。

大坂にもらわれたクロは、下にも置かず大切にされ、エサがいいせいか、毛もつやつやとして、体もずんずん大きくなった。

いつしか近所の犬どものボスになり、「鴻池のクロ」といえば知らぬ者はないぐらいのはぶり。

ある日、クロが門前で日向ぼっこをしていると、見慣れない、みすぼらしい灰色の犬がよたよたと現れる。

おっそろしく汚いので
「てめえは何者だ」
「へえ、このへんに鴻池のクロさんてえ方が」
「クロはオレだ」
「あっ、兄さん、お懐かしゅうございます」

よく見ると、犬は末の弟のシロ。

兄弟感激して対面をして、わけを尋ねると、自分がもらわれた後、それを知った小僧が大変に怒って、腹いせにシロと中の弟のブチは家を追いだされた、という。

二匹で食うや食わず、掃き溜めでゴミあさりをしていた。

突然、野犬狩りの太い棒が飛んできて、ブチは
「キャーン」
と言ったのが、この世の別れ。

シロは一匹になって、上の兄貴を頼ろうと艱難辛苦の末、ボロボロになって大坂にたどり着いたとやら。

聞いたクロ、
「オレに任せておけばもう心配いらねえ。エサはゲップが出るほどもらえるし、オレの犬小屋は人間サマが寝られるくらい広いから、二、三匹来たって驚きゃしねえ、大船に乗った気でいろ」
と請け合い、
「クーロ、クロクロクロクロ」
と呼ばれるたびに、鯛だのカステラだのを、弟に持ってきてやる。

シロは食べたことのないものばかりで、目をシロクロ。

また
「クーロ、クロクロ」
と兄貴が呼ばれたから、今度はどんなものを持ってくるかと期待して待っていると、今度はしおしおと手ぶらで、
「坊ちゃんのオシッコだった」

【しりたい】

上方落語の逆輸入版

原話は、安永2年(1773)刊の笑話本『聞上手』中の「犬のとくゐ」。 

これは、オチを含む後半部分の原型で、黒とブチ、二匹の犬の会話になっています。「黒こいこい」と呼ぶ声がするので、何かエサでももらえるのだろうとブチに促されて黒が行ってみると、「子供の小便だった」というたわいないもので、これは、上方で子供に小便させる時の「クロクロクロ」(またはシーコイコイ)を利かせたものです。

この原話を含む笑話本は、江戸のものですが、落語としては上方で、「鴻池の犬」として磨かれました。

桂米朝は「題名を明かさずに演じた方が、初めの捨て子のくだりがおもしろい」と述べています。オチは、今では「クロクロ」がわかりにくいので、米朝は「コイコイコイ」とやっています。

東京版は「彦六十八番」

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明治30年(1897)ごろ、初代三遊亭円左が東京に「逆輸入」しました。円左は大阪のものをそのままやっていましたが、のちに三代目三遊亭円馬が「大どこの犬」と改題して東京風に演じ直し、鴻池を岩崎、犬が最初に拾われる場所を、大坂南本町から江戸日本橋石町と変えました。

円馬の芸の愛弟子だった八代目桂文楽は手掛けることなく、東京では戦後、上方の桂文次郎直伝のものを八代目林家正蔵(彦六)が再構成し、十八番にしました。

正蔵は、もらわれ先を再び大坂鴻池に戻し、犬がはるばると東海道を下っていくことにして、噺に奥行きとスケールを出していました。その没後は、三遊亭円窓が継承して演じるほか、最近は、地味ながらアットホームな一種の人情譚として若手の高座にも取り上げられているようです。

鴻池善右衛門

鴻池の始祖新六は、講談で名高い山中鹿之助の次男と伝えられます。

その子、初代善右衛門が、摂津鴻池村で造り酒屋を営んだことから家名がつき、初代は海運業に進出する傍ら、明暦2年(1656)、大坂内久宝寺町に両替屋を開き、延宝2年(1674)、現在の大阪市東区今橋2丁目に本拠を移しました。

