じっとく【十徳】演目

噺の全編、これ駄洒落の全員集合。ばかばかしいだけ。落語のおたのしみです。

あらすじ

ふだん物知り顔な男。

髪結床かみゆいどこで仲間に「このごろ隠居の着ている妙ちくりんな着物は何と言う」と聞かれたが、答えられず、恥をかいたのがくやしいと、さっそく隠居のところへ聞きに言った。

隠居は「これを十徳という。そのいわれは、立てば衣のごとく、座れば羽織のごとく、ごとくごとくで十徳だ」と教え、「一石橋という橋は、呉服町の呉服屋の後藤と、金吹かねふきちょうの金座御用の後藤が金を出し合って掛けたから、ゴトとゴトで一石だ」とウンチクをひとくさり。

「さあ、今度は見やがれ」と床屋に引き返したはいいが、着いた時にはきれいに忘れてしまって大弱り。

「ええと、立てば衣のようだ、座れば羽織のようだ、ヨウだヨウだで、やだ」
「いやならよしにしねえ」
「そうじゃねえ、立てば衣みてえ、座れば羽織みてえ、みてえみてえでむてえ」
「眠たけりゃ寝ちまいな」
「違った、立てば衣に似たり、座れば羽織に似たり、ニタリニタリで、うーん、これはしたり」

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しりたい

遊び心に富むダジャレ噺  【RIZAP COOK】

オチの部分の原話は、安永2年(1773)刊『御伽草おとぎぞうし』中の「十徳のいわれ」で、そっくりそのままです。

江戸にはシャレ小咄が多く、ばかばかしいようで遊び心とウイットに富み、楽しいものです。

落語の「一目上がり」などもそうですが、数でシャレるものがあります。たとえば。

屋島やしまいくさで、平教経たいらののりつねが源義経を見て、勝負をしそうになった。義経は臆して、『よそうよそう』で八艘はっそう飛び」
「西と書いて産前産後と解く。その心は、二四は三前三後」

いろいろあります。

本来、前座噺ですが、大看板では八代目春風亭柳枝りゅうし(1959年没)がよく演じました。

上方ではこの後、「ごとくごとくで十徳やろ」と先回りされ、困って、「いや、たたんでとっとくのや」と落とします。

これはしたり  【RIZAP COOK】

オチに使われていますが、今ではどうでしょう。

「これはしき(=悪い)ことしたり」の真ん中が取れた言葉といわれ、「しまった」と「驚いた」の両義に使われます。

この噺では前者でしょうが、ダジャレなので、あまり詮索しても意味はありません。

仮名手本忠臣蔵かなでほんちゅうしんぐら」五段目・山崎街道鉄砲渡しの場で、狩人となっている早野勘平はやのかんぺいが、かつての同僚の千崎弥五郎せんざきやごろうに偶然出会い、両人膝をたたいて「これはしたり」と言います。この場合は後者の意味で、歌舞伎ではこのパターンは紋切り型で繰り返し使われます。

十徳  【RIZAP COOK】

脇を縫いつけた、羽織に似た着物です。おもに儒者、絵師、医者らが礼服として用いました。本当の語源は、「直綴じきとつ」からの転訛てんかで、脇をじてある意味でしょう。

鎌倉時代末期に始まるといわれ、古くは武士も着用しました。江戸時代には腰から下にひだを付け、普段着にもなりますが、はかまは履かないのが普通でした。

そもそもは、鎌倉末期に素襖すおうより下級の小素襖こずおうのことです。高貴な人が外出する時に輿こしきやともざむらいが上着の上から掛けて、腰回りを帯で締めて四幅袴よのばかまを履くようになりました。室町時代には上下ともに侍の旅行用衣服に転じ、江戸時代には袴が省略されて、儒者、医師、俳諧師、絵師、茶人など、剃髪ていはつした人の外出着や礼服と変化していきました。黒無紋くろむもん精好せいごうしゃといった布地で仕立て、脇を縫い綴じ、ともれのひらぐけの短い紐を付けて、腰から下にひだをこしらえています。見るからに浮世離れした風流人の上品な風情です。これが変化していって、羽織はおりとなっていきます。

