代書屋 だいしょや 演目

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代書屋とは今の行政書士や司法書士のこと。大正期のなんとものんきなお話です。

別題:代書

【あらすじ】

色街の箱屋に応募するので、履暦書の代書を頼みに来た男。

長男かと聞くと、兄貴が死んだので長男になったとトンチンカンな答えで、一字訂正・判。

生年月日を聞けば旅順陥落提灯行列の日を答えるし、職歴では、大正三年九月饅頭屋を開業しようとしたが、家賃が高いからやめた、で二行抹消。

同十二月露天商は二時間でやめた。

また二行抹消と、メチャクチャ。

署名しろ、と言うと無筆。

自署不能ニ付キ代書・判。

次に来たのは、六十がらみの上品な老人。

結納の受取を毛筆でという注文。

墨が悪い、と摺り直させ、代書事務所の看板を見て、やれ字の右肩が下がっている、心棒が歪んでいると難癖をつけたあげく、
「また今度」。

お次は、妹の渡航証明を頼みに来た外国人。

言葉がかみ合わず、四苦八苦。

よく聞いてみると、戸籍証明がメチャクチャなので、これでは受理されないと、死亡届、死亡届失期理由書、出生届、同じく失期理由書と書類の山。

戸籍の再作成は(当時は)科料十円取られると聞いて、怒って行ってしまう。

骨折り損のくたびれもうけ。

最後は十二、三の丁稚。

今の老人宅からおじゃま料を届けに来たので、受け取りに署名と判が欲しいという。

老人は中気で引退したが、滴堂という有名な書家とか。

書家の奉公人だけあって、この小僧もうるさい。

「それで『中』の心棒が歪んでます」

降参して小僧に代筆させると、これが見事な筆。

判だけお願いしますと言うので押そうとしたら、名前の横に「自署不能ニ付代書」。

底本:四代目桂米団治

【しりたい】

大阪の新作

四代目桂米団治が昭和十三年(1938)頃に創作した新作落語です。当時は二代目桂米之助だった頃で、原題は「代書」でした。米団治は桂米朝の師匠で、キリスト教徒、行政書士の資格を持つ噺家でした。

大阪では、非常にポピュラーで息の長い人気作です。米朝始め、三代目春団治、五代目文枝ほか多くの演者が手掛けていますが、東京ではやり手がなかったのを立川談志が米朝直伝のものを東京風に改作して演じていました。

このあらすじでは、米団治のオリジナルの速記を参考にしました。

談志の改作

立川談志のやり方がおもしろかったので、記しておきます。

最初の男を日本橋人形町に住む「小板橋喜八郎」とし、「旅順陥落」の珍問答などはおおむね原作通りですが、二人目の客を、親に見せるため女学校の卒業証書を「偽造」してくれと頼みに来る娘、三人目を、両親にけんかしないように書いてくれという子供に代えていました。オリジナルより掛け合いのくすぐりを多くして、より現代に通じる、笑いの多いものにしているのが特徴です。四人目の外国人との珍妙なやり取りの末、しまいに代書屋が混乱して「なんだか、ワカンナクなっちゃった」というオチにしています。

代書屋

代書人ともいいます。

大正九年(1920)、「代書人規則」として法制化されました。普通にいう代書人は、おもに官公庁に提出する公文書の作成を業務としますが、それとは別に、前年の大正八年(1919)に定められた「司法代書人」があり、こちらは裁判所や検事局あての書類を作成します。戦後、前者が「行政書士」、後者が「司法書士」となったわけです。

いずれにせよ、まだ識字者の少なかった大正末期から昭和初期にかけてはこの噺のように単なる履歴書や受取証の代筆をする零細な文字通りの「代書人」も多かったと思われます。

談志のくすぐりから

(客と代書屋の問答で)
男「大正10年10月10日」
代「あ、そう。場所は?」
男「品川」
代「あ、そう。品川でと。なにをやったの?」
男「留と二人で女郎買いに行った日だ」

【語の読み】
丁稚 でっち
中気 ちゅうき

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