地獄八景 じごくばっけい 演目

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上方では米朝のが有名ですが、ここでは明治の円遊ので。ほとんど同じ。

【あらすじ】

根岸でのんびり日を送る大店の隠居。

そこに、隠居が最近ドイツの名医からもらったという「旅行薬」の噂を効いて、源さんと八っつぁんの二人連れが訪ねてくる。

隠居が、この薬を飲めば、一時間以内で好きなところへ行ってこられるから、試しにどこかへ行ってみないかと言うので、二人は渡りに舟と、地獄旅行としゃれ込む。

すっかり薬が回ると、何だかスーッとしていい気持ち。

いつの間にか、だだっ広い野原にいる。

洋服を着た人が立っていて
「きさまらは新入りだな。自分はこの国の人民保護係だ」
と言う。

ここはシャバを去ること、八万億土の仇し野の原。

吹く風は無常の風、ぬかるみの水は末期の水と名がつく。

役人が、きさまらはシャバで罪を犯したので、ここでザンゲをしなければならないと言う。

まず源さんが
「えー、私は間男しました」

「とんでもねえ奴だ。相手はだれのかみさんだ」
「ここにいるこいつで」
「チクショー、こないだから変だと思った」

これで大げんか。

「八五郎、きさまはなにをした」
「へえ、私は泥棒で」
「どこに入った」
「こいつのとこです」
というわけで、間男と差し引き。

もめながら三途の川まで来ると、ショウヅカの婆さんが、
「当節、地獄も文明開化で、血の池は肥料会社に売却して埋め立て、死出の山は公園に」
と、いろいろ教えてくれる。

いよいよ、三途の川の渡し。

死に方で料金が違う。

心中だと二人で死んだから二四が八銭、お産で死ねば三四が十二銭という具合。

着いたのが閻魔の庁。

役人が一人一人呼び上げる。

「磐梯山破裂、押しつぶされー」
「ホオー」
「ノルマントン沈没、土左衛門」
「ヘイー」
「肺病、胃病、リューマチ、脚気」
「ヘイ」

全部中に通ると、罪の申し渡しがある。

有罪全員が集められ
「その方ら、いずれも極悪非道、針の山に送るべき奴なれど、今日はお閻魔様の誕生日につき、罪一等を減じ、人呑鬼に呑ませる。さよう心得ろ」

塩をかけて食われることになったが、歯医者がいて、人呑鬼の歯をすっかり抜いちまったから、しかたなく丸飲み。

腹の中で、みんなで、あちこちの筋を引っ張ったので、さすがの人呑鬼もたまらず、トイレに行って全員下してしまった、というところで気がつくと、いつの間にか元の根岸の家。

「どうだ、地獄を見てきたか」
「もし、ご隠居、あの薬の正体はなんです」
「おまえらは腹から下されたから、あれは大王(大黄=下剤)の黒焼きだ」

底本:初代三遊亭円遊

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【うんちく】

本家は上方落語

天保10年(1839)刊の上方板笑話本『はなしの種』中の「玉助めいどの抜道」が上方落語「地獄八景(亡者戯)」の原型。

さらに遡れば、宝暦13年(1763)刊の『根南志具佐』を始め、宝暦から文化年間まで流行した地獄めぐり滑稽譚が源流です。

上方では長編連作旅シリーズ「東の旅」の番外編という扱いで、古くは、道中の点描で、軽業師が村祭りで興行中木から転落。そのまま地獄へ直行するのが発端になっていました。

あらすじの東京バージョンは珍しいのでご紹介しましたが、明治中期に初代三遊亭円遊が東京に移植・改作したものです。

あだし野の原

実在の仇し野(化野)は、京都府北嵯峨・念仏寺の、京都最古の土葬墓地です。八千体の石仏や石塔がひしめく荒涼たる風景は、「あだし野の露消ゆる時なく」と吉田兼好が『徒然草』に記しているように、この世の無常、ひいては地獄を感じさせます。それもそのはず、「あだし野」は特定の地名でなく、冥界を意味する言葉でした。