後藤は江戸の「造幣局」  【RIZAP COOK】

金座は勘定奉行に直属です。家康が貨幣制度の整備を企てて日本橋に金座を設け、新両替町しんりょうがえちょう(中央区銀座一~四丁目)に駿府すんぷから銀座を移転。家臣の後藤庄三郎光次に両方を統括させ、金貨・銀貨を鋳造・鑑定させたのが始まりです。

金座の設置は文禄4年(1595)、銀座は慶長17年(1612)とされます。後藤庄三郎は代々世襲で、大判小判を俗に「光次みつつぐ」と呼んだのはそのためです。

金座は当初、日本橋金吹かねふきちょう(「長崎の赤飯こわめし」参照)に設けられ、後藤の配下で、実際に貨幣に金を吹きつける役目の業者を「金吹き」と呼びましたが、元禄8(1695)年にこれを廃止。

新たに鋳造所を本郷に移転・新築しましたが、間もなく火事で全焼し、同11年(1698)、後藤の官宅があった、金吹かねふきちょうのすぐ真向かい、日本橋本石町二丁目の現日銀本店敷地内へ再移転しました。

一石橋  【RIZAP COOK】

もとは「いちこくばし」でしたが、いまは「いっこくばし」と言い慣わしています。中央区日本橋本石町ほんこくちょう一丁目から、同八重洲やえす一丁目までの外堀そとぼり通りを南北に渡し、北詰きたづめに日本銀行本店、その東側に日本橋三越があります。

この橋上から自身と常磐ときわ橋、呉服橋、鍛冶かじ橋、銭亀ぜにかめ橋、日本橋、江戸橋、道三どうさん橋と、隅田川を代表する八つの橋を一望する名所で、別名を「八ツ橋」「八つ見の橋」といったゆえんですが、現在は高速道路の真下です。

噺の中の「ゴトとゴトで一石」は俗説です。このダジャレ説のほか、橋のたもとに米俵を積み上げ、銭一貫文と米一石を交換する業者がいたからとする説も。どちらも信用されていなかったらしく、「屁のような由来一石橋いっこくばしのなり」と、川柳で嘲笑される始末でした。

もう一つの「呉服屋の後藤」は、幕府御用を承る後藤縫之助で、「北は金 南は絹で 橋をかけ」と、これまた川柳に詠まれました。

一石橋の南の呉服橋はこの後藤の官宅に由来し、橋自体、元は「後藤橋」と呼ばれていたとか。一石橋の南詰に安政4年(1857)、迷子札に代わる「まひごのしるべ石」が置かれ、現存しています。

【RIZAP COOK】

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【十徳 八代目春風亭柳枝】

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にんぎょうかい【人形買い】演目

 

初節句のお返しに人形を。いい年した大人が青っぱなのガキにそそのかされて。

あらすじ

長屋の神道者しんとうじゃの赤ん坊が初節句で、ちまきが配られたので、長屋中で祝いに人形を贈ることになった。

月番の甚兵衛が代表で長屋二十軒から二十五銭ずつ、計五円を集め、人形を選んでくることになったが、買い方がわからない。

女房に相談すると、「来月の月番の松つぁんは人間がこすからいから、うまくおだててやってもらいな」と言う。

馬鹿正直な甚兵衛がそれを全部しゃべってので、本人は渋い顔。

行きがかり上、しかたなく同行することになったが、転んでもただで起きない松つぁん、人形を値切り、冷や奴で一杯やる金をひねり出す腹づもり。

人形屋に着くと、店番の若だんなをうまく丸め込み、これは縁つなぎだから、この先なんとでも埋め合わせをつけると、十円の人形を四円に負けさせることに成功。

候補は豊臣秀吉のと神功皇后じんぐうこうごうの二体で、どちらに決めるかは長屋に戻り、うるさ方の易者と講釈師の判断を仰がなければならない。

そこで、さっき甚兵衛が汚い人形と間違えた、青っぱなを垂らした小僧に二体を担がせて店を出る。

ところがこの小僧、とんだおしゃべりで、この人形は実は一昨年の売れ残りで処分に困り、だんなが「店に出しておけばどこかの馬鹿が引っかかって買っていく」と吹っ掛けて値段をつけた代物で、あと二円は値切れたとバラしたから、二人はまんまとだまされたとくやしがる。

