「いげ」は湯気で、古い江戸訛。
東京の下町では「う(u)」「ゆ(yu)」は「い」に近い発音に音韻変化して聞こえます。
「湯気にあがる」は、熱湯、長湯で湯にあたってのぼせる意。
したがって、「いつまで湯にへえってやがる。呆れ果てて物が言えねえ。こっちの方が焦れてのぼせてしっくりけえっちまう」という風に意訳できます。
「呆れ」に掛けた言葉遊びは、「呆れ蛙の頬被り」「呆れが御礼」「呆れが過ぎたらお正月」「呆れもは(果て)あいそ(愛想)もつ(尽きた)」「呆れ切幕トントン拍子」など多数あります。
500題超。演目ごと1000字にギュッと。深いところがよくわかる。
「いげ」は湯気で、古い江戸訛。
東京の下町では「う(u)」「ゆ(yu)」は「い」に近い発音に音韻変化して聞こえます。
「湯気にあがる」は、熱湯、長湯で湯にあたってのぼせる意。
したがって、「いつまで湯にへえってやがる。呆れ果てて物が言えねえ。こっちの方が焦れてのぼせてしっくりけえっちまう」という風に意訳できます。
「呆れ」に掛けた言葉遊びは、「呆れ蛙の頬被り」「呆れが御礼」「呆れが過ぎたらお正月」「呆れもは(果て)あいそ(愛想)もつ(尽きた)」「呆れ切幕トントン拍子」など多数あります。
「飽き」と「秋」を掛け、秋風が吹く頃、冷気が身にしみるように、男女の情愛がすっかり冷めきってしまうこと。
それに地名の「安芸(広島県)」をさらに掛けた、和歌では紋切り型のパターンです。
「安芸の宮島……」は、宮島(厳島)三島めぐりの有名な民謡そのままで、「浦は七浦七恵比寿」と続きます。
厳島神社の祭神は「宗像三女神」と呼ばれる田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命の女神三柱なので、この戯言の「飽き」が色事の結果なのは明(=安芸)らかですね。
江戸ではこの後に「気がもめ(=駒込)のお富士さん」と付けてダメを押します。
宗像大社は三つの神社で成り立つ複合神社です。宗像氏は安曇氏とともに海の民でした。
安曇氏は出雲族と手をむすんだため、出雲王国が崩壊する際、海の民を捨てて信州の山間にこもりました。
一方の宗像氏は天皇家と手をむすび、今日まで栄えたのです。
交通、商売、交流、繁栄をつかさどる人々です。大陸との橋渡しもしてきました。
宗像大社は以下の三つの社の総称です。
沖津宮 田心姫神(タゴリヒメ)
中津宮 湍津姫神(タギツヒメ)
辺津宮 市杵島姫神(イチキシマヒメ)
反抗期に掛かった子供(特に男子)が親に用事を言いつけられ、万国共通の「アカンベー」で拒絶反応を示すとき、例の仕種と同時に付け加える悪態。
この場合、「あかんべい」は「あく(灰汁)の灰(はい、へえ)」のダジャレを含んでいて、そこから「百杯なめろ」が出るわけです。
この悪態のパターンは「あかん弁慶屁でも景清」「赤弁天さん尻観音さん」ほか多数あります。
「あかんべい」自体も「あかんべん」「あべかこ」「あかべい」「あかめん」など、各地の方言によって変化しますが、語源はすべて「赤目」から。「あかんべえひゃっぱいなめろ」「あかんべいえ百杯なめろ」も同じ。
くぎの一種。
二本の木材をつなぎとめるための両端の曲がった大きなくぎ。
両親をつなぐ子供の存在をいうこともあります。
え、あたいが鎹。それでおっかさん、げんのうでぶつって言ったんだね。
子別れ
輪王寺宮家の家紋は鎹が山型に見えるので、輪王寺宮家をさして「かすがい」「かすがいやま」と呼んだりします。
鎹はふたつのものをつなぐところから、一挙両得の意味で使われることもあります。
それを「鎹儲け」などといいます。
いかにも日本人的な言い回しです。
「口に出して言わない方が奥ゆかしい」ということで、美学として称賛されるものですね。
世阿弥の「秘すれば花」から派生したものでしょうか、おもむきがちょっと異なるかもしれません。
花の盛りを限って楽しむことから、その場かぎりでいちばんよいことのたとえです。
「見るが仏、聞かぬが花」「待つが花」などの類似表現もあります。