「八万億土」は、もともとこんな言葉はなく、西方十万億土の少し手前というくすぐりです。

ショウヅカの婆さん

脱衣婆のことです。地獄の入り口、三途の川の岸辺で亡者の衣服をはぎ取り、衣領樹の上にいる懸衣翁に渡す仕事の鬼婆。

「ショウヅカ」は「三途河」がなまったものとか。

落語では、「朝友」「地獄の学校」「死ぬなら今」など、地獄を舞台にしたものにはたいてい登場。「朝友」を除けば悪役のイメージは薄く、特にこの噺では、情報通の茶屋の婆さんという扱われ方です。

三途の川の渡し賃

普通は六文と考えられていました。棺桶(早桶)に六文銭を入れる習わしはそのためです。

磐梯山破裂

明治21年(1888)7月の、会津磐梯山の大噴火を指します。

ノルマントン号事件

明治29年(1896)10月24日、日本人乗客23名を乗せた英国貨物船ノルマントン号が紀州沖で沈没。水死したのが日本人のみだったため、全国で対英感情が悪化しました。

米朝十八番、すたれた円遊改作

円遊は、オチを含む後半はほとんど上方版と同じながら、発端をあらすじのように変え、明治25年(1892)4月の速記では「大王の黒焼」を受けて「道理でぢごく(=すごく)効きがよかった」と、ひどいダジャレオチにしています。

円遊版の特色は、あらすじでは略しましたが、当時すでに死亡していた多くの有名人が、続々と地獄に来ている設定になっていること。

川路利良(明治12年没)、三島通庸(21年没)、西郷隆盛(10年没)、その他三条、岩倉、大久保、木戸の維新の元勲連から、森有礼暗殺犯の西野文太郎、大津事件の津田三蔵、毒婦高橋お伝まで。明治のにおいが伝わってきます。

円遊のこの演出は時代を当て込んだものだけに、当然、以後継承者はなく、明治期にできた地獄噺は、オリジナルの大阪版以外はすべて滅びたといっていいでしょう。

戦後では桂米朝が、発端をフグにあたってフグに死んだ若だんなと取り巻き連のにぎやかな冥土道中にした上、より近代的なくすぐりの多いものに変え、「地獄八景亡者戯」として、一世のヒット作、十八番としています。

この米朝演出を、門弟の桂枝雀がさらにはでなスペクタクル落語に変え、昭和59年(1984)3月の歌舞伎座公演のトリでも大熱演しました。

枝雀のオチでは、体内を責めさいなまれた人呑鬼が悲鳴を上げるので、閻魔大王がしかたなく「極楽へやってやる」とだまして一同を外にひきずり出してしばりますが、うそをついたというので、閻魔自身が舌を抜かれるという皮肉なものです。

演題の読みはあくまで上方のものを踏襲して「じごくばっけい」と読むのが正式です。古くは「地獄めぐり」「明治の地獄」「地獄」など、さまざまな別題で演じられていました。

【語の読みと注】
根南志具佐 ねなしぐさ:風来山人、つまり平賀源内の作
脱衣婆 だつえば
衣領樹 えりょうじゅ
懸衣翁 けんえおう:三途の川のほとりにいるといわれる老人
三途河 さんづか
地獄八景亡者戯 じごくばっけいもうじゃのたわむれ

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近江八景 おうみはっけい 演目

★auひかり★

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うんちく垂れ流しのはなし。ちょいとオチが苦しいですが、けっこう笑えます。

