第617回TBS落語研究会 寸評 2019年11月26日

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

一目上がり 入船亭小辰 ★★

マクラの間、早口の言葉が粒立たず聞き取れない、大家と隠居は同一人物なのか、など、アラを言えば切りがない。隠居が説明するくだり、ちゃんとしぐさ、目の動きをともなっているのはよい。マクラの、頭がタイムスリップした水道調査員は、まったく老人になっていないが、「え? どっちの三平だ」はけっこうウケた。

駒長 蜃気楼龍玉 ★★★

円朝作品に意欲的に取り組み、師匠(雲助)譲りで語り口にもどっしり貫目が付いてきた。おしむらくは言葉に重複とくどさが目立つ。女房が「丈八」と直前に言っているのに亭主が「深川から丈八という男が」と繰り返したり、「損料」で足りるのを「損料代」と重ねたり。だからか、夫婦の会話を含む前半がダレる。立板に水のベランメエは貴重品だけに、そのへんの整理を切に望みたい。

掛け取り 柳亭市馬 ★★★★★

本日の白眉。この人、噺家には珍しく、地声がよく響くバリトンなので、ネタによってはそれがかえって薄味な印象を与え、実力の割に損をする場合があるのだが、こうした音曲を聴かせる噺になると、まず当代の独壇場。特に義太夫は、変に上方風にしゃがれず、朗々とした江戸前でけっこうなもの。日頃きちんと稽古していなければこうは行かないだろう。全体の演出では、最後に芝居ごっこの掛け合いを入れる円生の型。「掛け取り」なので、万才のくだりはない。けんかで逆に証文を入れさせる抱腹絶倒なくすぐりも円生通りだが、後味の悪さを少しも感じさせず、洒落気分が横溢。シメに古風な歌舞伎の味を堪能させて、いや、バカンマ。ごちそうさまでげした。

将棋の殿さま 三笑亭夢丸 ★★★

殿さまのパワハラぶりがエスカレートするにつれ、要所に新規の過激なくすぐりを交え、楽しめた。「切腹申し渡す」と言葉で言う代わりに、その都度、電光石火のいぐさで示すのはいい工夫に見えた。言葉遣いからして武士が武士にならず、昭和初期の映画に見る、ワンマン社長の前で平蜘蛛のようにはいつくばる社畜リーマンのさまなのは奇異。言葉とがめどこ吹く風の爆笑路線を突っ走るのだろうが、それでも円蔵の域に達するには、もう少したたみかけるリズム感を身に着けてほしいように思った。

火事息子 五街道雲助 ★★★★★

自他ともに任ずる十八番ゆえ、もはやなんの茶々も入れどころなし。しっとりと落ち着いた語り口、風貌まで、近年、師匠(馬生)そっくりになってきた感。古希を超えてもはや円熟の至芸に見えた。だんなの描写は優れ、目塗りのやり方を滾々と言って聞かせるくだりは、確かにこの人物が小僧からたたき上げの苦労人と納得させられる。全体の運びとしては、後半の母親のすっとんきょうぶりで笑いを多く取ることにより、とかくお涙ちょうだいに陥りがちなこの噺に、すっきりとよりよいバランス感を与えている。

高田裕史

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

らくごきょうかい【落語協会】

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

1923年9月の関東大震災以後、東京で、落語家が大同団結して落語協会を結成しました。

五代目柳亭左楽が会長となりましたが、翌年5月、協会が分裂し、なんと、会長の五代目を含む多くが脱退して「睦会」(震災前にもあった)を再興しました。

その3年後、今度は落語協会が分裂しまして、人気の頂点にあった初代柳家三語楼が一門ごと退会して、全く同名の「落語協会」を設立しました。

話がややこしくなるので、これ以後、旧来の落語協会を「東京落語協会」、三語楼一門の協会を「三語楼協会」と俗称するようになりました。

その後、1978年5月にはまたまた大きな脱退騒動が起こりましたが、これについては、いずれ記します。

要は、この団体というか、落語家という人たちは、なかなか一筋縄にはいかなくて、細胞分裂を繰り返すのが定めのようです。すべては芸のため、とは名ばかりで、金、名声、好悪によるものです。