その上、若だんなが女中おもよに言い寄るシーンを話し、十銭せしめようとするのでまたまた騒然。

帰って易者に伺いを立てると、早速、卦を立て
「本年お生まれの赤さんは金性。太閤秀吉公は火の性で『火剋金』で相性はよろしからず。神功皇后さまは女体にわたらせられるから、水性。水と金は『金生水』と申して相性がよい。神功皇后になさい」
というご託宣。

二人が喜んで帰ろうとすると、
「見料五十銭置いていきなさい」

これで酒二合が一合に目減り。講釈師のところへ行くと
「そも太閤秀吉という人は、尾州愛知郡百姓竹阿弥弥助のせがれにして幼名を日吉丸……」
と、とうとうと「太閤記」をまくしたてる。

「それで先生、結局どっちがいいんで」
「豊臣家は二代で滅んだから、縁起がよろしくない。神功皇后がよろしかろう」

それだけ聞けば十分と、退散しようとすると
「木戸銭二人前四十銭置いていきなさい」

これで冷や奴だけになったと嘆いていると
「座布団二枚で十銭」

これで余得はなにもなし。

がっかりして、神道者に人形を届けにいくと、甚兵衛が、ちまきは砂糖をかけなくてはならないからかえって高くつくという長屋の衆の陰口を全部しゃべってしまう。

神道者は
「お心にかけられまして、あたくしを神職と見立てて、神宮皇后さまとはなによりもけっこうなお人形でございます。そも神功皇后さまと申したてまつるは、人皇十四代仲哀天皇の御后にて……」
と講釈を並べ立てるから、松つぁんあわてて
「待った待った、講釈料は長屋へのお返しからさっ引いてください」

【RIZAP COOK】

しりたい

三代目円馬が上方から  【RIZAP COOK】

上方落語で、三代目三遊亭円馬が明治末年に東京に移植しました。

隠れた円生の十八番  【RIZAP COOK】

円馬の元の型は、人形屋の主人が親切から負けてくれる演出でした。それを、三代目桂三木助と六代目三遊亭円生が直伝で継承し、それぞれ得意にしていました。円生のでは、長屋から集金せず、辰んべという男が博打で取った金を、前借するという段取りです。現在聞かれる音源は、東京のものは円生の吹き込みのみです。

インチキ祈禱師はいつの世も  【RIZAP COOK】

神道者は、神道系の祈祷師のことで、京都の白河家か吉田家の支配(管理)を受け、烏帽子えぼし狩衣かりぎぬ姿で鈴を振ってお祓いして回ります。俗に拝み屋、上方では「祓いたまえ屋」とも呼ばれましたが、仏教系の願人坊主同様、かなり胡散臭い手合いでした。読み方はいくつかありますが、江戸では「しんとうじゃ」と読むことが多かったようです。

江戸の人形屋  【RIZAP COOK】

人形屋は、大店は俗に十軒店じっけんだな、現在の日本橋室町三丁目付近に集まっていました。そのほか露店で主に土人形や市松人形を安く売る店がそこここにありましたが、この噺の人形は節句の武者人形で、相当値段が張りますから、十軒店のちゃんとした店でしょう。頭が木彫り、胴体は藁と紙の衣装人形です。