以来、大名貸しや新田開発などで巨富を築き、「今橋の鴻池」といえば、全国どこでも富豪の代名詞で通るほどになりました。

上方落語では「三十石」「莨の火」「占い八百屋」などに数多くその名が出ていて、明治までで十代を数えます。

十代目善右衛門(1841-1920)は、明治10年(1877)に第十三国立銀行を設立するなど、明治大正の関西財界に君臨しました。

黒犬の生き血

難病治療に効果があると信じられました。ヨーロッパでも黒犬は魔力を持つものと見なされ、黒ミサや呪術でしばしば生贄とされていました。

大どこ

東京版のタイトルですが、大金持ちの意味です。「オオドコロ(大所)」が略されたものでしょう。「犬になるとも大どこ(所)の犬になれ」という諺があり、意味は「寄らば大樹の陰」と同じです。

【語の読みと注】
石町 こくちょう
鴻池 こうのいけ

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もう半分 もうはんぶん 演目

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ぞぞっとする怪談噺。陰にこもってものすごいっす。

別題:五勺酒 正直清兵衛(類話)

【あらすじ】

千住小塚っ原に、夫婦二人きりの小さな居酒屋があった。

こういうところなので、いい客も来ず、一年中貧乏暮らし。

その夜も、このところやって来るぼてふり(棒手振り)の八百屋の爺さんが
「もう半分。へえもう半分」
と、銚子に半分ずつ何杯もお代わりし、礼を言って帰っていく。

この爺さん、鼻が高く目がギョロっとして、白髪まじり。

薄気味悪いが、お得意のことだから、夫婦とも何かと接客してやっている。

爺さんが帰った後、店の片づけをしていると、なんと、五十両入りの包みが置き忘れてある。

「ははあ、あの爺さん、だれかに金の使いでも頼まれたらしい。気の毒だから」
と、追いかけて届けてやろうとすると、女房が止める。

「わたしは身重で、もういつ産まれるかわからないから、金はいくらでもいる。ただでさえ始終貧乏暮らしで、おまえさんだって嫌になったと言ってるじゃないか。爺さんが取りにきたら、そんなものはなかったとしらばっくれりゃいいんだ。あたしにまかせておおきよ」

女房に強く言われれば、亭主、気がとがめながらも、自分に働きがないだけに、文句が言えない。

そこへ、真っ青になった爺さんが飛び込んでくる。

女房が気強く
「金の包みなんてそんなものはなかったよ」
と言っても、爺さんはあきらめない。

「この金は娘が自分を楽させるため、身を売って作ったもの。あれがなくては娘の手前、生きていられないので、どうか返してください」
と泣いて頼んでも、女房は聞く耳持たず追い返してしまった。

亭主はさすがに気になって、とぼとぼ引き返していく爺さんの後を追ったが、すでに遅く、千住大橋からドボーン。

身を投げてしまった。

その時、篠つくような大雨がザザーッ。

「しまった、悪いことをしたッ」
と思っても、後の祭り。

いやな心持ちで家に帰ると、まもなく女房が産気づき、産んだ子が男の子。

顔を見ると、歯が生えて白髪まじりで「もう半分」の爺さんそっくり。

それがギョロっとにらんだから、女房は
「ギャーッ」
と叫んで、それっきりになってしまった。

泣く泣く葬式を済ませた後、赤ん坊は丈夫に育ち、あの五十両を元手に店も新築して、奉公人も置く身になったが、乳母が五日と居つかない。

何人目かに、ようようわけを聞き出すと、赤ん坊が夜な夜な行灯の油をペロリペロリとなめるので
「こわくてこんな家にはいられない」
と言う。

さてはと思ってその真夜中、棒を片手に見張っていると、丑三ツの鐘と同時に赤ん坊がヒョイと立ち、行灯から油皿をペロペロ。

思わず
「こんちくしょうめッ」
と飛び出すと、赤ん坊がこっちを見て
「もう半分」

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

志ん生得意の怪談噺

原話は、興津要の説にれば、井原西鶴『本朝二十不孝』巻三(貞享3=1686年刊)の「当社の案内申す程をかし」とのことですが、明確ではありません。

明治期には初代三遊亭円左、昭和期には五代目古今亭志ん生が好んで演じました。

志ん生は、後半の陰惨な印象をやわらげるためか、居酒屋のガラガラ女房がネコババをためらう亭主に「いやにおまいさん正直だね。正直だと一生貧乏すんだよ。この正直野郎」などと毒舌を吐く場面で少しでも笑いを多く取ろうとしていました。