小唄の「お互いに 知れぬが花よ」はダブル不倫の対処法です。
「花」から桜の名所を出していますが、当然「吉野」と「良し」も掛けています。
歌舞伎では、芝居小屋で旗本の狼藉の留め男(仲裁)に入った侠客の幡随院長兵衛が「何事も言わぬが花の花道を」とそっくり返って嬉しそうに言います。
裏返せば「空気を読め」という口封じ。
ビアスの『悪魔の辞典』風に解釈すれば、「口は災いの元」と同義です。
「上がったり」は、「商売上がったり」などと、現代でもよくボヤキとして使われます。
職人や商人の仕事が行き詰まり、にっちもさっちもという状態。
「たり」は完了形なので、完全にダウン、再起不能という惨状。
「上がる」はあごが上がるから来ているのでしょうが、むしろ「干上がる」の方がぴったりでしょう。
それに神号の「大明神」を付けて、窮状も神様級。
普通、○○大明神といえば、大げさなほめ言葉ですが、ここでは明らかにやけくその自嘲。
神様は神様でも、根こそぎむしり取る貧乏神としか思えません。
食事や碁将棋に付き合ってくれる相手が欲しいときに言います。
「あいてほしさ」は「開いて欲しさ」の洒落でもあり、これが「玉手箱」につながります。
同時にこれは、浦島伝説に由来の「開けてくやしき玉手箱」のもじりともなっています。
つまり、悲劇的な結末となった浦島とは正反対に、「玉手箱」(宝石箱)に掛けて、何か心楽しい成り行きを期待する心でしょう。
用例としては、「東海道中膝栗毛」七編下、京見物のくだりに「まだ飯が食ひたらんさかい、あい手ほしさの玉手箱ぢゃわいな」とあります。
この後「うまくなくともたんとお上がり」と続きます。
「ああ」という気のない生返事を受け、後に語呂合わせを重ねたものです。
古語で「多い」という意味の「あわに」という副詞があり、それに「ああに」と掛け、さらに、いくら食べても満腹にならない粟飯と茶漬けを出して「いくらでも言っていろ」とからかったわけです。
「ああに」は確証はありませんが、「あわびに」と掛ける駄洒落も入っているかも知れません。
こう見るとなかなか一筋縄ではいかず、これを最初に考えた人間は、只者でなかったかも知れません。
ただで大枚をふんだくるというのを、ただどり=ただのり(薩摩守忠度)と、「平家物語」の悲劇のキャラクターに引っ掛けただけの地口。
逆に巻き上げられた方の立場から「只取り山のの歩泣き石(ほととぎす)」といった類似表現もあります。
このうち「歩泣き石」は、東海道怪談伝説の「小夜の中山夜泣き石」に掛けたものですが、「薩摩守」を含め、もとは縁台将棋から広まったものでしょう。
それにつけても平忠度というご仁、首を取られた上、何百年も無賃乗車や横領の代名詞呼ばわりされ続けるとは、よくよく悲運の人物ですね。
古くから日本全国に広く流布した、児童の遊び歌の代表的なもの。
さよなら→三角→四角という語呂合わせは、落語「一目上がり」の「讃→詩→語」という数字のしゃれに通じるものです。
遊び惚けた子供たちが日没前に別れるときに、名残惜し気に掛け合う挨拶にも使われていました。
山田典吾監督作品「はだしのゲン」(1976年)では、子供たちの別れの場面でこれが歌われています。
この時のメロディーは「からす、なぜ泣くの」の替え歌になっていて、「あばよ さようなら さよならまたきてしかく しかくは とうふで とうふはしろい」と、さらに連想の要素が加わっていました。
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「どうで」は「どのみち」「どっちみち」という意味の強調語。「有馬」は地名と「有り」を掛けた駄洒落で、煎じ詰めればただ「ある」という肯定を大げさに洒落のめしただけ。
「有馬の水天宮」は、文政元年(1818)、久留米藩主有馬頼徳が芝赤羽橋外の同藩上屋敷内に久留米から勧請した水難の守り神。以後、江戸の庶民にも広く信仰されました。明治になってからは蠣殻町に引っ越して、今の水天宮となりました。この洒落が広まったのは文政年間以後です。