それでも落語協会は、現在、国内に存在する落語家5団体のうちでは最大手です。他はまったく相手になりません。現在の会長は山口那津男、いやまちがえた、柳亭市馬師です。

しかし、そんなものも全部ひっくるめて、彼らのなりふりすべては人間臭くて憎めなくて、落語の世界そのものではありませんか。たまりません。

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

らくごかのかず【落語家の数】

スヴェンソンの増毛ネット

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

先日、五反田のとあるビルで、落語を聴きました。

立川半四楼立川談慶の、です。

半四楼は45歳の前座だというのがウリでした。

しかも。

東大出てて、間組や三菱商事なんかで海外駐在経験があって、スペイン語ができるんだそうです。

なんだか、すごいです。

前座ですから、噺そのものはうまいわけではありませんでした。

でも、一生懸命やってて、なんの噺か忘れましたが、頭から湯気が出てる雰囲気でした。

その気迫というか一途な熱演に、近頃見ない風景だったのか、心動かされてしまいました。

落語家はたんにはなしの巧拙ばかりではなくて、このような「余芸」も芸の内で、これをも含めたすべてが「落語家」なのでしょう。

明治から、そんな落語家はうじゃうじゃいたもんです。

変わり種、というやつですね。

落語家って、われわれが抱くイメージとはおよそ異なる出自だったりするもんです。

そこがまたうれしいとこだし、楽しめるひとあじなんです。

会では、談慶師が「文七元結」を熱演したのですが、私はよく覚えておらず、この45歳の前座さんに強烈な印象を受けた次第。

談慶師も慶應義塾大学経済学部卒の元ワコール社員ですから、これはこれでお見事です。

「お互い学歴の無駄遣いをしているね、と楽屋なんかよく言うんです」とは、談慶師のひとこと。自慢でしょうかね。乙な土産話となりました。

立川半四楼、前座、45歳、東大卒。

このかましかたは、落語家の船出としては、とりあえず大成功かもしれません。

ところで、現在、日本には落語家と称する人たちは何人いるのでしょうか。数えてみました。

落語協会   305人
落語芸術協会 180人
三遊一門会  58人
落語立川流  58人
上方落語協会 280人
総計  881人

 2019年11月23日現在

ざっと900人弱、というところですね。日本相撲協会所属のお相撲さんは900人弱だそうですから、いい勝負です。

東京の落語家がざっと600人、関西の落語家がざっと300人、という具合です。

ほかに、名古屋、仙台、金沢もの若干名いるそうですが、「ざっと900人」の中に入れ込める人数です。

ただいま、落語家は900人、です。すごいなあ。

古木優

スヴェンソンの増毛ネット

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

らくご【落語】



  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

人の心を動かす話芸、とでもいうのでしょうか。

「小説」の始まりは『荘子』内編が初出だと、駒田信二が言っていました。

ある村に三本足の烏がいた。

これだけでもう小説なのだ、という例でした。

これを聴いたり読んだりすると、人は「え!」と驚くわけです。そんな烏はいないに決まっているからです。

人の心が動く。

それが小説なんだ、ということです。

ならば、落語だって同じでしょう。

小説の読者は作家の目の前にはいませんから、紙面を通しての交流というか伝達でしょうが、落語のような話芸は、客は目の前にいるわけです。

この人たちの心を動かすのは、笑いと涙にもっていかせたほうが手っ取り早いに決まっています。

涙よりも笑いのほうがにぎやかで儲かりそうだから、というようなわけで、落語は笑い中心の芸になっていったのでしょう。

おおざっぱですが、正解はこんなところにあるのだと思うのです。

ごちゃごちゃ考証してもおもしろいのですが、それでも、とどのつまりはここに行きつくものです。

もとより「落語」ということばは、そんなに古くありません。

ことばそのものは江戸期には生まれていましたが、定着したのは明治に入ってから、というかんじですね。

明治初期の寄席では「はなし」「むかしばなし」などと番付に記しています。

噺家の芸を、なんと称して当局に届け出ていいのか迷ったほどなのですから。

なんとも、こころもとない芸であり、職業です。

でも、それが落語なのでしょう。私はそこが好きです。

「落語」は「おとしばなし」から来た漢語表現ですし、つづめて言うのを好む日本人には「らくご」の語感が向いていたでしょうから、こちらが定着した、ということですね。

「オチ」があるのが落語、とかいわれていますが、別に、落語ばかりの専売特許でもありません。

小説にだって、映画にだって、オチがあるものです。ときに、どんでんがえしのなんていう、ものすごいオチもありますが。

『荘子』での「小説」の意味は「とるにたりない話」ということだそうですから、落語と同じくくりですね。

ということは、「三本足の烏」は小説でも落語でも使えるわけで、出元は同じといえるでしょう。

今では、高座でかかるもの全般、つまり、怪談、人情噺、滑稽噺などをひっくるめて、「落語」と呼んでいますね。

明治初期の、つまり、三遊亭円朝(1839-1900)がいたころの人たちには福音のことばだったんじゃないですかね。いちいち区別している向きもあったようです。

円朝なんか、番付には「新作」と記されています。今となっては笑える表記です。

落語といっても、始まりはなにも特別なものではありません。

われわれの心の中から湧き出てきた思いやおもしろさ、日常生活の中から長い時間をかけて生まれてきたもの、といえるのではないでしょうか。

古木優

【語の読みと注】
荘子 そうじ:荘周が編んだ道家のテキスト。内編は荘周、外編と雑編は偽書
駒田信二 こまだしんじ:中国文学者、作家。1914-1994



  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席