【あらすじ】

ある男。

ゆうべ吉原に繰り込んだ兄弟分に、その同じ店の、自分のなじみのお女郎のようすを根堀り葉掘り、しつこく聞いてくる。

その女とは年期が明ければ夫婦になると口約束はしてあるものの、そこはお女郎のこと、自分が行かない時になにをしているか、気になってたまらないわけ。

案の定、別に色男がいるらしいと聞いて、兄さん、カンカン。

しかもその色男、白雪姫ではないが、色白で髪黒々と、目がぱっちりとして男振りもよく、背が高くもなく低くもなく、という、まあ、ライバルとしては最悪。

なお悪いことに、女はもっか、この男に血道をあげ、牛を馬に乗り換えて夫婦約束まで取り交わしている、ということまで知れた。

「おまえのツラじゃあ血道は上がらないわ。女の血道があばら骨で止まるね。おまえのは道普請ヅラ、市区改正ヅラ」

兄弟分にまで言われ放題。

「男は顔じゃねえ」
と強がってみても、内心はカリカリなので、女の本心を、横丁の占いの名人に見立ててもらうことにした。

易者の先生、おもむろに算木筮竹をチャラチャラさせ、
「えー、出ました。易は沢火革。革は改めるということだから、おまえさんのところにこの女が来年の春には来るね」

さあ、男は大喜び。

「聞いたか、オタンチンめ。アッタカクだ。アッタカクってえのは、女房来ればお粥を炊いて暖まるってこった。ざまあみろ」

ところが、まだ続きがあった。

「ああ、お待ち。沢火革を変更すると水火既済となる。つまりだ、来るには来ても、ほかに夫婦約束をした者がいるから、しまいには出ていくから、まあ、おあきらめなさい」
「ベラボウめ。なにが名人だい。せっかく暖めといて、勝手に変更されてたまるか。だいいち、そのスイカキセイってのが気に入らねえ。てめえ、八卦見だってんなら、近江八景で見てくれ。さもなきゃ道具をたたっこわすぞ」
と、女から来た
「あんたを一目三井寺から、心は矢橋にはやれども」
という、近江八景尽くしの恋文を突きつける。

脅されて先生、しかたなく
「それではこの易を近江八景で見ようなれば、女が顔に比良の暮雪ほどお白粉を付けているのを、おまえは一目三井寺より、わがものにしようと心は矢橋にはやるゆえ、滋賀唐崎の夜雨と惚れかかっても、先の女が夜の月。文の便りも堅田より、気がそわそわと浮御堂、根が道落雁の強い女だから、どう瀬田いはまわしかねる。これは粟津に晴嵐がよかろう、おい待った、帰るなら見料を、おアシを置いておいで」
「近江八景には膳所(=金)はねえ」

底本:六代目三遊亭円生

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【しりたい】

上方の発祥

原話は不詳で、同題の上方落語を東京に移植したものです。上方落語研究家の故・宇井無愁は、この噺の類話として、安永10年(1781)刊『民話新繁』中の「鞜の懸」を挙げています。

これは、鞜(=靴)屋の手代が、さる公家のところへ盆前の掛け取りに行くと、公家が、手代が持参した主人の書付を見て、「書き出す十三匁 鞜の代 内二百文 七月に取る」と、和歌になっていたので喜び、さっそく、「近江路や 鞜の浦舟 かぢもなく 膳所の松原 まはるまで待て」。要するに、「ゼゼができるまで待て」と返歌したという能天気な話ですが、「膳所」と「ゼゼ」の駄ジャレということ以外、「近江八景」との関連性ははっきりしません。

上方のやり方では、松島遊廓の紅梅という女に惚れた男が、大道易者に見立ててもらう筋です。艶書になっている近江八景づくしも、東京の易者のより名文で、「恋しき君のおもかげを、しばしがほどは見い(=三井)もせで、文の矢ばせの通い路や、心かただ(=堅田)の雁ならで、われからさき(=唐崎)に夜(=寄る)の雨……」といった名調子です。

風流すぎて、継承者なし

東京では、明治の四代目春風亭柳枝が手掛け、移植したのはこの人では、とも見られますが、不明です。

次いで古いところでは、六代目林家正蔵(今西の正蔵、1929年没)の、おそらく大正初期の吹き込みによるレコードが残されていますが、これは珍品、骨董品の部類。

昭和以後では、六代目三遊亭円生が得意にし、「円生百席」にも録音している通り、いかにも円生好みの粋できれいな噺です。三代目三遊亭金馬、五代目三升家小勝もたまに演じ、金馬のレコードもありますが、あまりに風流すぎ、今では手を出す人はいない、と言いたいところですが、じつは古今亭志ん朝がやっていました。

近江八景

近江八景を整理します。

三井寺の晩鐘
石山の秋月
堅田の落雁
粟津の晴嵐
矢橋の帰帆
比良の暮雪
唐崎の夜雨
瀬田の夕照

「堅田の落雁」は「浮御堂」と変わることがあります。初代安藤広重の続絵が有名です。

洒落のうち、「心が矢橋(やばせ)」は、「心だけがあせって矢のように(相手の所に)走る(=馳せる)」を掛けたもの。

「唐崎の夜雨と惚れかかる」は「雨が降りかかる」の駄ジャレ。「粟津に晴嵐」は「逢わずに添わん」の地口。

「膳所」は、もちろん銭の幼児語と掛けてあるわけですが、膳所(滋賀県膳所市)が近江八景に入っていないので、このオチが成立するわけです。

「瀬田いは廻しかねる」は、「世帯が回しかねる」、つまり家計がピンチということですが、「瀬田が唐橋(=世帯が空走り。金欠のこと)」とする場合もありました。

円生好みの粋な味わい

この噺、易の名人が登場する人情噺「ちきり伊勢屋」の冒頭によく似ているので、六代目円生は『円生全集別巻』の補説で、あるいはこの噺は「ちきり伊勢屋」の前半を独立させた上、近江八景の部分を後から付けたものではないか、と述べています。