神功皇后  【RIZAP COOK】

仲哀天皇の皇后。熊襲くまそ侵攻に従って筑紫つくしに向かっているさなか急の崩御にも遭い、身重をもいとわず、韓半島の新羅しらぎに出向いて制圧、百済くだら高句麗こうくりも帰服させ、出産した幼帝とともに大和に凱旋、70年以上も摂政につとめた人、と記紀にはそういうことになっていますが、よくわかりません。幼帝は応神天皇です。新羅の王子アメノヒボコの系統ということですから、韓半島とのかかわりは強かったのでしょう。戦前は武内宿禰たけうちのすくねと並んで節句人形の人気キャラでした。武内宿禰たけうちのすくねは高齢の忠臣として、これまた記紀中の人物。両者とも国威発揚にかなった人物でしたが、いまは顧みられません。

【語の読みと注】
神道者 しんとうしゃ しんとうじゃ しんどうじゃ
十軒店 じっけんだな
神功皇后 じんぐうこうごう
武内宿禰 たけうちのすくね

【RIZAP COOK】

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【人形買い 三遊亭円生】

そこつながや【粗忽長屋】演目

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「粗忽」とはあわてん坊の意。行き倒れの主が自分!? 粗忽者はさて、どうする。

あらすじ

長屋住まいの八五郎と熊五郎は似た者同士で、兄弟同様に仲がいい。

八五郎は不精ぶしょうでそそっかしく、熊五郎はチョコチョコしていてそそっかしいという具合で、二人とも粗忽さでは、番付がもしあれば大関を争うほど。

八の方は信心はまめで、毎朝浅草の観音さまにお参りに行く。

ある日、いつもの通り雷門かみなりもんを抜け、広小路ひろこうじにさしかかると、黒山の人だかり。

行き倒れだという。

強引に死体を見せてもらうと、そいつは借りでもあって具合が悪いのか、横を向いて死んでいる。

恐ろしく長っ細い顔だが、こいつはどこかで見たような。

「こいつはおまえさんの兄弟分かい」
「ああ、今朝ね、どうも心持ちが悪くていけねえなんてね。当人はここで死んでるのを忘れてんだよ」
「当人? おまえさん、兄弟分が浅ましい最期さいごをとげたんで、取りのぼせたね。いいかい、しっかりしなさいよ」
「うるせえ。のぼせたもクソもあるもんけえ。うそじゃねえ明かしに、おっ死んだ当人をここへ連れて来らァ」

八五郎、脱兎だっとのごとく長屋へ駆け込むや、熊をたたき起こし、
「てめえ、浅草の広小路で死んだのも知らねえで、よくもそんなにのうのうと寝てられるな」
と息巻く。

「まだ起きたばかりで死んだ心持ちはしねえ」
と熊。

昨夜どうしていたかと聞くと、本所ほんじょの親類のところへ遊びに行き、しこたまのんで、吉原をヒヤカした後、田町でまた五合ばかり。その後ははっきりしないという。

「そーれ見ねえ。つまらねえものをのみ食いしやがるから、田町から虫の息で仲見世なかみせあたりにふらついてきて、それでてめえ、お陀仏だぶつになっちまったんだ」

そう言われると、熊も急に心配になった。

「兄貴、どうしよう」
「どうもこうもねえ。死んじまったものはしょうがねえから、これからてめえの死骸しがいを引き取りにいくんだ」
というわけで、連れ立ってまた広小路へ。

「あらら、また来たよ。あのね、しっかりしなさいよ。しょうがない。本人という人、死骸をよくごらん」

コモをまくると、いやにのっぺりした顔。

当人、止めるのも聞かず、死体をさすって、
「トホホ、これが俺か。なんてまあ浅ましい姿に……こうと知ったらもっとうめえものを食っときゃよかった。でも兄貴、何だかわからなくなっちまった」
「何が」
「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ、誰なんだろう」

しりたい

主観長屋?   【RIZAP COOK】

アイデンティティー(本人に間違いないこと)の不確かさを見事に突いた鮮やかなオチです。

立川談志は、主人公の思い込みの原因は「あまりにも強すぎる『主観』にある」という解釈で、「主観長屋」の題で演じましたが、この場合の「主人公」は八五郎の方で、いったん、こうと思い込んだが最後、刀が降ろうが槍が降ろうがお構いなし。1+1は3といったら3なのです。

