そういってもらう【そう言ってもらう】ことば

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 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

店屋物をとってもらうときに使うことば。落語にはよく出てきます。

もうめんどうくせえから、うなぎでもそういってもらいましょう。

湯屋番

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じんみち【新道】ことば

【RIZAP COOK】

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大通りに対する小道。通りから分かれた小道。表通りに入り口がある横丁で、地主が管理する私道。地主と町会所の相談で公許を得て造る道。

長谷川町の三光新道のな、常磐津の「かめもじ」ってのをちょいと呼んできてもれえて。

百川

【RIZAP COOK】

ひあわい【廂間】ことば

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家と家の間の狭い空間。路地。ひやわい。転じて、物と物の間。

廂間におれが立って、おまえが屋根から包みをおろすのを受け取ったことがある。

緑林門松竹

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こししょうじ【腰障子】ことば

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紙張り障子の下部が板張りになっている建具。

この一種で、板張りの部分が高さ60cm以上あるものは「腰高障子」と呼びます。「腰高」とは一般には、道具の足の部分が高いものをさします。高坏など。

おれんとこはね、角から三軒目、腰障子に丸に八の字、丸八っていやあ、すぐにわかるんだ。

野ざらし

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かすがい【鎹】ことば

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くぎの一種。二本の木材をつなぎとめるための両端の曲がった大きなくぎ。両親をつなぐ子供の存在をいうこともあります。

え、あたいが鎹。それでおっかさん、げんのうでぶつって言ったんだね。

子別れ

輪王寺宮家の家紋は鎹が山型に見えるので、輪王寺宮家をさして「かすがい」「かすがいやま」と呼んだりします。

鎹はふたつのものをつなぐところから、一挙両得の意味で使われることもあります。それを「鎹儲け」などといいます。

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芝居と帯 しばいとおび 演目

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いまどき、こんな噺じゃ笑えませんが。でも、明治っぽくて新鮮です。

【あらすじ】

奥方がだんなに帯を買ってもらうことになった。

調子に乗って、奥方は、
「帯がきたら見せびらかしに芝居に行きましょう。芝居に行ったら役者のご祝儀でお金がかかるから、横浜の親戚に借りに行きましょう。そのついでに金沢八景、江ノ島を見物して、またまたついでに大磯の海水浴へ。ここまで来たなら足を伸ばして箱根へ、そこから汽車で興津の清見寺から久能山、小夜の中山から豊川稲荷、そこから熱海神宮、伊勢神宮、二見ケ浦で朝日を拝み、近江八景見物の後京大阪、奈良の大仏、高野山、熊野の鯨見物も。それから神戸、須磨、明石、讃岐の金比羅、安芸の宮島、馬関(下関)の春帆楼から長崎へ渡り、ここまできたら沖縄へ。また出直すのもおっくうだから、ことのついでに海を渡って上海へ。そこからシンガポールでコーヒーをのんで一休み、宗主国を訪れないでは失礼だから、ちょいとロンドンまで。ヴィクトリア女王に会ってから、近道でも探してウラジオに戻り、それから函館五稜郭で氷水でものみ、汽車で上野まで戻りましょう。ああくたびれた」
とまあ、帯一つで世界一周してしまう魂胆だから、だんなは仰天。

「そんなことされた日にゃ破産で、ロンドンどころかルンペンだから、芝居か帯のどちらかにしろ」
と厳命するだんな。

奥方が迷っていると、幇間の桜川呑孝がやってきた。

この間の歌舞伎座、団菊大顔合わせの「加賀見山」お初仇討ちの場を熱演してみせたので、奥方はうっとり。

「まあ、本当に芝居を見てるようだよ」
というと、だんなが
「それじゃ、帯を止めにしよう」

底本:六代目桂文治

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【うんちく】

文治の新作

「芝居好きの泥棒」と同じく、明治の芝居噺の名人、六代目桂文治の創作と思われます。「芝居好きの泥棒」より二か月後の明治31年(1898)8月、雑誌『百花園』に速記が掲載されました。これが唯一の口演資料で、以後の記録はありません。

馬関の春帆楼

この奥方も「藪入り」のおやじと同じパターンで、願望がふくらんで、際限のない空想旅行にご出発。

馬関は、現在の山口県下関市の古称。明治22年(1889)の市制施行で、赤間関市となり、同34年(1899)、山陽本線開通によって駅が設置されたとき、「馬関駅」と命名されましたが、それも一年限りで、翌35年(1900)、市名、駅名ともに「下関」と改称されました。

春帆楼は、下関市のフグ料理で名高い料亭割烹。明治21年(1888)、伊藤博文が初めて訪れて以来、大のひいきにしました。この速記の三年前の明治28年(1895)4月17日、春帆楼で伊藤と外相陸奥宗光が、清国講和全権李鴻章と馬関(下関)条約を調印し、日清戦争が正式に終結しました。それで有名な店です。

PHP研究所版『千字寄席』では、春帆楼を伊藤博文の「別荘」と記しましたが、これは、伊藤がこの料亭を私物化して「別荘のようなもの」にしていたというのが正しい表現だったようです。

コーヒー事始

奥方の空想旅行も海を渡り、「シンガポールでコーヒーを」とハイカラぶりを見せつけています。

コーヒーが日本で存在を初めて知られたのは、文化8年(1811)。幕命によって、蘭学者大槻玄沢らが翻訳に着手したフランスの百科事典のオランダ語訳『厚生新編』に紹介されました。

実際に輸入され始めたのは、維新後の明治10年(1876)ごろから。明治21年(1888)4月、日本初のコーヒー店「可否茶館」が下谷黒門町にオープンしたというのが定説です。当時のコーヒー1杯の値段は3銭。この速記(明治31年)の前後は、値下がりして2銭となっています。

団菊の「加賀見山」

九世市川團十郎(1838-1903)と五世尾上菊五郎(1844-1903)の明治の二大名優顔合わせによる「加賀見山旧錦絵」は、明治31年(1898)5月、歌舞伎座上演。

通称「加賀見山」(鏡山)は、天明3年(1783)4月、森田座初演。加賀前田家のお家騒動に題材をとったものです。

あらすじは以下の通り。

兄の入間家(前田家)家老剣沢弾正と結託してお家乗っ取りをたくらんだ局岩藤が、陰謀を知った中老尾上に、お家の重宝の弥陀の尊像を盗んだ罪を押し付けて、自害に追いやります。しかし、尾上付きの忠義な腰元お初が岩藤を討ち取ってお家の安泰を得る、というもの。

明治31年の公演は団菊最後の「加賀見山」で、菊五郎のお初、團十郎の岩藤という、ともに一世の当たり役でした。

仇討ちの場は、大詰め奥庭の場。この芝居は登場人物が悪役弾正を除けば女ばかりです。「女忠臣蔵」と呼ばれ、女性観客には人気が高かった演目です。

【語の読みと注】
馬関 ばかん
春帆楼 しゅんぱんろう
加賀見山旧錦絵 かがみやまこきょうのにしきえ
局 つぼね

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