ところで、円生の「掛取り万歳」には、芝居好きの酒屋に近江八景づくしで借金の言い訳をする場面があります。

その項と重複しますが、以下、そのやり取りをノーカットで。

主「その言い訳はこれなる扇面」
酒「なに、扇をもって言い訳とな……『雪はるる、比良の高嶺の夕まぐれ、花の盛りを過ぎし頃かな』……こりゃこれ、近江八景の歌。この歌もって、言い訳とは」
主「心やばせと商売に、浮御堂(=憂き身を)やつす甲斐もなく、膳所(=ゼゼ)はなし城は落ち、堅田に落つる雁(かりがね=借り金)の、貴殿に顔を粟津(=合わす)のも、比良の暮雪の雪ならで、消ゆる思いを推量なし、今しばし唐崎の」
酒「松で(=待って)くれろというなぞか。シテ、その頃は?」
主「今年も過ぎて来年の、あの石山の秋の月」
酒「九月…下旬か」
主「三井寺の鐘を合図に」
酒「きっと勘定いたすと申すか」
主「まず、それまではお掛取りさま」
酒「この家のあるじ八五郎」
主「来春お目に」
両人「かかるであろう」

明らかにこの入れごとは「近江八景」の趣向を取り入れたものでしょう。

パクリ文化

「〇〇八景」は、もともと10世紀に北宋で選ばれた「瀟湘八景」がモデルです。これに影響を受けて、広く東アジア一帯に「八景」文化が残っています。

たとえば、茨城県高萩市には「松岡八景」というのがあります。江戸時代、当時の領主中山信敬が儒者亀里亀章に選ばせたものだそうですが、元ネタがあるのでそれに見合った場所を選定するだけの労力で済みます。

竜子の晴嵐
二本松の秋月
関根の夕照
永田の落雁
能仁寺の晩鐘
天南堂の暮雪
荒崎の夜雨
高戸の帰帆

元祖「瀟湘八景」のパクリです。こんなが日本中いたるところにあり、今では饅頭や最中なんかが販売されています。経済と交通の発達で18世紀に開花した地方文化のあらわれとして、お国自慢と中国の風流文化とがむすびついた結果といえます。

念のため、「瀟湘八景」を載せておきます。瀟湘とは、洞庭湖から流れ出る瀟水と湘江の合流するあたりをいいます。古くから風光明媚で豊かな水郷地帯として知られています。湖南省長沙市のあたりです。

瀟湘夜雨 しょうしょうやう:瀟湘の上にもの寂しく降る夜の雨の風景
平沙落雁 へいさらくがん:秋の雁が鍵状に干潟に舞い降りる風景
煙寺晩鐘 えんじばんしょう:夕霧に煙る遠くの寺の鐘の音を聞く夜
山市晴嵐 さんしせいらん:山里が山霞に煙って見える風景
江天暮雪 こうてんぼせつ:日暮れの河の上に降る雪の風景
漁村夕照 ぎょそんせきしょう:夕焼けに染まるうら寂しい漁村風景
洞庭秋月 どうていしゅうげつ:洞庭湖の上にさえ渡る秋の月
遠浦帰帆 えんぽきはん:帆かけ舟が夕暮れに遠くから戻る風景

「近江八景」も「松岡八景」も出元は同じ、というわけです。

【語の読みと注】
算木 さんぎ:易で使う四角の棒。約9cm、6本でセット
筮竹 ぜいちく:易で使う竹ひご状の棒。35cm~55cm、50本でセット
沢火革 たくかかく:易の結果で、衝突から変化が起きる状態
水火既済 すいかきせい:易の結果で、小さい願い事はかなう状態
膳所 ぜぜ
鞜の懸 くつのかけ
浮御堂 うきみどう
矢橋 やばせ
瀟湘八景 しょうしょうはっけい

【古今亭志ん朝 近江八景】

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