対照的に相棒の熊は、自我がほぼ完璧に喪失していて、その表れがオチの言葉です。

どちらも誇張されていますが、人間の両極を象徴しています。

四代目柳家小さんは、「死んでいるオレは……」と言ってはならないという教訓を残していますが、なるほど、この兄ィは、自分の生死さえ上の空なのですから当然でしょう。

代々の小さんに受け継がれた噺で、現在では、脳内に霞たなびく熊五郎が抱腹絶倒ほうふくぜっとうの柳家小三治が、その直系のように思えます。

三代目小さんの貴重な音源が残るほか、五代目志ん生、五代目小さん、談志のものが多く出ています。

自身番のこと   【RIZAP COOK】

自身番屋じしんばんやは、町内に必ず一つはあり、防犯・防火に協力する事務所です。

昼間は普通、町役ちょうやく(おもに地主)の代理である差配さはい(大家)が交代で詰め、表通りに地借りの商家から出す店番たなばん1名、事務や雑務いっさいの責任者で、町費で雇う書役しょやく1名と、都合3名で切り盛りします。

行き倒れの死骸の処理は、原則として自身番の役目です。

身元引受人が名乗り出れば確認のうえ引き渡し、そうでなければお上に報告後回向院えこういんなどの無縁墓地に投げ込みで葬る義務がありました。

その場合の費用、死骸の運搬費その他は、すべて町の負担でした。

したがって、自身番にすれば、こういうおめでたい方々が現れてくれれば、かえって渡りに船だったかもしれません。

浅草広小路   【RIZAP COOK】

浅草寺の雷門前のあたりをいいました。雷門広小路とも。台東区浅草一丁目、二丁目。

浅草広小路には、女川菜飯めかわなめしという人気の飯屋がありました。ここの菜飯は、東海道の石部・草津間にある目川めかわ村でつくられる菜飯の風味をまねていたそうです。客寄せから、目川が女川に。値段は1膳12文、菜飯以外に田楽も出したそうです。

【粗忽長屋 立川談志】

ぎがん【義眼】演目

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目がらみの噺。江戸では眼病の男がよほど多かったのでしょう。

別題:入れ目 のぞき医者(上方)

あらすじ

ある男、目の具合がどうもよくないので、医者に相談するが、ますます見えなくなるばかり。


眼科の先生もしまいには面倒くさくなり、えいとばかり悪い方の目をスッポリ抜き取り、代わりに義眼をはめ込んでごまかしてしまった。

「あー、どうです具合は?……そりゃよかった。それから、入れた方の目は夜は必要ないンだから、取りましてね、枕元に水を置いて、浮かべときなさい。そうすりゃ長持ちするから」

入れ歯と間違えているようだが、当人すっかり喜んで、その夜、吉原のなじみの女郎のところへ見せびらかしに行く。

男前が上がったというので、その晩は大変なモテよう。

さて、こちらは隣部屋の客。

反対に相方の女が、まるっきり来ない。

女房とけんかした腹いせのお女郎買いなのに、こっちも完璧に振られ、ヤケ酒ばかり喰らい、クダを巻いている。


「なんでえ、えー、あの女郎は……長えぞオシッコが。牛の年じゃあねえのか?それにしても、隣はうるさいねえ。え、『こないだと顔が変わった』ってやがる。七面鳥のケツじゃあるめえし、え、そんなにツラが変わるかいッ!こんちくしょうめ!」