同じ意味で「どうで有馬の大入道」とも。こちらは言葉遊びで「大あり、大あり」。「どうで有馬の」の方は、使われ方の状況次第で微妙にニュアンスが変わることがあります。例えば、飲兵衛が目の前でいい酒をなみなみと注がれた時は「おっと、ありがたい」の意味にもなるわけですね。
榎本健一の一座には「有馬是馬」という芸名の役者がいました。「あれまこれま」の洒落のつもりでしょう。
つばのない短刀。ひしゅ、くすんごぶ(九寸五分)とも。短刀。よろいどおし(鎧通し)。切腹に使います。
九寸五分は、長さからの名称。25cmほど。
この刀を使う時、おもしろいことに、歌舞伎でも文楽でも富本節でも「キリキリ」という擬音が必ずついてまわります。キリ=斬り、とでも言いたいのでしょうか。
ひしゅとは匕首の読みです。
落語では、遊客の相手、つまり、相手の遊女をさします。でも、一般には、相手のこと。
歌舞伎では、役者のせりふや動きなどに合わせてつまびく下座の三味線をいいます。
急に産気づくこと。広義では、腹痛、時には歯痛全般を指します。
かつては、腹痛はすべて、腹中に入り込んだ悪い虫が暴れるからだと考えられたためで、志ん生の「疝気の虫」などもその同類です。
いくらなんでも、陣痛は「虫」の仕業ではないのですが、妊婦の苦悶の症状から、そう言われたのでしょう。「かぶる」は「齧る」で「かじる」の意味。
「ばかだね、こいつァ。お産婆さんが女郎買いに行くかい」
「女郎買いには行かないよ。虫がかぶったてえことを聞くとすぐきます」
羽織(六代目三遊亭円生)
お女郎屋の二階のこと。
吉原や岡場所などの遊郭で、普通は二階が客と女郎の対面、逢い引きに使われたのでこう呼ばれました。「二階の間男」「二階ぞめき」などは、これを当て込んでいます。
「二階をまわす」というのはやり手や若い衆の仕事のことで、二階に案内した客を取り持ち、世話をすることです。
「まわす」は運営する、取り仕切ること。
ついでに、古い東京言葉の「こどりまわし(小取り廻し)が悪い」というのは、仕事のやり方が下手で気が利かないという悪口で、遊郭の用語でした。
明治期、男女が簡易に密会するのは、「蕎麦屋の二階」が通り相場でした。
「おや、嫌ですよ。私は二階をまわす者で」
「なに、二階をまわす? この二階を?」
敵討札所霊験(三遊亭円朝)
ちりからは鼓、たっぽうは大鼓の擬音語。そこから、芸者を揚げてにぎやかで陽気なお座敷をこう言いました。「だいようき(大陽気)」も同義。
正岡容は『明治大正風俗語事典』で、鳴り物入りの座敷は吉原に限るので、新宿などの「岡場所」の遊郭にはない、という説を紹介しています。
本所の達磨横丁を出て、全盛の吉原へやってきたが、ちりからたっぽう大陽気、両側はもう万燈のようで……。
文七元結
そそのかす、けしかけるの意味。「そくら(嘱賂)」はけしかける、煽動する、悪知恵を授けること。
訛って「そこら」「そくろ」とも発音しました。語源はよくわかりません。単独に使われることはなく、「かう」は「飼う」で、古い用例で毒を盛ること。
そこから転じて、耳によからぬ悪知恵などを吹き込むことを言いました。
おおかた誰か、そくらをかった奴があるのでございますが、私は少しも覚えがない。
蝦夷錦古郷之家土産(三遊亭円朝)
一蓮托生で悪事をする共犯者のこと。
芝居では特に、二人でゆすりに押しかける片割れをこう呼びます。
現代でも使われる「あいぼう(相棒)」の漢字を当て字に使う場合もありますが、同義の「尻押し」とともに、こちらは単に協力者の意味で、必ずしも悪事の共犯とは限りません。
もっとも有名な用例としては、河竹黙阿弥の世話狂言『弁天小僧』「浜松屋店先の場」です。
正体が露見した弁天小僧の「知らざあ言って…」の名乗りに続く相棒の南郷の「その相摺の尻押しゃあ…」という七五調のツラネ(続きゼリフ)があります。語源としては「あいづり(相吊)」または「あいづれ(相連)」が転じたものとされます。