五代目古今亭今輔も「ねぎまの殿さま」と並ぶ数少ない古典のネタとして演じ、三代目三遊亭金馬、十代目金原亭馬生、現柳家小三治のレパートリーでもあります。

今輔はあの独特のしゃがれ声が怪談噺にマッチしてかなり凄みがありました。馬生は、最後に赤ん坊がニタリと笑う顔が消え入りそうな「もう半分」の声とともにブキミでした。

円左、金馬、小三治などは居酒屋を永代橋の橋際、身投げの場所も永代橋に設定しています。

正直清兵衛

明治40年(1907)7月号の「文藝倶楽部」に載った五代目林家正蔵(長命で知られ、俗に「百歳正蔵」)の速記「正直清兵衛」が「もう半分」と酷似しています。あらすじは以下の通り。

本所林町の青物商・清兵衛は借金返済のため娘が身売りしてつくってくれた十五両を居酒屋に置き忘れてしまう。居酒屋の主人夫婦は知らぬ存ぜぬを押し通し、主人の忠右衛門は、泣く泣く帰る清兵衛を追って刺し殺した。その後生まれた赤ん坊は白髪で顔中皺だらけ。この子が成長して忠右衛門夫婦を殺し、あだを討つ。

という凄惨な噺ですが、どちらが先にできたのか、また、この噺が「もう半分」とどういう関係にあるのかは、まったく不明です。

千住小塚っ原

志ん生が居酒屋の場所にしていますが、現在の荒川区南千住で、江戸時代は千住宿の下宿(しもじゅく)と称し、千住大橋の南詰めに位置します。有名なお仕置き場(処刑場)がありました。北詰めの足立区北千住は、上宿と呼ばれました。

棒手振り

ぼてふり。天秤棒で商品をかついで売り歩く小商人、行商人です。店舗を持たない零細な魚屋、八百屋などはすべてこれで、落語ではおなじみの存在ですね。

意地くらべ いじくらべ 演目

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強情と強情の張り合い。まあ、なんと非生産的な……。

別題:強情くらべ

【あらすじ】

ある金持ちの地主のところに、金を三十円借りにきた男。

「あんたは今度、鼠の懸賞で当たったそうだから、三十円くらいなんでもないだろう」
などと言うので、地主が怒って断ると、
「今日中に金がそろわないと、あっしの顔が立たないことがあるから、貸してくれるまで四日でも五日でもここを動かない」
と粘る。

「飯を食わさない」
と言っても、
「勝手に仕出しから取って食う」
とあくまで強情。

「警察を呼ぶ」
と言えば、
「もし牢死でもすれば、あなたを取り殺す」
と脅す。

「今日中に要るのなら、四、五日先では間に合わないだろう」
と地主が言っても、
「役に立とうが立つまいが、借りると言いだしたものは借りずにはおかない」
と大変な威勢。

根負けして理由を聞くと、
「一家そろって強情で通り、だんなも強情、お内儀さんも強情、若だんなも強情と三強情そろっている家に金を借りにいったところ、無利息無証文で貸してくれた上、おまえさんの都合のいい時にお返しなさいと言ってくれたが、自分は晦日までに返すと心決めましたので、どうしても今日中に返さないと男が立たない」
と、いう。

その三強情一家に勝るとも劣らぬあっぱれな強情ぶりに、地主もほとほと感心し、三十円貸してやると、男は
「必ず次の晦日に返す」
と約束して、さっそく、強情だんなの家に駆け込んだ。

ところがだんな、
「前に、おまえさんの都合のいい時に返せと言ったが、見たところまだ都合もよくなさそうなようすだから、そんな人から金を受け取るわけにはいかねえ」
と突っ返す。

一度受け取らないと言ったら、意地でも受け取らない。

「わざわざ金を借りてきた」
と話すと、
「一度貸さないと言ったものを後になって貸すとは、男の風上にも置けない、借りる奴も借りる奴だ」
と怒って追い出す。

しかたがないので、
「金は不要になったから」
と、もとの家に返しに行くと、今度はこっちのだんなが意地になり、
「晦日まではどうあっても受け取らない」
と、また突っ返される。

男はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、右往左往。

またまたまた強情だんなのところに逆戻り。

「金を受け取ってくれるまでは動かない」
と、言うと、
「それはおもしろい。おまえさんも男だ。動かないといったん言ったら、生涯そこに座っていろ」

そこをなんとか頼み込んで、
「それほどに言うならしかたがない」
と、やっと承知してもらったはいいが、
「おまえさんに貸したのは当月一日の朝十時だから、明日の十時になったら受け取る」
と、どこまでも頑固一徹。

男も、こうなればそれまでここを動けない。

「飯でも食わしてやろう、牛肉はどうだ」
と聞くと、
「あっしは食わず嫌いで」
と言うので、
「言い出した以上は牛肉を食わさなければおかない」
と、だんな、せがれに買いにやらせる。

ところが、いつまで待っても帰らないので、ようすを見に表に出ると、せがれが知らない男とにらめっこの最中。

「この人が出会いがしらに、あたしの鼻っ先に突っ立ったんで、あたしもまっすぐ通らないじゃ気が済まないから、この男のどくまでここに立ってるんです」
「えらい、それでこそオレの息子だ。しかし、家じゃ腹すかせて待ってるだろう。早く牛肉を買ってきな」
「でも、おとっつぁん、この人がどかなきゃ行かれません」
「心配するな。オレが代わりに立ってる」

底本:初代三遊亭円左

【しりたい】

作者は「鬼」の評論家

劇作家・評論家の岡鬼太郎(1872-1943)が明治末期に初代三遊亭円左のために書き下ろした「新作落語」です。オチの部分は中国・明代の笑話本『笑府』巻六・殊綸部の「性剛」から取っています。

岡は明治中期から戦時中に至るまで、歌舞伎・落語の両分野で極辛口の批評で知られます。こわいものなしだった若き日の名優・六代目尾上菊五郎なども、その増長慢の鼻を、何度もいやというほどへし折られたとか。洋画家、岡鹿之助の父親です。

落語でも、若手真打はもちろん、老大家ですら、そのしんらつな批評に震え上がったそうで、六代目三遊亭円生も「本当にこわい先生でした」と回想しています。

小さん一門が得意に

今回のあらすじは、おそらく初演の円左のものをテキストにしましたが、書き下ろしなので、基本の演出や人物設定は今でもほとんど変わりません。

戦後は、八代目桂文楽がよく演じ、その没後は五代目柳家小さんの一手専売でした。

柳家小三治、柳家さん喬始め、現在でも五代目小さん一門によって、よく高座にかけられます。

江戸っ子の強情

落語にも、意地っぱりのカリカチュアともいえる「強情灸」がありますが。江戸っ子の場合は特に、その異様なまでの義理がたさと細かいところまで「筋」を立てることにこだわる気質の表れとして、さまざまな小説や戯曲に、強情ぶりが描かれています。

たとえば、明治末の東京・下町の市井を舞台にした永井龍男の『石版東京図会』でこんな話が出てきます。

主人公がほれぬいて、おやじの反対を押し切って婚約した女。のちに、彼女には他の男との間に子供を身ごもったことが判明しました。仲人口を聞いた男に対して、職人肌で頑固一徹の父親が「女のせいではない、誰のせいでもない。ただせがれが未熟」の一点張りで、その弁明をがんとして受け付けない場面のやりとりなどにその潔癖さがよく表現されています。

鼠の懸賞が当たった

最初に男が言うこの言葉は、現在ではまったく通じないので、省かれることが多くなっています。

落語では「藪入り」にも登場しますが、明治38年(1905)、ペスト予防のため、東京市が一匹3-5銭で鼠を買い上げたことを指します。同年2月現在で、122万6900匹が駆除のため買い上げになったという記録が残ります。

ところがその甲斐もなく、翌々年の明治40年(1907)には東京市中全域でペストが猛威を振るい、328人が犠牲となりました。

ちなみに、円左のこの噺の速記は、明治41年(1908)6月ごろのものです。

仕出し屋

今もある、料理の出前専門の料亭です。特に文化・文政(1804-30)以後、食生活がぜいたくになり、大規模な料理店が江戸市中に乱立したのにともなって、花見など、行楽用の弁当を請け負う業者が増えたことが仕出し屋の始まりです。

江戸で名高い「八百善(やおぜん)」は、天保年間(1830-44)には、仕出し専門店になっていました。