焼き餠とヤケ酒でのどがかわき、ついでにどんなツラの野郎か見てやろうと隣をのぞくと、枕元に例の義眼を浮かべた水。


色男が寝ついたのを幸いにしのびこんで、酔い覚めの水千両とばかり、ぐいっとのみ干したからたまらない。


翌日からお通じはなくなるわ、熱は出るわで、どうにもしようがなくなって、医者に駆け込んだ。


さて……「あー、奥さん、お宅のご主人のお通じがないのは、肛門の奥の方に、なにかさまたげてるものがありますな」

サルマタを取って、双眼鏡で肛門をのぞくなり、先生、「ぎゃん」と叫んで表へにげだした。

男の女房が後を追いかけてきて、「先生、いったいどうなさったんです」「いやあ驚いた。今、お宅のご主人の尻の穴をのぞいたら、向こうからも誰かにらんでた」

底本:五代目古今亭志ん生

しりたい

「いれめ」とも  【RIZAP COOK】

「義眼」と記して、「いれめ」と読んだりもします。

短いけれども、楽しいナンセンスにあふれた展開、オチの秀逸さで、落とし噺としては、最もすぐれたもののひとつといえるでしょう。

五代目古今亭志ん生が時々、心から楽しそうに演じていた噺で、速記を読んだだけで吹き出してしまうほど。

意外にも、初代三遊亭円左えんざが得意にしていました。明治の大看板で人情噺の大家です。それを、柳家三語楼さんごろうがさらにギャグを加え、オチも円左の「尻の穴ににらまれたのは初めてだ」から、よりシュールな現行のものに変えました。三語楼は大正、昭和初期の爆笑王でした。五代目志ん生の最後の師匠でもあります。

三語楼から志ん生、さらに、初代柳家権太楼ごんたろうに継承されました。権太楼も、昭和初期に「猫と金魚」などの爆笑落語で売れた人です。

権太楼のレコードは、尻をメガネでのぞく場面が、なんと効果音入りという凝ったものだったとか。

志ん生の音源発掘!  【RIZAP COOK】

志ん生の、未公表のきわめて貴重な音源・映像・写真を多数含む『講談社DVDBOOK・志ん生復活!落語大全集』(2004-05年)全13巻が発売されました。第5巻に「義眼」が収録されています。カセットテープ版として、日本クラウンから発売されたものを改めて収録したものです。

この巻には長男の馬生とのリレー落語「宿屋の富」(初公開)も収録。志ん生フリークには楽しめる一冊です。

【義眼 古今亭志ん生】

らくごのしにがみ【落語の死神】

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三遊亭円朝は福池源一郎(桜痴)から西洋の話を聞いて、「死神」という一編をこさえたといわれています。

死神とは、死をつかさどる神、人を死にいざなう神、といわれています。

これはどうも、西洋にはいても、日本には存在しません。仏教にも神道にも。

ましてや、大鎌を振り下げようとする黒い法衣をまとった骸骨顔の死神装束は、どう逆立ちしても異文化もいいところ。

落語の死神は、聴けば、なんだか托鉢僧のように思えますが、その姿格好のほどはよくわかりません。

近松門左衛門が18世紀初頭に「死神」ということばをいくつかの作品に使っています。でも、これは決定打にはなりません。西洋からの、つまりは長崎経由の知識だった可能性もあるのですから。

宝永3年(1706)上演の「心中二枚絵草紙」では、いざ心中という男女を「死神の導く道や……」と描いています。

宝永6年(1709)上演の「心中刃は氷の朔日」では、男と心中しようとした女が「死神の誘う命のはかなさよ」とひとりごちています。死神の存在が男女を心中に至らせるのを言っているのか、心中のようすを死神にたとえているのかが、どうもよくわかりません。「死神」ということばを入れることで命の短さやはかなさを描いているようにも思えます。

享保5年(1720)上演の「心中天網島」に「あるともしらぬ死にがみに、誘われ行くも……」とあります。主人公の紙屋治兵衛から「紙」と「神」をかけているわけで、死を目前にする人の心を表したものでしょう。「あるともしらぬ死神に」と言っているところを素直に読めば、近松本人が死神の存在をわかっていない可能性もあります。なんともいやはや。