押さえるとたんに、両方の頭からすっと引っこ抜いた。あいずりの長五郎ィ渡して、こいつがばらばらばらばらばらばらっと逃げ出したんで……。
双蝶々(六代目三遊亭円生)
店屋物をとってもらうときに使うことば。落語にはよく出てきます。
もうめんどうくせえから、うなぎでもそういってもらいましょう。
湯屋番
大通りに対する小道。通りから分かれた小道。
表通りに入り口がある横丁で、地主が管理する私道。地主と町会所の相談で公許を得て造る道。
長谷川町の三光新道のな、常磐津の「かめもじ」ってのをちょいと呼んできてもれえて。
百川
文字通りの「物陰からこっそり見る」から、義理にでもたまには挨拶に来る、顔を見せるの意味。
ほとんどは否定語を伴って「かげのぞきもしない」で、「不義理をする、まったく顔を見せない」という非難の言葉になります。
このフレーズ、古い江戸の言葉で、『全国方言辞典』(佐藤亮一編、三省堂)には記載がありますが、なぜか『日本国語大辞典』(小学館)にも、『江戸語の辞典』(前田勇編、講談社)にも、項目がありません。
慣用表現としては死語となっても、直訳的におおよそ意味が推測できるからでしょうか。
宇野信夫(1904-91、劇作家)が、1935年(昭和10)に六世尾上菊五郎(寺島幸三、1885-1949、音羽屋)のために書き下ろした歌舞伎脚本「巷談宵宮雨」。
この中で、「影覗き」をセリフに用いました。
宇野は、大御所の岡鬼太郎(1872-1943、劇評家)から「あなたはお若いのに、かげのぞきという言葉をお使いになった」と褒められた、ということです。
こんなのが逸話に残るほど、昭和に入ると「影覗き」は使われなくなっていたようです。
当の宇野だって、生まれは埼玉県本庄市で、熊谷市育ち。長じて、慶応に通い出してから浅草で暮らしていたという、えせもの。
この言葉がはたして血肉になっていたのかどうか、あやしいものです。
とまれ、昭和初期にはすでに、老人語としてのほかは、東京でもほとんど忘れ去られていたということでしょうかね。
用のある時は来るけれども、さもなきゃかげのぞきもしやがらねえ。たまには出てこいよ。
雪の瀬川(六代目三遊亭円生)
江戸の町人特有の、縁起直しの呪文。
相手に不吉なこと、不浄なことを言われた後、必ず間を置かずに「つるかめつるかめ」と重ねて唱えます。
鶴と亀はともに長寿のシンボル。
縁起のいいものとされていたからで、いうなら精神的な口直しでしょう。
芝居では黙阿弥の代表的な世話狂言「髪結新三」で、大家に「オレに逆らったらてめえの首は胴についちゃあいねえんだ」と脅かされた小悪党の新三が、すかさず大げさに唱えて震える喜劇的なシーンが印象的です。
昭和初期までは老人の間では普通に使われていたと思います。
恐怖の度合いが強い場合は、さらに「万万年」を付けて呪力を強化します。
後家安「それじゃあちょっとおらあ行ってくるから」
お藤「また竹の子かえ」
後家安「縁起でもねえ、鶴亀鶴亀」
鶴殺疾刃包丁(後家安とその妹)
「竹の子」は博打のこと。剥かれるところから。
『明治東京風俗語事典』(正岡容)には「つるかめつるかめ」の項目が立っていて、「ツルもカメもめでたい動物なので、縁起の悪いときにこうとなえる」とあります。
この本は、典拠をすべて円朝作品から採取しているので、出元は同じでした。
【RIZAP COOK】 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席 寄席
「敷居が高い」の洒落。
「敷居が高い」とは、相手に不義理のある場合に使うことで、格式ある家や老舗に入りにくいことの意に使われることが多く、これは誤用です。
このことばの正しい使い方、六代目円生が範を垂れていました。
うかがわなくてはならんのですが、どうもオタクには敷居が鴨居になっちまって。なにしろ借金がそのままですし。
六代目三遊亭円生
鼠が入ってこないように隙間をなく作った食器棚。
だれだい。鼠入らずの中に首つっこんでるのは。六さんかい。
品川心中