これだけの例で語れるものではありませんが、日本には死神という概念はなかったのではないか、と思われます。

そこで円朝。

幽霊なんかばっかり登場させていた円朝は、明治になったら聴衆に飽きられてしまい、「それでは」と新案として出してきたのが、死神という新キャラクターだったようです。

原話はグリム童話の「死神の名付け親」だとか、ルイージ・リッチ、フェデリコ・リッチ兄弟のオペレッタ「クリスピーノと死神」だとかいわれていますが、どっちなのか、どっちでもありなのか、そんなことは、とりあえずここではどうでもよい話としておきましょう。

重要なのは、死神が最後に見せるロウソクです。

人の一生をロウソクにたとえるアイデアは西洋独自のもので、明治より前の日本(というか東洋)にはありません。

人の命にはロウソクのようにはじめから長さが決まっているとして、可視化できる概念は、東洋には、少なくとも日本にはありませんでした。

いまや西洋文物にどっぷり浸かっているわれわれ日本人には、「おふみ」の意味がわからなくても、「死神」のロウソクにたとえられた人の命の長さはずっとわかりやすいのではないでしょうか。とほほ、です。

最後に、「死神」のお楽しみのひとつ、あの呪文のいくつかを列挙してみましょう。演者によって微妙に違いますが、まあ同じと言えば同じでしょうか。

原作者とされる円朝。彼の速記には、呪文がありません。

アジャラカモクレン キューライス テケレッツのパア

アジャレン モクレン キンチャン カーマル セキテイヨロコブ テケレッツのパア

エンヤカヤハヤ エッヘイハー プータゲナー メイホアツー チンチロリン

アジャラカモクレン エベレスト テケレッツのパア

アジャラカモクレン アルジェリア テケレッツのパア

アジャラカモクレン ハイジャック テケレッツのパア

アジャラカモクレン セキグンハ テケレッツのパア

アジャラカモクレン モウタクトウ テケレッツのパア

アジャラカモクレン コウエイヘイ テケレッツのパア

アジャラカモクレン ピーナッツ テケレッツのパア

アジャラカモクレン ダイオキシン テケレッツのパア

チチンブイブイ ダイジョーブイ テケレッツのパア

アジャラカモクレン エヌエイチケ テケレッツのパア

アジャラカモクレン トラノモン テケレッツのパア

アジャラカモクレン テケレッツのパア (柏手)ポンポン

アジャラカモクレン テケレッツのパア 定年後の貯金は二千万

古木優

【死神 柳家喬太郎】

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しにがみ【死神】演目

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古典落語の傑作ですが、元ネタはイタリアやドイツにあるそうです。

あらすじ

借金で首が回らなくなった男、金策に駆け回るが、誰も貸してくれない。

かみさんにも、金ができないうちは家には入れないと追い出され、ほとほと生きるのがイヤになった。

一思いに首をくくろうとすると、後ろから気味の悪い声で呼び止める者がある。

驚いて振り返ると、木陰からスッと現れたのが、年の頃はもう八十以上、痩せこけて汚い竹の杖を突いた爺さん。

「な、なんだ、おめえは」
「死神だよ」

逃げようとすると、死神は手招きして、「こわがらなくてもいい。おまえに相談がある」と言う。

「おまえはまだ寿命があるんだから、死のうとしても死ねねえ。それより もうかる 商売をやってみねえな。医者をやらないか」

もとより脈の取り方すら知らないが、死神が教えるには
「長わずらいをしている患者には必ず、足元か枕元におれがついている。足元にいる時は手を二つ打って『テケレッツノパ』と唱えれば死神ははがれ、病人は助かるが、枕元の時は寿命が尽きていてダメだ」
という。

これを知っていれば百発百中、名医の評判疑いなしで、もうかり放題である。

半信半疑で家に帰り、ダメでもともとと医者の看板を出したが、間もなく日本橋の豪商から使いが来た。

「主人が大病で明日をも知れないので、ぜひ先生に御診断を」
と頼む。

行ってみると果たして、病人の足元に死神。

「しめた」
と教えられた通りにすると、アーラ不思議、病人はケロりと全快。

これが評判を呼び、神のような名医というので往診依頼が殺到し、たちまち左ウチワ。

ある日、こうじ町の伊勢屋宅からの頼みで出かけてみると、死神は枕元。

「残念ながら助かりません」
と因果を含めようとしたが、先方はあきらめず、
「助けていただければ一万両差し上げる」
という。

最近愛人に迷って金を使い果たしていた先生、そう聞いて目がくらみ、一計を案じる。

死神が居眠りしているすきに蒲団をくるりと反回転。

呪文を唱えると、死すべき病人が生き返った。

さあ死神、怒るまいことか、たちちニセ医者を引っさらい、薄気味悪い地下室に連れ込む。

そこには無数のローソク。

これすべて人の寿命。

男のはと見ると、もう燃え尽きる寸前。

「てめえは生と死の秩序を乱したから、寿命が伊勢屋の方へ行っちまったんだ。もうこの世とおさらばだぞ」
と死神の冷たい声。

泣いて頼むと、
「それじゃ、一度だけ機会をやる。てめえのローソクが消える前に、別のにうまくつなげれば寿命は延びる」

つなごうとするが、震えて手が合わない。

「ほら、消える。……ふ、ふ、消える」

しりたい

異色の問題作登場!

なにしろ、この噺のルーツや成立過程をめぐって、とうとう一冊の本になってしまった(『落語「死神」の世界』西本晃二、青蛙房、2002年)ぐらいです。

一応、原話はグリム童話「死神の名付け親」で、それを劇化したイタリアのコミック・オペラ「クリスピーノと死神」の筋を、三遊亭円朝が洋学者から聞き、落語に翻案したと言われます。

それはともかく、そこの旦那。ああた、あーたです。笑ってえる場合じゃあありません。このはなしを聞いて、たまには生死の深遠についてまじめにお考えになっちゃあいかがです。

美人黄土となる。明日ありと思う心の何とやら。死は思いも寄らず、あと数分後に迫っていまいものでもないのです。

東西の死神像

ギリシアやエジプトでは、生と死を司る運命もしくは死の神。

ヨーロッパの死神は、よく知られた白骨がフードをかぶり、大鎌を持った姿で、悪魔、悪霊と同一視されます。

日本では、この噺のようにぼろぼろの経帷子きょうかたびらをまとった、やせた老人で、亡者もうじゃの悪霊そのもの。

ところが、落語版のこの「死神」では、筋の上では、西洋の翻案物のためか、ギリシア風の死をつかさどる神という、新しいイメージが加わっています。

芝居の死神

三代目尾上菊五郎以来の、音羽屋の家の芸で、明治19年(1886)3月、五代目菊五郎が千歳座の「加賀かがとび」で演じた死神は、「頭に薄鼠うすねず色の白粉を塗り、下半身がボロボロになった薄い経帷子にねぎの枯れ葉のような帯」という姿でした。不気味にヒヒヒヒと笑い、登場人物を入水自殺に誘います。

客席の円朝はこれを見て喝采したといいます。この噺の死神の姿と、ぴったり一致したのでしょう。

先代中村雁治郎がテレビで落語通りの死神を演じましたが、不気味さとユーモラスが渾然一体で、絶品でした。

ハッピーエンドの「誉れの幇間」

明治の「鼻の円遊」こと初代三遊亭円遊は、「死神」を改作して「誉れの幇間たいこ」または「全快」と題し、ろうそくの灯を全部ともして引き上げるというハッピーエンドに変えています。

「死神」のやり方

円朝から高弟の初代三遊亭円左が継承、さらに戦後は六代目円生、五代目古今亭今輔が得意にしました。

円生は、死神の笑いを心から愉快そうにするよう工夫し、サゲも死神が「消える」と言った瞬間、男が前にバタリと倒れる仕種で落としました。

柳家小三治は、男がくしゃみをした瞬間にろうそくが消えるやり方でした。

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